自分の活動している姿を見せ続ける
神戸大学経済学部卒業後、同大学院博士課程単位取得退学。 松阪大学政経学部講師、助教授、教授を経て神戸学院大学教授、現在は学部長を務められています。計量経済学、開発経済学、国際金融論が専門である中村先生のゼミでは他大学との交流も多いそうです。中村先生に、お仕事に対する思い、教師のあるべき姿、教育における電子書籍の可能性などをお聞きしました。
様々なことを学生たちに与えたい
――学部長をされていらっしゃるということですが、お仕事の近況をお聞かせ下さい。
中村亨氏: 私立大学は生き残るための改革をしていかなければいけません。私もその心意気だけはあるのですが、学部長になって間もないので、まだ学内業務の詳しいところが分かっていません。
授業やゼミでは色々な他大学との交流も含めて、学生との関係を大切にしようと思い、色々な試みをしているところなんです。ついこの間、近畿圏の大学を中心として、西は長崎大学から東は武蔵大や中央大学という、他大学とのかなり大がかりな論文発表大会がありました。今回初めて参加させていただいて、学生は打ちのめされて帰って来たことかと思いますが、私自身は他校の大学生の事情もよく分かり、刺激を受けて帰って来ました。これからは、「他の大学はこうなっているんだ」というのを、色々な形で学生に知ってもらいながら切磋琢磨させていかなければいけないと思っています。うちの経済学部には特徴のある先生が大変多く、ついこの間(2013年11月23日)、野田前総理に本学に来ていただき、ゼミを開いていた先生もいました。そのように、一生懸命頑張ってくれている先生もいらっしゃいます。
――トップリーダーと呼ばれる方々や、スペシャリストをお招きするのは、どういったお考えからでしょうか?
中村亨氏: 色々な人にお会いしたいし、色々なところから吸収していこう、という考えなんです。色々なことを教師自身が学んでいかないといけないのですが、教師というのは、自分の受けた教育をそのまま反復してしまいがちで、そこにマンネリズムが生まれてしまい、なかなか活性化できないのです。今私はそういった問題意識を持っているので、色々な先生にそういう形で外に出てもらったり、新しい血を入れたりして、様々なことを学生たちに与えられるように努力していただきたいと願っています。
――仕事をする上で、信念として大切にされていることはありますか?
中村亨氏: 教師は、常に学んでいく姿を学生に見せなければいけないと思っています。自分の知識をひけらかすというような形では、学生は絶対に学ぼうとしないので、本や論文を書くといったアカデミックな活動をしている姿を見せていかないといけません。自分の専門とは少々離れていても、少しでも関係する部分があれば、私は喜んでオファーを受けさせていただきます。野田前総理を呼ばれた先生と話していた時に、元外交官の佐藤優さんの話になりました。彼は大変プロダクティブに本を出版されているんですが、講演をお引き受けにならないらしいんです。印税などは、収入源としてはそれほど入らないらしいんですが、講演をすると、その印税の何倍もの収入が入るとのこと。そうすると地道にアカデミックな活動をすることがためらわれることにつながることを恐れ「一切講演を引き受けない」という風に決められたそうです。自分を律しながらしっかりと誠実にアカデミックな問題と向き合う彼のその姿勢に大変感動しました。私自身も彼と同様、アカデミックな問題と向き合う姿勢を持ちたいと思います。
「自分は何も分かっていない」と思わせたのは本
――幼少の頃の体験などで、現在のお仕事をされている経緯に影響を与えていることはありますか?
中村亨氏: ハーバードのロースクールの学生を描いた『ペーパーチェイス』という映画がありますが、私が小学校5年の時に、夜中に放送していたんです。それを見た時に、大学というのはシビアだけど面白そうだと思って、あの映画が色々な意味で勉強していこうという種になったと思います。
勉強に関しては、昔から数学が好きで、英語も学び始めた時から真面目に勉強していたと思います。英語に関しては、中学の時の英語の先生がとても素晴らしい先生だったので、その先生から刺激を受け、英語が好きになったのだと思います。色々な英語の表現、あるいは慣用句を、色んな小説から引っ張ってきて話してくれました。高校にも1人、京都でも有名な名物教師がいらっしゃって、その先生からシェークスピアなど、教科書ではとても扱わないような高度な内容を教材に講義して頂きました。それが知的なものへの憧れになったと思います。
――本を読むのはお好きでしたか?
