田尾雅夫

Profile

1946年、香川県生まれ。京都大学文学研究科(心理学専攻)修了、博士(京都大学、経済学)。京都府立大学文学部社会福祉学科助教授、京都大学経済学部経営学科教授、京都大学公共政策大学院教授を経て、2008年以降、現職。著書に『行政サービスの組織と管理』『公共経営論』(木鐸社)、『セルフヘルプ社会』『組織の心理学』(有斐閣)、『自治体の人材マネジメント』(学陽書房)、『市民参加の行政学』(法律文化社)、『現代組織論』(勁草書房)など。

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執筆への原動力は、好奇心



京都大学文学研究科心理学専攻修了、同大学経済学博士、京都府立大学文学部社会福祉学科助教授、京都大学経済学部経営学科教授、同公共政策大学院教授を経て、2008年より愛知学院大学経営学部教授。専門は、経営管理論、組織心理学、NPO論など。社会心理学の対象としてNPOやボランティアにみられる非営利組織を研究するほか、行政、高齢化社会、医療、看護といった幅広い研究領域で組織行動を分析されています。『行政サービスの組織と管理』、『組織論』、『公共経営論』などの著書を執筆されている田尾雅夫さんに、研究、執筆への思いや、好きな本についてお聞きしました。

変化していく学生との関係


――経営管理論、組織心理学などがご専門ですが、どのような研究をされているのでしょうか?


田尾雅夫氏: 社会心理学が専門です。初めは福祉学科に就職し、特に施設運営・経営に関して勉強しました。行政学の村松岐夫先生にも師事し、『行政サービスの組織と管理』という地方自治体の経営に関する本を書いて、それが評価されて経済学に呼ばれまして、本来経営学の人たちがもらう賞をもらいました。しかし、僕は自分は経営学者というよりは、今でも本籍地は社会心理学だと思っているのです。

――社会心理学には、どの分野にも入っていける、切り口・視点がありますか?


田尾雅夫氏: 応用は利きやすい分野だと思います。村松先生が僕の先生の1人ですが、無理な注文をたくさんするんです。人から言われたことを忠実にやるのが僕の性分で、それに答えてできたのが『行政サービスの組織と管理』なのです。社会心理学をそのままずっとやっていれば楽な人生だったかもしれません(笑)。

――研究の成果となるような著書を数多く執筆されていますね。


田尾雅夫氏: そのたびに場所を変えて社会福祉をやったり行政学をやったり経営学をやったりしています。ただし経営学者と言いながらも、企業にはあまり関心がありません。僕が研究している組織経営学には、NPOや医療・福祉・病院、地方自治体というような、いわゆるお金もうけができる企業はほとんどない。非営利組織、営利を上げない組織に関心があるんです。日本でも企業経営に関してやる人は多くいらっしゃいますが、彼らとはスタンスが全然違うんです。

――現在、愛知学院大学経営学部教授を務められていますが、どのような先生だとご自分で思われますか?


田尾雅夫氏: 私学は素直な子が多いです。でも、ガツンと怒ると萎縮してしまいそうなので気をつけています。学生との関係においては、僕にとっては3段階の変化がありました。僕は27か28歳で初めて公立大学に就職したので、学生たちは僕とあまり年齢が変わらなかった。ですから仲間のようなもので、彼らとはよく遊びました。学生にとっては、当時はちょっと年上の兄貴という感じだったかもしれません。次に大きな大学に行き、この時期には学生と張り合うといった面もあり、緊張していたかもしれません。僕も頑張ったし、学生に対しては真剣に向き合って答えていたと思います。そういったステップを経てこの大学へ来ましたが、学生と50歳近く年齢が離れると、もう遊ばなくてもいいし、競わなくてもいい。客観的に「ああ、これが学生なんだな」という感じで見ています。年齢的に僕の子供たちよりも下ですから、少し距離を置けます。喧嘩してもしょうがないという感じもあって、今の学生との関係に関しては、かなり楽だと僕自身は感じています。

――高校までは香川県にいらっしゃったのですか?


田尾雅夫氏: 大蔵官僚、政治家だった大平正芳は、僕たちの郷里の大先輩にあたります。高校時代は、彼が1年に1回来て講演していました。

――どのような高校時代でしたか?


