いかに伝えるかが、本を書くことの意義
東京大学工学部計数工学科を卒業後、同大学大学院に進学し、2002年に博士(工学)課程修了。日本学術振興会特別研究員、理化学研究所基礎科学特別研究員、東京大学大学院情報理工学系研究科講師などを経て同研究科准教授に就任。研究テーマはネットワーク科学、社会行動の数理、脳の理論。「分かりやすく書くことが基本」という増田直紀さんに、研究や執筆、電子書籍のことなどをお伺いしました。
分かりやすい言葉で
――ご専門は数理情報学ですが、現在はどのような研究をしていらっしゃいますか?
増田直紀氏: 情報理工学系研究科数理情報学専攻と言うと難しいと思われるかもしれませんが、実際の目指すところはもっとわかりやすいです。数学を何かに応用しよう、あるいは応用に必要な数学を創ろうという学問分野で、私たちは数理工学とも呼びます。数理工学とひとくちに言っても、色々な応用分野がある以上、色々な専門家がいます。その中で、私はネットワークを主に研究しています。ネットワークというと、インターネットもありますが、もう少し広く考えて、人と人はどうやってつながっているのかなどを研究しています。インフルエンザなどの感染症で言えば、どこから広まると被害が大きくなるか、感染症の拡散を止めるにはどうしたら良いかなどです。もしそういうことを予測したり制御したりできれば、社会貢献に近づけます。マーケティングで言えば、情報を広めたい場合にどういう相手に最初に訴えかければよりよく広まるか。効果的にターゲットを選びたいわけです。ネットワーク科学は、特に海外で進んでいます。
――つながりやネットワークという視点を、様々な場面に応用されているんですね。
増田直紀氏: 感染症だけでなく、金融も注目されている応用分野の一つです。例えば、ギリシャの場合のように、1つの国が破たんすると、その国にお金を貸していた国は困るので、助けようとする動機があります。すると、その国の経済も悪くなって、ドミノのように連鎖して色々な国が倒れてしまうかもしれません。もちろん、様々な要因が絡みますが、どの国がどの国とつながっているか、どの国がどの国にお金を多く出しているかといったネットワーク的な要因も、ドミノ破たんが起こる可能性を左右しうるとして最近になって注目されています。さらには、国際的なネットワークは金融だけではありません。グローバルな政治や軍事について考えるには、同盟関係や敵対関係からなる国どうしのネットワークを見て、世界がどういう国々のグループに分かれているのかを解析することができます。昔は、共産圏と西側で分かりやすかったかもしれませんが、今はもっと複雑でしょう。複雑なネットワークの中に潜んでいるグループをどのように見つけるか。そういう技術も開発されています。
――子どもの頃は、どんなお子さんでしたか?
増田直紀氏: 子どもの頃は、勉強、勉強というよりは普通に家や外で遊んだり、部活をしたりしていました。本を読むのは比較的好きな方だったと思います。ジャンルは問わず、漫画も好きでしたし、小説から啓蒙的な本まで含めてコンスタントに読んでいましたが、読書家という程でもありませんでした。ただ、『三国志』など、読んだ中で印象に残っているものはありますね。中学生の時は、赤川次郎もよく読んでました。
――ご自身で本を執筆することを考えたことはありましたか?
増田直紀氏: 昔は全くないです。私は国語がすごく苦手でした。古典や漢文はパズルみたいに考えてなんとかできましたが、現国という授業が全然分からなかったので、文章を読んだり書いたりするのは下手だと思っていました。ただ、いつからか、文章の表現でやるべきことは人に伝えることで、分かりやすい言葉で人に説明することにはこだわりがありました。だから、書くことは嫌いではありませんでした。初めて本を執筆したのは28歳のときでしたが、それよりも前からそういうこだわりは意識していました。
――専門じゃない、全く知らない人にいかに伝えるかということですね。
増田直紀氏: そうなんです。専門家って「そんな質問をするな」という雰囲気があることが多々ありますが、私はそれが大嫌いです。説明する義務があると思うし、説明は仕事の一つです。一般の方や研究分野の違う方に説明するのは、単語や文化が違うので難しい。だからこそ、分かりやすい説明ということにこだわるべきです。日本の学校教育では説明するという訓練が欠けているように見えますが、自助努力でもやるしかありません。努力や準備が足りない、あるいは無頓着が理由で下手なプレゼンテーションを聞いていると、未だに腹が立ったりします(笑)。プレゼンって、いくら準備をしても足りないです。物書きも同じで、どんなに推敲しても足りないくらいです。
――研究を通じて、ご自身の使命と感じることはありますか?
増田直紀氏: 使命感というほど切迫したものではないですが、税金を用いて研究させて頂いているので、パブリックに対して責任を果たしたり説明をしたりする義務があると思っています。論文や本を出すこともそうですし、かみ砕いて説明や講演をしてほしいという依頼があれば、なるべく受けるようにしています。授業も同じです。分かりやすい授業をすることは給料の対価として意識しています。
――学生たちとは、どのように接していらっしゃいますか?