中村亨氏: 高校までは野球をやっていて、読書とは全く無縁な高校生活を送っていました。その後神戸大学に入り、ある先輩にめぐり合いました。先輩の下宿に行くと吉本隆明全集がありました。入学当時、学生紛争の影響は少し下火になってきていたのですが、マルクスや吉本の著作を通じて、哲学・思想的なものに関してはまだ議論する雰囲気が残っており、それを読んで初めて「自分は何も分かってない」という衝撃を受けました。それをきっかけに大学時代はスポーツの世界から足を洗い、家にこもって本ばかり読んでいました。本格的に本を読み始めたのは大学1年からで、先輩から年間200冊読むように指導を受けました。それからは京都の古本屋巡りをして、できるだけ安い本を買ったり、絶版本を手に入れたりして喜んでいました。
――当時読まれた本で、印象に残っている作品はありますか?
中村亨氏: 加藤周一著作集と吉本隆明全著作集です。専門とは畑違いなんですが、若い時に刺激を受けた大恩人ですので、色々な意味でお返しをしていきたいという思いでいます。吉本隆明さん、そして加藤周一さんは思想の巨人ですので、そのお2人から知的な刺激だけでなく、学問に対する姿勢というものも、教えていただいたと思っています。
経済に進んだのはラッキーだった
――神戸大学に入られるわけですが、経済を選んだのはどういった理由があったのでしょうか?
中村亨氏: 当時、私の兄が神戸大学の経営学部の3年に在籍しており、「経営学部に入ろうかな」と言ったら「経営学部はやめとけ。数学が好きだったら、数学を扱える経済の方が絶対お前に合う」と言われたんです。経済学部に入ったことは、ある意味ではすごくラッキーだったと思っています。その当時、経済学部にはノーベル賞にもノミネートされることのあった置塩先生がいらっしゃって、そのゼミに属すことができました。ゼミの授業ではケインズ経済学のエッセンスを扱ってくださいました。今思うと、本当にありがたい研究環境だったと思います。ゼミ以外はあまり授業には行っておらず、家で様々な分野の本を読んでいました。今では、世界的に有名な経済学のテキストはたくさんあるのですが、当時はほとんどなかったんです。数少ないテキストの中でも、サムエルソンの『経済学』をひたすら読んでいました。読んでいくと、その本の中に置塩先生の名前を見つけて、その先生の偉大さを再確認しました。
――その後、博士課程に進まれたわけですが、研究者になろうと思ったのはいつ頃でしたか?
中村亨氏: もちろん大学院も試験があったので、落ちたら普通の就職活動をしようと思っていました。「なんとしてでも研究者になりたい」という感じではなかったと思います。でも、“学問が好き”という思いはありました。統計学に関しては、大学の授業で借りた友達のノートの出来がかなり良かったこともあり(笑)、それで「統計学ってすごく面白い」と思い、そこから統計学・計量経済学をやり始めたんです。だから、統計学・計量経済学を専門にしたことは偶然だと思います。今でも、その時ノートを借りた友達には頭が上がらず、いつか感謝の意を伝えたいと思っています。この他にも色々な偶然なきっかけでこの道に来ているので、自分でも不思議だと思いますね。
――ご自身の教育・行動指針は、どういったところにありますか?
中村亨氏: とにかく子どもを信頼し、やらせてみる、というような感じです。自分の2人の子どもを育てながら分かったのが、同じ刺激を与えても、人によっては違うものになるということ。子どものためにと思ってやったことが、実は全然子どもは刺激を受けなかった、ということもありました。同じ自分の子どもでも同じようには反応しないし、同じものを読んでも読むツボが違ったりするのだと思います。そこは人間の難しいところですね。今19歳で、海外の大学にトライしている娘がいるんですが、家に本を置いていると、チラチラと見ている内に興味を持っていくようなので、大体私と同じような読書癖だと思います。私は「読め」とは言わないのですが、本棚を見て自分でつまみ食いをし、さらに自分の読書の世界を広げているようです。
本は死ぬまで書きつづけるんだという姿勢
――本を執筆されることになったきっかけをお聞かせ下さい。
中村亨氏: 基本的に私の研究スタイルは実証分析にありますので、データの整備も含め大変時間がかかります。しかし「本は死ぬまで書くんだ」という姿勢だけは失わないようにしたいと思っています。最初の本の執筆に関しては、今まで自分が貯めていた論文の集大成、という感じだったでしょうか。
――今年の3月に出された『大恐慌論』に関しては、どちらかというと経済の専門家を読者に想定されているように感じたのですが、出版されるきっかけはどういったことだったのでしょうか?