田尾雅夫氏: 舟木一夫の「高校三年生」は僕が高校2年生の時の歌でした。香川県の田舎で、その時代の空気を吸って育ってきました。東京に行った連中も結構多かったです。自分のところから出ていきたい、都会の生活をエンジョイしたい、そういった連中が多かったと思います。

――ご自身も「京都に行くんだ」と思われたのですか?


田尾雅夫氏: そういった空気がありましたが、誰も止めようがないし、仕方ない。でも、そういったエネルギーが今、日本に欠けているのではないかと僕は思っています。今はインターネットなどがありますから、情報がたくさんあって勉強もしやすいはずなんです。昔に比べて、論文もジャーナルも手に入りやすい。でも、今は取捨選択する力やエネルギーというのがちょっと欠けてるんじゃないのかなと思います。インターネットでなんでもできるから、ある意味地元から出る必要さえもないのかもしれません。

執筆は生理現象


――大学時代はどのように過ごされましたか?


田尾雅夫氏: 僕は66年に大学に入りました。1回生の時に学生運動家が授業の妨害をして、「君たちは70年安保の兵隊さんになることを、義務付けられているんだ」という話をしていたのが記憶にあります。でも、僕はノンポリでした。そういった空気の中の大学生活でしたので、京大は面白かったです。学生運動家の活動もすごかったし、あの4年間は大学全体が沸き立っていたように感じていました。そういったことを経験しなければ、もっと真面目な学者になっていたかなと思います。でも、そういった経験があったからこそ、「分野はなんだっていい」と思うようになったのだと思います。でも、僕は学者としては世間に入ってどうのこうのというのは、あまりしたくない。はっきりと言いますが、僕は御用学者は大嫌いなんです(笑)。

――研究者を志したのはいつ頃だったのでしょうか?


田尾雅夫氏: 子どもの頃から考えていたわけではありませんが、研究者になりたかったのは事実です。でも、文学部に来る人の多くは研究者になりたいと思って来ているので、競争は激しいです。

――村松教授とのご関係は?


田尾雅夫氏: 僕は心理学をやっていたものですから統計、データー分析に強かったんです。村松先生は行政学の分野でしたから、調査したデーター処理を僕に任せてくれるところがあったので、先生は僕を重宝していたのではないかと思います(笑)。
僕のゼミ生で「あれしたい、これしたい」と言う院生がいるんですが、「贅沢を言うな」と思ってしまいます。まだテーマを選べるほど知識や経験が無いし、「僕に弟子入りする気はあるんだろうか?」と思ってしまいます(笑)。「才能を活かすためにはちょっと俺の言うことを聞けよ!」と言いたくなることもあります。学者というのは基本的には渡世稼業です。見て覚え、盗んで覚え、後ろ姿を見て育つ。だからこそ、いい先生を選ぶことが大切なのです。

――先生にとって「いい先生」とはどのような先生ですか?


田尾雅夫氏: 偉い先生ほど自分の思い通りにやりたがる傾向があるような気がしますので、必ずしも「偉い先生イコールいい先生」ではないのではないでしょうか。助手としての役割で終わってしまうというか、自分自身の研究ができないといった人もいると思います。そして、批判精神を持ち続けることも大事。文学部で言えば、力を持った人がいっぱいいたはずなんですが、そういった連中が潰れていったのは残念だと僕は思っています。
仕事をくれる先生が、一番いい先生なのではないでしょうか。作業の過程を全て任せてくれて、結果をきちんと評価してくれる先生がいいと思います。

――シカゴ大学に訪問研究委員として1年間行ってらっしゃいますね?


田尾雅夫氏: サバティカル制度を利用して行ってきました。その1年間で、その後に書く本の内容に関するデーターを、ほとんど全部揃えることができました。家族で行ったのですが、引っ越しという感じではなく、本当に家族だけでポンと行って、向こうのアパートをいきなり借りたんです。アメリカに行ったことで、一番目覚めたのは娘ではないかと思っています。

自分のために書く


――最初に書いた本は『仕事の革新』ですか?


