次世代に繋ぐべき知識をアーカイブする、
それが、本の持つ本質的な役割
『知識デザイン企業』、『日経文庫 ナレッジマネジメント入門』、『ダイナミック知識資産』、『知識創造の方法論』、『知識経営のすすめ』など、多数の著書を執筆されている紺野さんは、建築の世界で学んだデザインの方法論をビジネスに生かす、その独特の発想で、研究や大学教授のほか、企業などへアドバイスをするコンサルティングのお仕事もされています。多方面でご活躍されている紺野さんの、仕事へのお取り組み、また、本・電子媒体についての意見をお聞きしました。
知の入れ替えをする「場」を作る
――近況をお教え下さい。
紺野登氏: 経営大学院で教えるとともに、組織変革やリーダーシップ教育など企業のアドバイザーをしています。元々はサラリーマンでしたが、大学時代に学んだ、建築学のエッセンスであるデザイン思考の考え方を企業に活かす「知のデザイン」をテーマに仕事をしたいと思い、35、6歳で独立を考えました。今までにない分野ですので、研究しながら実践していく形で、研究した結果を使って企業の問題を解くということを始めました。10年ほど前、現在教鞭をとっている多摩大学大学院に入りました。
――多摩大学大学院では、どういった研究をされていましたか?
紺野登氏: 多摩大学大学院には、研究だけを専門としてきた教員はほとんどいません。実践的知恵をベースにした大学院で、なんらかの業種でそれなりの経験を経た人たちが集まり、ノウハウだけではなく、どう生きるのかまで含めて、いかに物事を考えるのかを大きなテーマにしていました。僕なりのテーマはナレッジ・エコロジー(知識生態学)で、企業組織や社会が、どういう風に知識を創造、共有、活用し、それを革新していくかを研究しています。企業組織も、知の生態系ですから、ビジネスや社会をとらえるというのを基本的なテーマにした研究もするし、企業のコンサルティングやアドバイザーもしています。その対象は出版社、ITサービス産業、コンサルティング事務所、設計事務所、企業のデザイン部門といった知識産業です。これまで、ガチガチの製造業はあまり対象にはしていなかったのですが、最近は、製造業自体が知識社会の中でどう復活するかという、クリス・アンダーソンの「メーカーズ(MAKERS)」ムーブメント(知識社会、知識経済)などに代表されるように、これまでとは違う新しいモノづくりの展開がありえます。新しい知を表現し、アイデアを伝搬するかがテーマになった時に、ナレッジ・エコロジーが使えるということで、製造業も対象に入ってきました。
――具体的には、どのような形でアドバイスやコンサルティングをするのですか?
紺野登氏: 例えば、売り上げを何割、利益を何割伸ばすための手段を提供するのではなく、イノベーションを起こしたり、組織を変えるためのワークショップや研修をして、新しいアイデアを生み出すお手伝いをしたりします。知識創造、デザイン思考の観点から組織を診断し、足りない部分について教育をしてもらう。あるいは教育の場をつくる。企業が新しいオフィスを作る時に、どうしたら知識の生態系がより良くなるのか、人の流れや知の流れをどう考えていけばいいのかをアドバイスします。オフィスデザイン・プロジェクトや、フューチャーセンター研究会などの活動を通じて、組織内の知識を横断的に活用したり、オープン・イノベーションで新しい知を取り入れるための場を創る手伝いをしたりする仕事もあります。そういった場を経験した人たちが組織に戻っていくことで、最終的に組織がネットワーク型になったり、知識創造ができる関係性を見いだしたりすることが目的です。未来を想像して、長い目で見た場を創ることが重要です。
――今年3月に発売された著書『利益や売上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか』で、最も伝えたかったことはどういったことでしょうか?
紺野登氏: 今日、どうも日本の企業に元気がない。大きな企業になるほど、あらゆるテクニックを駆使し、コンサルティング会社に依頼し色々なことをやっているのですが、それでも変わらないという、コンサル疲れがあるといわれます。それから、分析疲れ。結局、人の心が動かなければ企業の変革はできません。例えば自分がダイエットの必要があると医者に言われて、分析データが出てきてもなかなかやらない。何故なら、目的がハッキリしないからです。やらなければならないが、できない、という状態は、アリストテレスによれば「無知」だとされます。その無知を克服するには、本当の目的を見いだしてコミットしなければなりません。イノベーションに対しても、本当にコミットしなければならないけれど、日本の企業は大きくなりすぎて、なかなか組織的なコミットができないのです。日本の企業は、目標に対して傾斜しすぎるあまり、目的を喪失しています。ですから、著書ではマネジメントの原点である「目的は何か」を再認識できるものを書こうと思いました。
――具体的にはどういったことですか?
