渡辺茂

Profile

1948年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻博士課程修了、文学博士(心理学)。専門は比較認知神経科学。1995年、ハトを訓練してピカソの絵とモネの絵を区別させることに成功し、イグ・ノーベル賞を受賞。 著書に『鳥脳力―小さな頭に秘められた驚異の能力』(化学同人)、『脳科学と心の進化』(共著。岩波書店)、『ヒト型脳とハト型脳』(文春新書)、『ハトがわかればヒトがみえる―比較認知科学への招待』(共立出版)など。

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美の起源、動物の美を纏めていきたい



1989年より慶應大学教授を務められ、同大学名誉教授として心理学の研究をされている渡辺さんは、ハトを訓練してピカソの絵とモネの絵を区別させることに成功し、1995年にイグ・ノーベル賞を受賞されました。また、最近では「新学術領域・共感性の進化神経基盤」という新しい研究も始めていらっしゃいます。また、『認知の起源をさぐる』『ヒト型脳とハト型脳』『ハトがわかればヒトがみえる』『鳥脳力』などの著作は、心理学の研究の成果を広く一般の方たちにも伝えられています。今回は渡辺さんに、現在の研究について、また今の道に至った経緯、電子書籍や執筆について、お聞きしました。

ネズミによる、ピカソとルノアールの区別


――昨年ご退職されたそうですが、現在はどのような研究をされているんでしょうか。


渡辺茂氏: 今は、大きく分けると2つ。1つは新学術領域の共感性の進化・神経基盤という新しい研究です。これは共感、つまりシンパシー、エンパシーに関する研究です。僕は主にネズミの共感の研究をやっています。例えば1匹のネズミにちょっとストレスを与えるという実験では、一緒にケージにいる仲間も同じようにストレスを受けている場合と、自分だけストレスを受けている場合を比べると、後者で一番ストレスが強くなるといったことを見つけました。これは要するに、「自分だけが酷い目に遭っていて友達が遊んでいるのは不公平だ」ということです。でも人間に関しては、もう1種類の不公平さというのがありますよね。同じ仕事をして自分だけがたくさん給料を貰って、他はただ同然で働かされているというような、「自分は得をしているけど周りが酷い目に遭っている」という状況です。この状況に対するストレスは、ネズミにはありません。

――相手の気持ちを推し量っての共感ということでしょうか?


渡辺茂氏: そうなんです。共感とはとても色々なものがあります。相手が不幸だと自分も不幸、相手がハッピーだとこっちもハッピーというのがもともとの形ですが、相手の幸せは妬ましい、相手が幸福だと自分はどうも面白くない。それから逆に相手の不幸が楽しいなど、そういった部分が、どうも動物にもありそうだということが分かってきました。ですから相手が幸せか不幸かによって、こっちも幸せになったり、不幸になったりします。

――ネズミのほかに、実験ではどういった動物を使うのでしょうか?


渡辺茂氏: 以前、ハトに絵を見分けさせるという仕事をやっていました。心理学の動物実験には、最初はみんなネズミを使っていました。でも人間はやはり視覚の動物だから、ネズミよりも視覚が優れているハトを使おうということで、僕が学生の頃から割と標準的にハトが使われるようになりました。でも、ここのところにきて「ネズミも結構、目がいいんじゃないか」という話が出てきました。それで最初、視力検査をやりました。その結果、見えるのは人間の10分の1程度ということが判明して、ネズミの目は良くはないのですが、見えないわけじゃないということがわかりました。

――ネズミの視力認知とは?


