難しい言葉は使わずに、哲学の民主化を進める
慶応義塾大学文学部を卒業後、同大学院に進学。防衛大学校、カナダトロントのヨーク大学の客員研究員、玉川大学を経て、現在は立教大学文学部教育学科教授をされています。専門は心の哲学、現象学、倫理学、応用倫理学(ビジネス倫理、科学技術倫理、倫理教育)。修辞学・文体論の研究も行っており、ご自身の経験をもとに書かれた『レポート・論文の書き方入門』は20万部以上のロングセラーとなっています。主な著書に『エコロジカルな心の哲学』、『善悪は実在するか アフォーダンスの倫理学』『暴走する脳科学』などがあります。河野さんに、教師のありかた、日本における哲学の未来、本についての考察をお聞きしました。
できるだけ学生が話すようにする方法
――立教大学でのお仕事に関しまして、近況をお聞かせください。
河野哲也氏: 今の大学では、1回の講義に大勢の学生がいますが、学生たち自身に議論してほしいと思っているので、自分が話す量をどのぐらい減らすかということを考えて講義をしています。例えばゼミでは、学生の発表をメインに進めていくのですがで、大きな講義型でも、できる限り自分がしゃべらないようにして学生が参加するようにしています。今、そのやり方がだんだんと分かってきたように感じています。200人ほど集まっている教室で、まず最初に、僕がインターネット上で読んでほしいテキストの一部を貼り付けます。それを読んでおくのは前提で、必要に応じて、講義の冒頭でごく簡単な説明をしてから、すぐに問題を出す。あとはグループディスカッションしてもらうというやり方です。ディスカッションまでの運びは様々で、問題を学生の側から出してもらう場合や、僕が考えてきたいくつかの問題の中から選んでもらって回答してもらうこと、あとは、僕とディスカッションした後にグループでディスカッションをしたり、そのまた逆の場合もあります。
――そういったスタイルに変えた理由とは何ですか?
河野哲也氏: 質疑応答に関しては、大学教授を20代後半からやっているから、もう22、3年講義の中に取り入れていることになります。最初の方は、自分が喋るのが中心で、1時間半あると70分くらいは喋っているといった感じだったかもしれません。でも次第に、「それは自己満足なんじゃないか」と思うようになり、自分の話す時間をだんだんと減らしていきました。1年生担当の授業は入門演習や新入生セミナーなどと言われていますが、僕は哲学という専門の特徴上、それを担当することが多いんです。批判的思考や読書のやり方、あるいはレポートの書き方などの基本的なスキルと言われているものをやります。その時に大切なのは、学生の動機を引き出すことであって、そのためには学生が自分自身で考えて喋ってもらうのが一番だということに気付いたんです。だから教員がやるべきこととは、面白い題材を提供して、話しやすい環境を作ることだけかなと思ったんです。知識は図書館や書店などに山ほどあるわけですから、重要なのはそれらをどう使うかだと思うんです。さらには使うだけではなくて、どうやってそこから新しい知識を作っていくかということ。そういった新しい知識を、専門の研究者ではない一般の人々が、どれだけ作れるかということが大事なのです。
教師は「触媒」
――教育においての理念はございますか?
河野哲也氏: 「こういう答えを書きなさい」といった方向性を示唆した場合、みんなテストやレポートで同じようなものを書いてきます。考えていることもそれぞれ違うし、取り組み方も違うはずなのに、その結果が直線上に「A、B、C、D」という評価で並ぶだけというのはダメだなと思ったんです。哲学によって人生が豊かになって、社会も豊かになればいいと僕は考えているのですが、そのためにはこの形では全然ダメだなと思いました。先生たちはある程度知識を積んで、初めて独創性が出ると思っているのかもしれませんが、それは間違いであって、最初からもっている独自の素質もあるので、それをどれだけ引き出すかということが大事。だから学生それぞれが持っている独自の関心や、そのちょっとした独創性を大きくしていく。そういうことができれば学生も面白いものが書けるし、そういうものを読んだ方が僕も楽しいんです。その人の経験や考え方を書いてもらって、そこに自分が言ったことが絡んでいれば、なおうれしいと思います。教師としては、自分はその人の関心を出してあげるための触媒になればいい。
――良い触媒となるために、必要なことはありますか?
河野哲也氏: 材料をたくさん持っていなきゃいけないと思っています。教育では、本人が持っている潜在的な良いものを評価すると思うんです。評価する時に、「説得力がある」あるいは「説得力がない」といった評価はしてあげていいとは思うんですが、やっぱり自分が持っているものを、どれだけ深く追求していけるか、ということが大事です。
300枚の原稿を書くのに500冊の本を読む
――教師の「触媒」としての役割は、編集者の役割と、通じるものがありそうな気がします。
河野哲也氏: 同じだと思います。自分が本を書いている時、編集者というのは第一の読者であり共同制作者です。本を書いている時に、まずは誰に読んでもらえるかを考えなければいけません。「どうやって読者に届けるのか」を考える時に、編集者さんのアドバイスはすごく貴重です。専門家の中でだけ通じる本は、多くの人に読んでもらう必要はないので、編集者さんには誤字脱字をチェックしてもらうだけという感じかもしれません。でも、そんなに専門的な文書は本にする必要があるんだろうか、と疑問に思うこともあります。だから、もっと広い読者層に読んでもらうためには、全く別の書き方をしなければならないと思っています。
――本の書き手として、執筆に対する心構えや、こだわりはありますか?
河野哲也氏: 例えば400字詰めで300枚の原稿を書くとすると、300冊ぐらいの本を読もうと思います。そのぐらいしないと何か内容が薄いという気がしてしまいます。私の本に『レポート・論文の書き方入門』というものがあって、それほど厚い本ではありませんが、書くために大学から本棚1個分ぐらい英・仏・独のものを中心に書き方の本を集めました。それらの本を大まかに目を通して書きあげたので、ある程度のエッセンスにはなっていると思います。読んでそれがそのまま1ページに入っているという意味ではなく、背景知識としてとしてそのぐらいいることです。それで、一旦全部忘れてから新(さら)で書くのが一番いい気がします。
――いつ頃から、そういったスタイルになっていったのでしょうか?
河野哲也氏: 博士論文からだったと思います。調べることはとことん調べて、軽く、わかりやすく書くように意識しています。でもまだ自分でも「引用くさいな」と思うこともあります。
著書一覧『 河野哲也 』