田尾雅夫氏: そうです。あれは雑誌や学会誌に投稿したものをそのまま載せた形だったので、比較的簡単だったかもしれません。
僕は、本を作るのは編集者との連携だと思っています。僕がいまだに尊敬しているのは木鐸社の坂口さんという女性の編集者です。彼女のところで、『仕事の革新』と前後する頃に、リプスキーという人の翻訳書を出したんです。その時、彼女が僕の文章を「あなたの文章は長すぎる」と指摘してくれました。だから彼女が僕の文章を変えてくれたといっても過言ではありません。だから僕は、本を出す時には編集者がどういう人であるかをまず注意します。僕は、本当に編集者に恵まれてきたと思っています。

――どのような編集者が理想ですか?


田尾雅夫氏: 編集者との関係に関しては、相性だと思っています。それから、きちんと見てくれる人。木鐸社の坂口さんはすごい人で、今も尊敬しています。最近書いた『公共経営論』も同じ木鐸社から出していますが、ゲラを直す直前に彼女に会いに行った時に、「読めるような文章を書くようになりましたね」と言われました(笑)。

――執筆に対する思い、こだわりは何かお持ちですか?


田尾雅夫氏: 執筆は自分の好奇心の発露。人のためではなく、自分のために書いています。使命という感じではなく、生理現象のようなものかもしれません。例えば木鐸社から出版した『公共経営論』。あれは、サッチャーに始まったNPM(New Public Management)が流行った時期に、それに乗ってしまった学者や実務家がたくさんいたのですが「これはおかしい。破たんをきたして、この社会をだめにしてしまうのではないか」という気持ちで書いたんです。行政が企業のように経営できるわけがない。そういったことを書かずにはいられなかったんです。

自分の生きた時代とは、どのような時代だったのか


――電子書籍についてお聞きします。ご自身ではご利用されていますか?


田尾雅夫氏: 実は最近、iPadを使い始めました。自炊をしまして、僕の好きな松本清張をほとんどiPadに入れたので、それを読んでいます。『日本の黒い霧』や『昭和史発掘』などが好きです。

――電子書籍への期待、要望はありますか?


田尾雅夫氏: 清張に関してはiPadで読みかけていまして、昔読んだ本をまた読み返すきっかけになりました。iPadを使うと、活字は結構大きくなるので読みやすいですね。ただ、色のばらつきが少し気になります。

――田尾先生が書かれた本を、捨てたくないし売りたくもない、ということで電子化をして読む方がいらっしゃるということに関して、書き手として思うことはありますか?


田尾雅夫氏: 僕はいいと思っています。引っ越しの時に一番頭を悩ませるのは本で、「これをどうしよう」と考えます。本には、「とにかく残したい本」、「捨ててもいい本」、そしてその中間に、「未練はあるけど紙の形で残しておかなくてもいい本」といった3段階があるのだと僕は思っています。ただ、僕としては、中間の本に関してはやはり自分のところに留めておきたいなという気はあります。読んでない本も何冊かはあるんですが、自分の軌跡というか、せっかく僕が集めたものだから、人には公開したくないと思っています。これまで集めた本の体系は、僕の頭の中の世界と全く一緒ですから、全部無くしてしまったら、僕の頭の中が壊れてしまいそうな気がします。



――今後の展望をお聞かせください。


田尾雅夫氏: 僕ももう67歳。70歳に近いですから、あとは好きなことをして生きていきたいと思っています。好きなことをさせていただけるのがこの大学のいいところで、僕は本当に感謝しています。
今後に関してはあまり考えてはいませんが、書きたいと思っていることはたくさんあります。自分の生きてきた時代が、これからどういう時代になっていくのかということに非常に関心あります。昭和は63年で終わりましたが、僕は戦争が終わってすぐの昭和21年生まれ。僕が生まれてから昭和が終わりを迎えるまでの40年間、その時代にちょうど私の子ども時代、青年期が全部入っています。自分の生きた時代が、どういった時代であったのか、ということをぜひ知りたいものですね。清張が好きなのも、そういった理由なのかもしれません。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 田尾雅夫

この著者のタグ: 『大学教授』 『心理学』 『考え方』 『生き方』 『研究』 『教育』

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