渡辺茂氏: ネズミに絵を見せるという実験をやってみたんです。最初は、細長い通路でネズミが行ったり来たりできるようにして、通路の両端にiPodを置きました。そのiPodに絵が映しだされますが、例えば右にはピカソの絵、左にはルノアールの絵が出てくるという装置にして、どっちにネズミがいるか、という実験をしました。これは、かなり回数を重ねましたがダメでした。ネズミには好みがないんです。それで今度は、タッチスクリーンがあって、ネズミがピカソの絵が出ている方を触ればミルクが飲めるけれど、ルノアールの時は触ってもだめといった具合に、ハトの実験と同じように区別をさせてみました。それをやると、ネズミもできました。それで段々と絵の数を増やしていって訓練していくと、初見のピカソ、ルノアールでも一応、区別ができました。これはネズミも区別ができるということの証明になりました。今度は、「一体、何が手がかりになっているか」というのを研究しているところです。

動物に囲まれて育った幼少期


――対象を動物に絞って研究をされていますが、昔から動物がお好きだったんでしょうか?


渡辺茂氏: はい。小さいころから動物が好きで、犬猫はもちろん、小鳥やトカゲ、ヘビなど色々な動物を飼っていました。カメレオンのように色が変わる、キノボリトカゲというのを奄美大島まで捕まえに行き、飼っていました。母が割と小鳥などを飼うのが好きだったのもあって、僕がそういった動物を飼うことにはあまり文句を言われませんでした。人と歩調を合わせるのは、幼稚園のお遊戯の時から少し苦手でしたね。みんながしゃがむ時に、1人で立っていたりしたこともありますし、みんなとシンクロして何かをするのは、どうも苦手なんです。それと、図鑑がとても好きでした。特に動物図鑑がとても好きで、結構たくさん持っていました。僕が小学生の頃に、『シートンの動物記』が、ちょうど角川文庫などで次々と翻訳されていて、それが楽しみでずっと読んでいました。だからその頃は動物小説みたいなものが好きで、日本だと戸川幸夫さんの本を随分と読みました。

――将来は、動物に携わるような仕事をしたいと思っていたのでしょうか?


渡辺茂氏: 小、中学生の頃は、そこまではあまり考えていませんでした。その頃、実は絵がうまかったのもあって、画家志望だったんです。でも、中学時代の図画の先生と趣向が合わなくて、僕はいいと思っていても、先生には「全然ダメだ」と言われたりしたこともありました。それまでは、絵が上手だとちやほやされていたのですが、急に嫌になってしまって、描くのをやめてしまいました。だからこういった質問をされると「実は画家になるつもりだったので、研究者は二番目のチョイスだ」という風に答えています(笑)。



――大学の学部はどのようにして決められたのでしょうか?


渡辺茂氏: 僕は高校も慶応の出身なので、エスカレーター式のおかげで、入学試験に苦労することはありませんでした。ですから大きな分かれ目は、高校から学部をどこにしようかというところでした。いわゆる会社勤めといったものはあまり向かないなと自分で思っていました。ずっと動物が好きで、特に動物の行動を観察するのが好きだったんです。それで調べてみたら慶応の心理学専攻でそういうことをやっているということが分かって、それじゃあ心理学専攻に行こうと決めました。大学に入ってからは、割と早くから研究者になろうと思うようになりました。

――大学時代の生活はいかがでしたか?


渡辺茂氏: 楽しかったですね。その頃は、バラックみたいなところで毎日実験をやっていて、実験装置も何もなく、色々なものが手作りでした。今ではコンピューターで出来るところを、当時は人の手でしていたので重労働でもありましたが、それでも楽しかったです。

――大学時代はスキーもやってらっしゃったそうですが、今でも続けてらっしゃいますか?


渡辺茂氏: はい、今でもしています。学生の頃はシーズンに3回ぐらいは行っていたと思います。今は1回か2回くらいでしょうか。あと、居合抜きもしています。集団競技は、やっぱり苦手なんですね。

良い論文は、共同作業から生まれる


――趣味に研究にと、アクティブに過ごされてらっしゃいますが、その原動力はどこから湧き起こるのでしょうか?