中村亨氏: 私を含め3人の翻訳者がいますが、その1人とはハーバードに留学した時からの付き合いなんです。キャノングローバル戦略研究所にいらっしゃって、その方を通じて、出版社を紹介してもらいました。原書は古典になるというか、確実に残ると言われている本ですし、著者のベン・S・バーナンキは、我々のアカデミックな社会では、“今後、確実にノーベル賞をとる”という風に見られていますので、出版社の方もそれを見越して出版したのだと思います。利益が上がるかどうかのビジネス的視点を度外視されたのではないでしょうか。
――執筆に対するこだわりや、思いはありますか?
中村亨氏: 専門の文章となると、「できるだけ難しく見せよう」というややペダンティックな感情がはたらきがちです。でも、それはある意味様々な学問において、誤解を生み、研究者同士の知的交流を妨げてしまうリスクを生んでしまうのではないでしょうか。哲学の碩学に、竹田青嗣さんとそのお弟子さんの苫野一徳さんという方がいらっしゃいます。苫野一徳さんとは実はTwitterで知りあって、それがきっかけで交流が進み、竹田青嗣先生ともお会いして意見交換もさせて頂きました。彼らの本を読んで、「本当に分かった」人の哲学の描写というのはとてもシンプルで、読者の方もクリアに理解できる、ということを感じたんです。やはり学問はそうあるべきだなと思いました。だから本を書く時は、私もシンプルでクリアな文章を心掛けるようにしています。それは授業においてもそうですし、常に意識しないといけない点だと思っています。
教育面においても有用なツールになり得る
――立命館の小学校がiPadを導入した授業を行ったという話を聞きましたが、電子書籍の、教育面においての可能性についてはどのようにお考えでしょうか?
中村亨氏: 普通の紙媒体ではできないことができる。例えば専門の本を読むとリンクが貼ってあって、グラフや参考文献が出てくるといった色々な仕掛けがされており、それは大変ありがたいと思います。だから電子書籍はこれから非常に有用な学びのツールになり得ると思っています。最近、ロンドン・エコノミストの電子版には、文章を読み上げてくれる機能があるようです。日本の読者にはリスニングのいい練習になるかもしれませんね。またお年寄りや目がご不自由な方にとっては、大変ありがたいサービスではないでしょうか。そういう意味で電子書籍は大きなポテンシャルを持っていると思います。立命館の小学生のように、小さい時からe-booksに慣れ親しんでいる子供は、今のアメリカ人のように簡単に電子書籍などを購入できるようになるでしょう。ただ、我々大人はまだまだ難しいように感じます。
――バーバード時代から最近までのアメリカをよくご存じだと思いますが、本や電子書籍におけるアメリカと日本の違いはどのような点にあると思われますか?
中村亨氏: 日本人の方が圧倒的に本好きだと思うんですが、e-booksの導入スピードなどは桁違いにアメリカの方が速いんです。なぜかなと不思議に思っていたのですが、日本の場合は、町の中に小さな本屋さんがたくさんあるので、特にe-booksに頼らなくてもすぐに本が手に入る環境にあるんだと思います。アメリカに住むと、本屋自体はとても大きいのですが、郊外にあり車を飛ばさないといけないんです。だからぱっとダウンロードして、すぐに読みたいと思うのかもしれませんね。そういう日米の文化の違いが、今のe-booksの普及率の差になっているのだと思います。
――デジタルネイティブの子どもたちが増えてきていますが、教育現場における電子書籍の役割も増えていくと思われますか?