紺野登氏: 目先の利益、株主利益だけを上げる経営では持続性がないということです。そして今、世界経済全体がそうですが、例えば資源を搾取してモノづくりで売るとか、価格を単純に上げても経済成長しないんです。業界間のバリューチェーン(価値連鎖)を壊して新しいバリューチェーンを作る、リサイクルをしないといけない。でもリサイクルをするには、例えば都市がどうなっているのか、社会がどういう風に変化しているかという長期的視座とともに現実、現場を見なければなりません。すると、いったいなんのためにやっているんだという目的に行き着くわけで、そこでアリストテレスの目的論的な世界が出てくる。実は『白熱教室』のマイケル・サンデルなどもそうですがアリストテレス的な考え方が、世界的に今復権、リバイバルしています。
もう1つは、かつての日本のベンチャー企業も今元気がないですが、創業者がやってきたことは、目的を定めて、そのためにリソースを獲得することでした。ですからこの目的工学は、ソニーの創業者の1人である井深大氏の考え方に非常に寄っています。アリストテレス、井深氏の考え方、それにデザイン思考や最近の経済学の動き。そうしたいくつかのアイデアを背景に、目的工学を立ち上げようと、書いた本です。
万博やオリンピックに刺激され、建築の世界へ
――子どもの頃はどのようなお子さんでしたか?
紺野登氏: 本は、今よりもずっと読んでいました。僕らの世代はみんなそうですが、文学がベースになっていたので、子供時代の読書は当たり前のことでした。どの家も百科事典や世界文学全集をワンセット買う時代。そうした環境の中でしたので、本は結構読みました。
最近は本を読んでいるかといえば、疑わしいです。どうも本というものの境目が分からなくなってきているんです。ですから、「本を読んでいますか?」と聞かれると、果たして本を読んでいるのかどうか曖昧です。電子メディアが出てきて、紙の本と電子の本、本と情報、構造的な知の体系など今までそれぞれの場所におさまっていたものが、おさまらなくなってきているのです。
――そういう面から見ても、出版業界が少しずつ変化してきているということでしょうか?
紺野登氏: コンピュータが出てきて紙がなくなるというロジックが片方にありますが、実はコンピュータ化によって、膨大に紙が増えているんです。扱う情報量が飛躍的に増大したのは良いのですが、人間はコンピュータだけ見ていては理解できないので、紙に印刷する。それで、膨大に紙が増えたわけです。ですから、電子ブックが増えるから紙の本が減るかというと、そのロジックは正しくないかもしれません。
――本が好きで、建築学科に進んだ理由は?
紺野登氏: 絵も好きだったんです。絵が上手くないと昔は建築学科には入れないですから、絵は上手かったんだと思います。
建築学科は美術学校にある場合と、理系の学校にある場合があるんですが、私の場合は文理両方なんです。早稲田では、理工にありますが、入るには美大のように木炭デッサンが必要で、物理の実験もできないといけません。
――デザイン、建築、そういったところに進もうと思われたのはいつ頃ですか?
紺野登氏: 高校生の頃だったと思います。きっかけは東京オリンピック・万博です。万博やオリンピックで、都市にストラクチャができていくのを見るのが面白かったんです。
それで建築に入って、最初は設計者になろうと思いました。設計事務所も受かったのですが、それは断り、博報堂に行きました。都市の中に何かを生み出し、何か新しい人の行動を生み出すような、建築だけにとどまらないことをやりたいなと思いました。当時の広告会社は、広告だけではなく、商業建築や都市開発に触手を伸ばしていました。都市をメディアとして捉え、4媒体(新聞・雑誌・ラジオ・テレビ)以外のメディアを使い、プランニングができる人材を求めていたようです。
入社後はずっとマーケティング部門でした。今で言うマーケティング部門とは少し違い、いわゆるプランニングをする部門です。百貨店が新しい商業施設を作るためのコンセプトを作ったり、副都心開発の構想を練ったり、様々なことをやっていました。
――その仕事をはじめた時、どう感じましたか?