増田直紀氏: 上下関係ができるとつまらないので、なるべく平たく接しています。特に、大学院生になると、結構1対1の付き合いになるわけです。そういうところで「先生の言うことだから」と鵜呑みにせず、違うと思ったら違うと言ってほしいし、自分はどうしたいかを出してほしいのです。日本人があまり訓練されていないスキルですが、個人の意見が出てこないと、研究としても世界で戦えないですし、就職しても結局は使われるだけになってしまいます。意見のやりとりができるコミュニケーションができると楽しいです。実際にはなかなか難しいですけどね。
人の手に届く瞬間が、一番嬉しい
――本を書くきっかけとは?
増田直紀氏: ネットワークという分野について分かりやすく紹介したい、と思ったのが最初です。1冊目の専門書は2005年に出版されました。書きたいと思った理由は、大学院で私の所に来てくれる学生や、新しいデータをシェアしてくれる人や、研究に興味を持ってくれる人を増やしたかったからです。院内感染の研究を一緒にした方は、私の本を知って、データを持って相談に来てくれたのがきっかけだったんです。本として発信することで、多くの人とのつながりができました。
――本の執筆の原動力は、どこから沸き起こりますか?
増田直紀氏: 本が出た瞬間は楽しく、人の手に届く瞬間がうれしい。多くの時間を費やすことは確かなので、書いている途中は辛いことも多いです。しかし、世に出て、色々な反響があったり、特にアカデミックじゃない方から色々な返事をもらったり、イベントに呼んでいただいたりというのは原動力になります。
――本を出したことによる、仕事に関する変化や効果などはありますか?
増田直紀氏: 予期しない出会いがあります。書かなかったら出会わなかったであろう方と、たくさん知り合いました。大学や研究業界以外の方に出会えることは刺激になります。そういった出会いが新たな本を生み出すこともありえると思います。
――書いていて、喜びを感じる瞬間はありますか?
増田直紀氏: 出版された時や増刷された時など、認められたことが形をもって感じられる時です。論文も執筆作業なのですが、論文で言うと、良い雑誌に掲載された時。賞をいただいたり、国際的な会議に招待された時などです。
また、自己実現的な気持ちになれた時も喜びを感じます。研究であれば、実証したことを世に出す時。大衆受けしないだろうと思いつつ論文を出す場合はあるのです。その場合は、多くの人がついて来なくても良く、それはそれで自分のやりたい研究を実現できて、良い気分です。そういうのばっかりだと、ひとりよがりでイヤですが。
――売れることが主眼ではないのですね。
増田直紀氏: 本について言えば、主眼ではないです。ただ、全く売れないなら書くべきではないとも思っています。ロングテールの法則というのがあります。大抵の本は売れないということです。一部の本だけがミリオンセラーになる。増刷されるような本は、全体から見ればほんの一部なのです。売れないなら、オンラインで普通に公開してしまえば良いと思います。出版社を巻きこんで本として出すなら、読者に届くのが前提ですから、ある程度売れないと色々な意味でペイしないと思います。なので、1人よがりの本は出したくないです。
――読みやすさ、分かりやすさが必要だということでしょうか。
増田直紀氏: 本の題材そのものがもちろん大事ですが、次に大事なことは読みやすさ、分かりやすさだと思います。「読める」、「読めない」は、多くの場合は著者の責任だと思います。読みにくい本の多くは、文章の論理構造が原因だったりするように見えます。自分はどうしても理詰めで考えてしまうので、論理的に分かりやすく書くことを大切にしています。ただ、こみ入った論理になってしまうと、どんなに正しい文章だったとしても読者の理解を超えてしまうでしょう。読者層を想定して、論理的だけどこみ入らないような一文の長さ、漢字の量、全体構成などを考えます。これは、私が本を書く時のポリシーです。
学生や博士号をもつ研究員に文章指導をすることは多くあって、こういったことを繰り返し教えます。人に分かりやすく伝えるとは何か。プレゼンの方が指導しがいがあるかもしれませんね。学会でプレゼンテーションが30分あったとします。よくあるのが、自分の話したいことを話して終わってしまうこと。それでは、聴衆は名前くらいしか覚えてくれません。色々な本にも書いてあるのでしょうが、プレゼンテーションの本当の目的は、自分の与えられた時間を上手く使って相手に何かを印象付けることです。そう意識すれば、詰め込みになりすぎないように量を削ったり、スライドの一字一句を推敲したり、どういう絵を入れるとわかりやすいのかをあれこれ考えたりするはずです。自分がやりたいことと受け手が欲しいことは別。大抵は受け手が欲しいことをやる方が得です。
流通や費用負担が論点
――電子書籍が今後、書き手、読み手をどんな風に変えていくと思われますか?