中村亨氏: 教科書はどうしても擦り切れたり、破れたりして汚くなってしまうのですが、e-booksの場合は、品質を落とすことなく弟や妹に伝えることができるので、それは大変ありがたいなと思います。経済、数学、英語、全て音声を使うことができ、グラフ・表といった仕掛けもできます。英語の教科書もネイティブの発音で聞けると、英語教育のプラスになると思います。
阪神大震災の時、蔵書の多い先生が本で圧死されたケースが少なくなかったと聞いております。本というのはアカデミックなツールなのですが、地震大国の日本ではそれが仇になってしまうことがあるということです。学者は「征服した」という意味で、読んだ本を置いておくことがありますし、気持ち的には大切な側面だとは思います。でも、学会に行く時の持ち運びなど、電子書籍の有用性が研究者の中では浸透しつつあるのかなという気がします。
――出版社と編集者の役割についてはどのようにお考えでしょうか?
中村亨氏: 出版社はもちろん売れて、利益を出すことが求められますが、人類の知的遺産を伝承する重要な役割があるのです。そこで、編集者は著者のアウトプットの価値を確かなものにする重い役割があるのだと思います。専門書の場合は編集者の方も、もちろん、相当の専門知識を持つことが望ましいでしょう。専門の内容を理解した上でこちらの意向を尊重してくださることはとても助かります。『大恐慌論』の出版に関し、グラフはこういう風にしてほしいとか、もう少しコンパクトにしてくれといったことはありましたが、大体こちらの意向が通る感じでしたが、送り仮名や専門用語の統一など、「言葉の揺れ」を正すことが難しかったです。編集者独特のノウハウがあり、綿密に意見交換を何度もさせていただきました。そこはやっぱり編集者の専門分野なんです。しみじみと感服いたしました。今後の本の執筆には大いに参考になると思います。
アイディアを吸収する習慣として、色々な本を読もう
――ご自身の専門以外の本も読まれますか?
中村亨氏: 自分の専門の本は自分の研究室に置いているのですが、それとは別に自宅にも書斎があって、たくさんの本を置いています。自然科学、政治、哲学、文学など色々な分野の本があります。妻は英米文学を勉強していて、ケネディの就任式の時に詩を朗読したロバート・フロストという詩人が専門なんです。そういった話を聞くのも大変興味深く、私は色々な分野の方と情報交換しています。彼女の本も私の書斎に一緒に並んでいるので、膨大な量になっています。立花隆や松岡正剛に比べたら芥子粒みたいなものですが。ただ、本に関しては、カビが生えたりするので保存するのが難しいし、自分が死んだ後のことも考えると、ある程度コンパクトにしとかないといけないなと思うことはあります。
――今でも本屋さんに行かれますか?
中村亨氏: 梅田の近辺にジュンク堂をはじめとする本屋がたくさんあるので、立ち寄ることが多いです。本屋さんで歩くコースは大体パターン化されていて、まずは専門とはあまり関係のない、新刊書、新書、文庫コーナーに行き、哲学、思想、自然科学などをチェックした後に、自分の専門のところへ行きます。本屋さんを通じて世の中の流れ、トレンド、雰囲気は吸収しておくべきだと思っています。池谷裕二さんなど、異分野の知見で得られたアイディアや発見などは、とても役に立つんです。ですからアイディアを吸収する習慣として色々な本を読むべきだと思います。また、同じ分野でも、次から次へと鬼才が現れてくるので、そういう人たちの論文、著作にはすごく刺激を受けます。
――今後の展望をお聞かせください。
中村亨氏: 2013年度のノーベル経済学賞を受賞されたハンセン教授は、「アカデミックなアプローチにより、金融危機や持続する不況を経済モデルで正確に説明できるようになりたい」と言われていましたが、私もそれに挑戦していきたいと思っています。そういう気持ちで、国際金融危機を中心に研究してきました。バーナンキ氏は「人間というのは合理的である」ということを前提にして色々な論文を書いています。それが徐々に「人間はどうも非合理的だ」ということがアカデミックに捉えられ始めていますが、合理的でないことを数学のツールを使って表現するのはとても難しいことなんです。ですから私は、かなり難問ではありますが「非合理性的なものを、いかに経済学のフォーマルなモデルで表現できるか」ということに挑戦にしていきたいと考えています。例えば私の専門である計量経済学や統計学などのツールを使って、そういう難問のブレイクができれば、学者としてはこの上ない幸せだと思っています
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 中村亨 』