紺野登氏: 僕らの時代はバブル経済に突入していく頃でしたので、非常に楽しく、仕事としてできることがたくさんあった時期でした。日本人の生活構造がバブル前後で劇的に変わっていくわけです。古い生活構造から新しい生活構造にどんどん変わって、物も全部役割交代をしていく。例えば洋風のトイレが増えて、今度はトイレで使う洗剤が変わる。同じように、キッチンでも手に優しい洗剤が出てくる。古い時代の家庭生活から、全く新しい生活に変わる、そういう時代ですから、マーケティングの仕事は、多く流れ込んでくるわけです。
――どんなことを思って仕事をされていましたか?
紺野登氏: 「自分が建築でやってきたデザインの方法を、なんとかビジネスの世界に生かしたい」、これだけです。
当時は、建築学科を出た人間が広告業界などに進出していった時代で、ハードな建築は、元々ものをベースにした経済ですが、知をベースにした経済に変わりつつありました。建築やデザインの知識、方法論も、ハードなものに対して使われる時代からソフトなものに使われる時代に入っていった。その時に建築学科からのスピルオーバーが起こったんです。建築を出て建築以外のことをやっている人は、今は多いと思います。元々、日本の建築市場自体はそれほど大きくないですから、建築学科もスピルオーバーを意識した教育をしていると思います。
――最初に本を書かれたのはいつですか?
紺野登氏: 博報堂を辞める少し前です。デザインをビジネスにするということをテーマにダイヤモンド社から『デザインマインドカンパニー』という翻訳書を1990年に出しました。
きっかけは、1989年の日本デザイン・イヤー。デザインを生かした経営という考え方が出てきました。そして、特命プロジェクトでデザインの可能性について研究することになり、研究と仕事を両方やるようになったんです。最後の2、3年は休職もして、色々な海外リサーチを盛んにしていました。自分が元々やりたかった研究と実践が両方できると分かって、会社を辞めたんです。それが1991年頃のことです。
大きな目的を明確にすることが大切
――独立にあたって、不安と期待、どちらが大きかったですか?
紺野登氏: 当時1990年は、バブルが終わりつつありましたが、グローバリゼーションについてすごく前向きな時代でした。リサーチ自体は1987年ぐらいからやっていて、とにかく色々なところを行脚してきました。1987年にはサンフランシスコで、サンフランシスコ大地震があったり、僕がちょうどリサーチで半年ほどヨーロッパにいた時は、ベルリンの壁が崩壊したりなど、日本で大騒ぎするような情報に現場で接することが多く、そういうスケールの中で、自分が独立するくらいのことはいたって普通のことだと思いました(笑)。
ベルリンの壁が崩壊して、その後ドイツは大変なことになりますが、その時はユーフォリック、何かうれしいような、華やかな気分が満ちていました。1980年から2000年までの20年間、世界経済はほぼ右肩上がりでコンスタントに成長してきました。ところが2000年にアメリカでネットバブルが崩壊し、2001年には9・11が起こる。その中で世界がガラリと変わっていきました。日本ではその前、1995、96年、オウム真理教の地下鉄サリン事件のあたりから衰退感覚を持つようになるわけです。バブルが終わり、社会的な、これまであり得なかったような事件が起きて、心理的なネガティブサイクルに入っていきました。
今、中国などはもちろん経済成長していますが、経済成長しようとすれば水や資源、森がなくなるわけですから、単純な経済成長はもう難しいです。単純に中国だけ経済成長することはあり得ないし、それでは社会的な軋轢が生まれる。成長の時代は確かに終わったんです。
――先程の目的工学のような、「どう生きたいのか」というのが大切になってくるのでしょうか?
紺野登氏: これまで作られてきたルールやシステムが、日常のレベルでも壊れるわけです。
一括採用で会社に入って、20~25年会社にいるというのは、おそらく日本しかないけれど、さすがに変わり始めています。業界を越えて会社を変わったり、突然NPOに入ってボランティアを始めたり、今度は大学院に入ったり。非常に自由に仕事が変わる、社会的役割が変わる時代になりつつあります。そういう意味では、自分は何のために生きるのかが非常に大事になると思います。
そうした時代の中で、企業もイノベーションを起こしていく必要があります。イノベーションとは科学技術ではなく、社会の変化を見出していくこと。企業が社会のために何をするかということと、個々人が自分の目的を見出そうとする、これは往々にして矛盾するので、どうやってこれを調停していくかということを考えると、イノベーションは起きません。
これまでは安定した業界の中で、過去5年のデータを分析し自分の競争相手を明確にすることで戦略が作れましたが、今は作れません。いつ日常が変わって、いつ誰がコンペティターになるかわからないという状況の中では、自分の目的が何かということと、デザイン思考のような直観的思考と、試行錯誤を繰り返していくプロトタイピングのような経営の考え方が必要になります。
紙でも電子でもないネクストペーパーの登場がカギ
――電子ブックは活用していますか?