渡辺茂氏: 結局は、僕はのん気なんじゃないでしょうか。野次馬的というか、色々な方面に好奇心が強いです。今の若い人は、興味の範囲がものすごく限られているように感じます。心理学に興味があっても、それも心理学の中の一部分だけで、しかもその一部分のある方法の研究とか、すごく限定されてしまって、他のことにあまり興味を持とうとしていない気がします。

――研究をしていると、色々な発見があると思うのですが、その時はどのような気持ちなのでしょうか?


渡辺茂氏: 実験によっては、もの凄く分析をした後でないと分からないというものがいっぱいあるのですが、僕のやっている実験というのは、その日のうちに分かるようなものなんです。すぐに結果が分かると、やっぱり楽しいです。その瞬間というのは誰も知らない、自分だけがこの実験結果が分かっているといったワクワク感が大きいです。

――研究結果を、いわゆる研究会の中でだけでなく、本という形で、広く一般の人たちに伝える役目もされていますが、そもそも執筆のきっかけというのはどういったことだったのでしょうか?


渡辺茂氏: 先方からお話があって書いたんです。最初に一般書を書いた時は、大変勉強になりました。僕が初めて書いた時、原稿を出版社の人に見せると、読むなり「先生これは実験報告だ」と言われてしまいました。研究者仲間だと、「どうやってこういうことが分かったのか」というところを非常に正確に書く習慣があります。だけど普通の人は、そういった部分にはあまり興味はないわけですよ。一般書というのは、「今何が分かったのか」ということが大事なのだと分かりました。それを知ることが出来たので、編集を担当してくれた方には大変感謝をしています。

――書く上で先生が大切にされていることはありますか?


渡辺茂氏: 編集の方に「ページが黒い」つまり漢字が多いということを言われたこともあります。漢字をひらがなにしただけでも、普通の人は読みやすい、抵抗が少ないんだというところもあります。例えば“私”とか“思う”とか“考える”とか、そういう読むことにおいて負担が少ないものでも、ひらがなにしておくと取っ付きやすい。漢字がたくさん並んでいるとやっぱり読みにくいなどといったテクニックを割と最初の頃に教えていただいたので、執筆する際は、レベルは落とさないで言葉を易しくして書くということを心がけています。
学術論文の場合は、雑誌に投稿するとそれを読んだ人が色々とダメ出しをするというか、そういったやり取りをして直していきます。それで怒ってしまう人もいますが、僕はそういった共同作業は大事だと思うし、それを経て最終的にいい論文にしないといけないと思うのです。最初の頃に英語で論文を書いた時に、査読した外国人が「英語が酷い」と書いてきたことがあります。でも最後の行には「何語であっても、自国語でない言葉で論文を書くという努力に大変敬意を表する」と書いてくれていました。今は査読をされるより、する方が多いのですが、これは著者と良い論文を作る共同作業なんだという気持ちで査読をしています。

一番の魅力は「スペース」


――先生にとっての理想の編集者像というのはどういった人でしょうか?


渡辺茂氏: 書く人と視点が違うわけですから、はっきりモノを言ってくれる人がいいと思います。編集して売るために、商品にしなくちゃいけない。書く側とは視点が違うので、「それはこういう視点から見るとこうだ」ということを、はっきり言っていただいた方がいいと思っています。それから、僕らでも見落としてしまう変換ミスがあります。それは、編集者が注意しなくてはいけないところじゃないかなと思います。

――近年、電子書籍が登場しましたが、電子書籍の可能性はどのようなところにあると思いますか?


渡辺茂氏: 一番はスペースですね。去年定年になったので、オフィスを引き払わなきゃいけないのですが、本は本当にどうしようかと思いました。家に運ぶつもりでいたのですが「住まいというのは人が住むところだ。本の置き場所ではない」と奥方に言われました(笑)。それで3分の1ぐらいに減らして、残りの3分の2に関しては、オフィスの前に長いテーブルを出しまして、古本屋を開きました。
それと、電子書籍はあれこれ探さずに済む。本だと、結構二重に買ってしまうこともあります。「買ったと思うんだけど、どうしても探せないから買うか」とか。そういうこともあるので、検索ができるというのも有り難いですね。

――今でも書店へ行かれることはありますか?


