レベルは落とさず、文章は易しく
――本を書くきっかけはどのようなことだったんでしょうか?
河野哲也氏: 博士論文を出版したことが出発点だったと思います。そのままではなく、文章も練り直したんですが、基本的な内容は変えませんでした。自分としては博士論文を書いた段階で、この分野の研究としては、一頻り(ひとしきり)ついたなという感じがあり、次の展開をするには全く新しいことをやらなきゃいけないなと思ったので、それまでとは違った方向性を自分なりに進めることにしました。1年間の在外研究に行っていた時に、勁草書房の方から「1冊書いてみませんか?」と言われたので「今までのものをちょっとまとめてみよう」と思って書いたんです。途中まで書いた段階で、文章量が1冊を超えてしまったので、「続きを書かせてくれませんか?」と言って書いたのが3冊目となりました。その後に選書の方から講演依頼などがきたり、選書関係の編集の方から、「これは専門的な内容なので、読者層も限られている。もう少し変えて書いてみてください」という依頼があったりして、その意向に合わせて書くこともありました。
――執筆をする上でのこだわりなどはございますか?
河野哲也氏: 編集者の方は、自分がやっていることから外れたテーマは持ってこないので、そのテーマで書かせていただくことが多いです。ただ、「文章は易しくしますが、レベルは落としません」ということはいつも伝えています。専門家に伝える場合は、難しいままでもいいのですが、分野外の人たちに説明することが、人文・社会科学系にとっては大切だと思うんです。それができないというのは、自分でも自分の研究を理解できていないんじゃないかという気がします。
本は「道具」
――電子書籍の可能性についてはどうお考えでしょうか?
河野哲也氏: 学者の中には本にフェティシズム的な愛着心を持っている方もいます。僕の場合は、書きこんでしまうし、破ってしまうこともあるので、そういった人から見ると、そういった行為は許せないのかもしれません。電子書籍は、書き込む機能はあるけれど、色を付けられないなどの、まだ若干の不便さがあるので、僕自身は、電子書籍で読むよりは本という「もの」で読んだ方がスピードは速いです。以前は付箋にページ数をメモしていたりしましたが、もうコピーするのも面倒くさいと思った時は、ページを破ってしまうこともあります(笑)。
――本を「道具」として使われているんですね。
河野哲也氏: 本の内容を引用することが目的ではなくて、いかに説得力をつけるかという話なのです。引用することによって、読んでいる人は「自分とつながるんだ」というそのアンカーのようなつなぎ役としては、参考文献が必要かもしれないけど、それ以上ではない。材料としては使いますが、本は重いし、かさばるので、見やすくてコンパクトになれば、それに越したことはないです。特にコンパクトになってほしいのはアンソロジーのような、1本のページ数が短いものです。読んでいくと、一つ一つはなかなか良い論文なんだけど、他の論文は読む頻度が少ないものなどは、全部電子書籍にしちゃうといいですね。若手研究者たちが自分たちでハードカバーを出すのはハードルが高いので、電子書籍で安く出ていたらいいし、専門書でも安ければ、授業の学生に「ダウンロードして読んでおきなよ」と言うことができます。
――授業でも、電子書籍を活用することができると思われますか?
河野哲也氏: 手間が省けますし、電子書籍を授業で使えるようになれば、それはありがたいです。場合によっては「これらの論文をダウンロードする電子書籍を作ってね」という引用本を注文をできないかなと思っているんです。海外では、紙媒体においてはオンデマンドで組み立てるということを既にやっているので、それを電子媒体でやってくれるといいなと思います。例えば、授業の準備をする時に、本の一部分や論文をテキストとして本屋さんに持って行って、「これを電子書籍化してくれませんか?」と注文する。著作権も考慮したシステムにして、学生にも買えるような値段にするわけです。大学院だったら英語で書かれている論文をやっぱり読みたいんです。図書館で1冊しかないのを借りてきて、みんなで読んだりしますが、買うには高過ぎるし、輸入するのは大変。論文などを10個集めるという手間やコストがかかる作業が電子書籍でできたら、こんな便利なものはないと思います。
――今は、研究の仕方も大きく変わったんじゃないでしょうか?
河野哲也氏: 以前とは全く違うと思います。検索のこともあって、インターネット上に名前が載ってないと見つけられないから、意味がないと思ってしまいます。昔は図書館で1つ1つ引いていたので、かなり時間が掛かっていました。今では検索エンジンでバーッと出てきて、要約もあるので、読むべきものとそうじゃないものが区別できるのは本当に便利です。そういったように、多くの情報が氾濫している中で、それらの情報をいかにつなげるか、どういう風に使うかが大切なのです。分類オントロジーというか、分野ごとに関連性を付けていくというのが大切で、それは学者がやると同時に、本屋さんにもやってほしいと僕は思っています。それをやるのが図書館司書の役目ではないでしょうか。学者は自分の読んでいる雑誌以外は、それぞれの専門が別分野とどうつながっているのかを知らないんです。それをつなげるのが本屋さんや図書館の役目だと思うんです。
――その本来の役割に特化していけば、活路がありそうですね。
河野哲也氏: 本の分野を超えた全体を知っていて、関連性を付けられるという知識が本屋さんや編集者の本質だとすると、電子化が進んだとしても、いくらでも仕事はあるはずです。物質の持つ強さというか、しっかりと紙で読みたいと思う本もありますから、やはり紙の本は無くならないと思う。持って歩くのには重い本などは電子書籍で、といったように使い分ければいいのです。場所を取るので、基本的に電子でいいんじゃないかと僕は思っていて、特に学会誌などは全部電子でいいんじゃないかと思っていますが、まだ反対する人も多いですね。でも、図書館がいっぱいになってしまいますし、保存に関しては電子媒体でいいのではないでしょうか。本の種類によっては、電子の記号には還元できない物質としての情報があると思うんですが、それは全部ではないのです。
子どもの哲学
――今後の展望をお聞かせください。
河野哲也氏: 今、すごく関心を持っているのは「子どもの哲学」というジャンルなんです。幼稚園児から始まり、小中高生たちと学校や公民館などで、引用などは使わずに哲学的なことを対話していくというものです。子どもの素朴な疑問は、例えば「友達と親友の違いはなんですか?」といったように、ほとんど哲学的なんです。そういったことを真面目に話していくと、結構深い議論になるんです。集中力といった部分では違いがありますが、内容の高度さは全く大人と引けを取りません。そういったものを題材に本を書いていきたいし、対話での教育に関しても考えていきたいと思っています。
――なかなか、そういった本はありませんね。
河野哲也氏: だからこそ、僕が書きたいと思います。翻訳するべき良い本や絵本もあるので、それをどんどん進めていきたいです。僕は、絵は描けないけれど、コラボレーションなどをして、絵本ができれば素晴らしいと思います。日本は他国にくらべると遅れていますが、そういった良い本は、実は世界中にいくらでもあります。例えば、この『ペンギンの隠れた才能』など、タイトルだけでも面白いですよね。哲学的な課題について可愛く考えられますが、内容的には決して浅くはありません。こういった哲学書は「Philosophy for Children」と言うんですが、そういうものを今後発展させていくのと同時に、「哲学の民主化」を進めたいと僕は思っています。カントについて細かく覚える必要はないけれど、哲学的なことについて考えることは、すごく人生を豊かにするし、場合によっては必要なものだと思うんです。哲学とは難しい問題です。簡単に答えはできないし、深く考えないとできないし、終わりもないですが、難しい言葉は使わずに「哲学の民主化」を進めていきたいと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 河野哲也 』