増田直紀氏: 電子書籍については、ポジティブに考えています。本の質感が好きだという気持ちは、私にはありません。今までの出版のビジネスモデルは限界にきていて、本がどんどん売れなくなっています。どの出版社さんとお話をしても、みなさん、口をそろえてそうおっしゃるので。売れなくて値段を上げると余計売れなくなる。あと、出版される本は、必ず国会図書館に納めますよね。労力も大変だし、市民が簡単に読めるわけではないのなら、どうなのかなあという気がしています。ロングテールの法則を逆手にとれば、大抵の本はほとんど売れないけれども、1人や2人は読みたい人がいるかもしれないわけです。音楽の業界では、電子化、オンライン化して在庫を無尽蔵に持てるようにしたことで、ビジネスモデルが大きく変わりました。出版では版権の問題とかがあるのでしょうが、絶版になった本がオンラインで公開されるだけでも、ものすごく価値があると思います。なので、これから出る電子書籍にも、既にある書籍の電子化にも興味があります。電子書籍化が進めば、今まで知ることのなかった色んな書籍に触れることができます。
――ご自書を人の手に届けるというツールの1つとして、電子書籍に可能性はありますか?
増田直紀氏: 自分の本について言えば、印税よりも、部数が多く出て広く読まれるのが一番の目的ですね。だとすると、もし電子書籍の方が広まりやすいならば、今後の有力な選択肢です。
――電子書籍ならではの発信の工夫などはあるのでしょうか。
増田直紀氏: ネットワーク科学の有名な研究者が書いた電子書籍があります。面白いことに、出版後も更新することで、徐々に良いものにしていくというのです。電子ならではですね。電子ならではの方法が上手くいくと、電子書籍も電子じゃない書籍も進化できるのではないでしょうか。紙対電子という捉え方は、あまり重要な論点でないように感じます。使い分けだと思います。
――ジャーナルも大半がアーカイブ、電子ですか?
増田直紀氏: ジャーナルの電子化はめざましく進んでいます。ただ、誰がお金を払うかという問題があります。私たちは、書いた論文をジャーナルに投稿します。ジャーナルは分野ごとに色々あって、同じ分野でも格が高いジャーナルや低いジャーナルがあります。ともかく、論文をジャーナルに投稿すると、内容が専門家たちにチェックされ、出してもよいかどうかを判定されます。OK になると、正式発行に向けて、ジャーナル独自のフォーマットに合わせてタイプセットが行われます。そして、完成した PDF をジャーナルのウェブサイトに登録して、PDFでダウンロードできるようにします。つまり、発行までには人手やハードウェアのコストがかかるんです。
コストを負担する方法は主に2つあるようです。1つはそのジャーナルの購読権を大学とかが年間契約などとして買うこと。今、ジャーナルを持っている出版社側が、大学などに対して購読料をぐんぐん釣り上げていると言われ、世界中で議論されています。そういうジャーナルには論文を出さない、というボイコットキャンペーンもしている研究者もいます。もう1つは、論文の著者がジャーナル側にお金を払うやり方です。研究費の中から例えば15万円を、自分が出す論文1つに対して払います。その代わり、世界中どの国からでも、読む側は購読料を払わずにダウンロードできるのです。
博士課程の魅力を書きたい
――今後の展望、意気込みをお聞かせください。
増田直紀氏: 今、ヨーロッパの研究者と、とある専門書を英語で書こうとしています。また、ネットワーク科学以外にも、例えば協力行動について研究していて、そういう本を書くことにも興味があります。協力行動というのは、ゴミのポイ捨てみたいに、みんなが守ってくれればいいけど、みんなが守るのなら自分ひとりくらいが裏切って規則を無視しても影響ないよね、といった内容です。普段の生活に与える示唆も色々あると思います。
あとは、アカデミックキャリアにも興味を持っています。博士号をとっても大学とか研究所に定職がない、というイメージが広がっているのか、博士課程に行く人が減っているようです。でも、魅力が十分に伝わらないまま負の面が強調されている気がしています。職をゲットできるために大事なのは、結構コミュニケーション能力だったりします。自分の意見も含めて、“博士課程のすすめ”のようなものをいつか書きたいです。
――研究業界が暗くなってしまうと、日本の行く末にも影響しますね。
増田直紀氏: そうですね。博士課程に行って身を成すにはそれなりの必要条件はあります。自分の分野だったら、数学や物理学の基礎力はどうしても必要です。でも、それだけなら、色んな大学の多くの学生が満たしています。そういった基礎力は条件のうちの半分。残りの半分は、どうやってテーマを見つけるか、そういう力をつけていけそうかどうかだと私は思っています。テーマ探しを面白いと感じるかどうか。また、他の教授や学生と話しててテーマが出てきたり業界の空気が分かったりするので、コミュニケーション能力がやはり大事なんです。学会に参加しても、真面目に他人の発表を聞いて自分の発表をするだけじゃだめなんです。そういったことを交えて書ければ、面白いかもしれません。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 増田直紀 』