紺野登氏: iPadはKindleを積んでいますから活用しています。自分の本を常に持ち、また仕事に使う本も入れています。仕事に使う本というのは、本のようでいて情報そのものなので、パッケージされた情報としてここに積み込んでいるというのが多いです。それからごく希に、自分にとって必要な本も入っています。Kindleで自分のために読む本は、古典などが多く、『源氏物語』なども入っています。今見ると『孫子』や『断腸亭日乗』、『老人と海』など、いわゆる昔読んだ古典物を、自分で反芻するためにダウンロードしていますね。他には、英語版の『源氏物語』も入っていますね。
――電子ブックに対する抵抗感はなかったですか?
紺野登氏: コンピュータのモニターで読むと目が痛くなるのですが、Kindleはそうでもないんですよ。ただ、昔読んだことのある本ではなく、全く新しい文学作品をコレで読めと言われると、ちょっと辛いです。
――どこか、紙対電子みたいな捉えられ方もされてしまいがちですが、そのことについてどう思われますか?
紺野登氏: 紙対電子というのは本当どうでもいいのではないでしょうか。本というのは構造を持っているわけです。この構造を、未来永劫、人類のために維持していけるかが、実は本の一番大きな使命。本は、素晴らしい紙の発明ですが、これよりもっといいものがあれば、その目的のためには手段を選ばずということになるわけです。
グーテンベルグの前は巻物や羊皮紙、羊皮紙の前はパピルス、その前は石や粘土だったりするわけですから、媒体は変わるんです。でも、本の構造、知識の構造を、未来永劫、社会的記憶、知の生態系「ナレッジエコロジー」として維持することが大事。つまり、アーカイブ(記憶、メモリー)が一番大事な本の役割です。ですから、電子化されても別に大きな問題はないと思います。
――紺野さんにとって「本」とはなんでしょうか?
紺野登氏: 本は、僕にとっての「知識」です。雑知識もあれば、単なる情報もある。Kindleは今、500万点ほど読めますが、点数に関係なく、色々なものが楽しめるのはいい時代だと思います。
一方で、なんのために本を読むかといえば、人類の知識を継承しているプロセスがある。もし我々が本を読むのをやめたら、人類は知識の断絶を経験するわけです。ですから、おもしろおかしくしてもなんでもいいから、よい知識を伝搬させること、そしてその方法が大事なわけです。
――現代では需要が低いコンテンツだとしても、電子書籍であれば残っていくことができるのでしょうか?
紺野登氏: 1冊しか読まれない本もKindle版では出ますよね。一番大事なことは、あらゆる雑多なレベルのものがある中で、次の世代に本当に重要な知識をアーカイブとして記憶として伝えることです。今の時代は電子を使いながら、それが生きながらえているんだと思うんです。基本的には紙の本は死なない。これを越えようと思っても、今の電子出版は赤ん坊レベルなので、あくまで、Kindleのようなものも限定された使い方に限られる。
例えば、どうしても100冊の本についてレビューしなければいけないという時には、Kindleにつんでいった方がいいと思います。人に何かを伝えたり、プレゼンテーションしたりするのにも便利ですが、自分が何かを考えるということになると、紙の本の方が構造をもっているのでいいかなと思います。
電子本は部分的に強い便利さがある。でも、便利だからといって紙がなくなるということではない。紙が持っている面白さ、魅力がもっと際だつようなものが出てきて、全く違う素材で紙の本ができるというのが1つのゴールかなとも思います。要するにネクストペーパーです。電子ペーパーもありますが、まだ足りない。そういうものが出てきて、初めて次に行くんじゃないでしょうか。
――最後に今後の抱負をお聞かせ下さい。
紺野登氏: 何かのランキングで、日本の読み書き能力は世界ナンバー1だと言っていました。相当のレベルで日本には知的集積があるわけです。ですからその能力を、もっとクリエイティブなものに持ってきたいというのがあります。日本人がもっと深い本を読めるようにしたいので、難しい本を読めるような方法論を模索するべきだと思います。
あとは、日本にはいいものがたくさんあるので、それを海外に出して行くための方法論を考えていきたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 紺野登 』