ミッションは、分からないことを分かるようにすること
酒井邦嘉さんは、脳機能イメージングなどの先端的手法を駆使して、人間にしかない言語や創造的な能力の解明に取り組んでいる、言語脳科学者です。『科学者という仕事』『脳の言語地図』や『脳を創る読書』など、数々の本を執筆されてきた酒井さんは、2002年、『言語の脳科学』で毎日出版文化賞受賞。2005年、脳機能マッピングによる言語処理機構の解明により第19回塚原仲晃記念賞を受賞されています。どのようにして今の道に至ったのか、また読書遍歴や電子書籍などについてお聞きしました。
「自然界の謎」へのあこがれが、サイエンスへ進むきっかけに
――最近のお取り組みについてお聞かせ下さい。
酒井邦嘉氏: 専門は言語脳科学といって、人間の言語を脳から明らかにすることが目標です。いわゆる言語学は文系で脳科学は理系ですから、両者のちょうど狭間になっている研究です。主力となる手法は、脳機能イメージングといって、安全に脳内の働きを調べて画像化するMRIなどの技術です。
――こちらの研究室はこだわりを感じる空間になっていますが、普段からこちらに居る割合はどれくらいですか?
酒井邦嘉氏: 講義や会議、そして実験以外の時は、大体ここに居ます。部屋では、いつも自分の好きなクラシック音楽をCDで流しています。几帳面な性格なので部屋が片付いていますが、あまりに物を整理し過ぎて、探し物が見つからないことも最近多くなりました(笑)。目に見えるものだけでなく、脳の中の情報を整理しておくことも大切ですね。
私にとってのヒーロー
――幼少期は、どのようなお子さんでしたか?
酒井邦嘉氏: 子どもの頃は、好奇心が強かったと思います。物心ついた時には、例えば「なぜ虹が見えるのか」といった、自然界の謎に対して強い関心がありました。そういう不思議な現象が私の関心を惹きつけて、サイエンスに憧れを持つことになったのだと思います。それから、実際にサイエンスの世界を開拓した人の伝記などを読むのが特に好きでした。
高校時代、私はアインシュタインが大好きで、とにかくアインシュタインに関する本を片っ端から読んでいました。そうするうちに、アインシュタイン自身が書いた本に行き当たりました。アインシュタイン自身が書いた入門書ですが、他のどの本よりも分かりやすく書いてあって感動しました。「自分でも分かるんだ」と思ったのが、今の道へ進んだ最初のきっかけです。
――読書を通して科学者が身近に感じられるという点で、本という存在は大きかったのではないでしょうか。
酒井邦嘉氏: そうですね。周りには、学校の先生以外にサイエンスを教えてくれる人がいなかったので、本の世界が、本当に身近に感じられました。サイエンスを開拓していった人々が、実際にどうやって謎を解き明かしたのか、どんなことに悩み、そして何が分かったのかというような、ドラマチックな人間の営みを知るのが凄く好きでした。
ちょうどその高校生の多感な時期に、みすず書房から、朝永振一郎先生の全集が出ました。毎月、学校の図書室に寄贈されていたので、新刊が出るのを毎回楽しみにしていました。高校生でも読んで本当に面白かったので、大学生になって自分で買い揃えました。読むだけではなくて、いつでも読めるように持っておきたいのです。研究室だけでなく院生室にも、もう一セット置いています。学生たちが自分で宝の山を発見していくという楽しみがあります。
――書棚に飾られている写真なども含めて、空間にある全てが訴えかけてくるように感じます。
酒井邦嘉氏: このアインシュタインの写真は、『アインシュタインの生涯』(東京図書)という本の表紙になっていたものですが、高校生の時にとても気に入って東京図書に手紙を出したところ、印画紙に写真を焼いたものを送って下さったのです。アインシュタインが生きていたら、会いに行ったでしょうね(笑)。そのぐらい憧れていて、自分のヒーローみたいな存在でした。サッカー少年が有名なサッカー選手に憧れるのと同じで、私の場合はそれが科学の世界だったということです。その人物像が、本から想像できるというのは、とても大事なことだと思いました。
――色々な本を読める環境にあったというのは、親御さんの影響があったのでしょうか。
酒井邦嘉氏: 幼少の時に、親が好んで偉人伝などの本を与えてくれたのがきっかけだったと思います。色々なジャンルの偉人がいた中で、特に惹きつけられたのは、ベートーヴェンとキュリー夫人でした。他には、ノーベルや湯川秀樹などが強く印象に残っています。サイエンスや科学者に惹かれるようになった芽は、幼少期からあったと思います。
仕事に対して、辛いと思ったことは一度もない
――いつ頃から研究者になろうと考えていたのでしょうか?
酒井邦嘉氏: 作文などで科学者になりたいと書いたのは中学1年生の時でした。子どもの頃ですから、サッカー選手になりたいというのと同じ気持ちだったのでしょう。私のヒーローが科学者だったから、自分も科学者になりたいという純粋な思いでした。好きなことを職業にしたいという憧れと共に、サイエンスが本当に好きだったのですね。
――幼少期の頃に憧れたことを今でも続けられて、第一線で活躍されているということは、夢が実現されているということですね。
酒井邦嘉氏: 確かに、やりたいことをやれるのは一番幸せでしょう。実際には、歯を食い縛って頑張らなくてはならないことや、辛いこと、上手くいかないことも当然あります。スポーツ選手と同じで、プレッシャーもあれば、常に結果を求められるということもあります。国の税金で研究している以上、何の役に立つのか説明する義務もあるわけですから、自分だけで楽しんでばかりはいられません。けれども、その大変な部分も含めて楽しいと思えれば一番だと思います。科学者に限らず、どんな仕事でも楽しむということは重要なことでしょう。
事実、私は科学者という仕事に対して辛いと思ったことは一度もありません。人との軋轢はとても辛いですが、純粋にサイエンスに対しては、いつも恋い焦がれているところがあります。
――執筆だけではなく、教育、研究など、様々な活動を通して、ご自身のミッションというのは何だと思われますか?
酒井邦嘉氏: 分からないことを分かるようにすることがミッションです。自分が分からないことを分かるようにするのが研究で、他人が分からないことを分かるようにするのが教育です。