渡辺茂氏: 本屋に行くのは割と好きなんです。特に学生の頃はお小遣いをもらうと丸善に行って、それから神田に行ってと、本屋巡りをしていました。その前にちょっと祖母のところに寄って小遣いをもらったり(笑)。本を買う時は、タイトルや著者を見ます。一番よく行く本屋は今では大学の生協かもしれません。

――先生にとって本の魅力とは?


渡辺茂氏: 今はちょっと変わりましたが、昔の紙媒体の洋書には独特の匂いがありました。何の匂いなのかは分からないのですが、あれは紙の匂いでしょうか。和書ではなく洋書の匂いがとても好きでした。それから、自分の好きな本が並ぶ本棚を眺めるのはなんとなく心が和むし、何度も取り出して読む本もあります。時たま模様替えなどもしますが、そういうのは結構、好きです。電子版は、情報としては圧倒的に便利だと思いますが、活版とは装丁などがやっぱり違うんですよね。

小学校教育から、心理学の基礎を


――先生の使命とは?


渡辺茂氏: 心理学に関して言いますと、あまりイノベーションがありません。僕は50年くらい心理学の変遷を見ているのですが、流行り廃りは色々あるのですが、例えば同じ50年間の物理学や生命科学の発展と比較してみると、心理学はちょっと堂々巡りをしているようなところがあって、あまりイノベーティブではありません。だから、もっと本質的なイノベーションを心理学者にやってもらいたいと思っていて、僕はその手助けをしたいと思っています。今までのようにコンテンツを増やしていくだけではなくて、何か根本的なイノベーションを考えてほしいというのを学会向けに発信できたらなと思っています。僕らの頃は、輸入学問だったんです。輸入学問というのは、輸入したものをノックアウト方式というか、輸入された方法で新しいコンテンツを作るということをみんなでやってきたのです。心理学は他の学問より少し遅れているなという雰囲気を僕は感じているので、もうちょっと根本的なイノベーションに取り組んだ方がいいと思います。

――心理学の教育の面について、どう思われますか?


渡辺茂氏: 心理学というのは中等教育に出てこないので、心理学を勉強する人は大学に行った人で心理学を選択したごく一部です。ところが大学で心理学を習わなくても「心理学というものはこういうものではないか」と言うと、みんな何かしら自分なりに持っているようなのです。でも学校で習うのとは随分違います。だからトンデモ本といったものが書店で山のように並んでいるのだと思います。もう少し基本的な人の心の仕組みといったものを、高校ぐらいまでに一度習っておいた方がいいんじゃないかと思います。
人と人との関係などを考えると、心理学の基本的な所は小学校の頃から身につけた方がいいんじゃないかと思うんです。例えばいじめ。それがいけないことなんて誰でも分かっていても、やってしまう。だからこそ、人間というのはそういうところがあるのだというようなことを、ちゃんと知識として教えておいた方がいいと思うんです。

――他にも必要だと思われる教育はありますか?


渡辺茂氏: 例えばクスリとか、或いはパチンコ、ギャンブルなどの、なにかに溺れるという問題なども教えておいた方がいいんじゃないかと思っています。心理学的なリテラシーというか、常識といったものを、もう少し若いうちに学習するような制度になったらいいんじゃないかなと思っています。

――今後の展望をお聞かせ下さい。


渡辺茂氏: 最初にお話した共感の研究というのを進めているので、それはかなり詰めていきたいと思っています。それから、動物に絵を見せるような仕事を随分やっているので、一度それを本に纏めてみたいと思っています。美の起源みたいなもの、或いは動物の美というものを、チャンスがあれば纏めてみたいと思っています。例えば、美は人間に固有のものではなくて、それには進化的起源があって、ある部分では動物もシェアしている。またシェアしていない部分もあって、最終的に何がきれいかというのは個人の問題だし、文化の問題もあると思います。人ではなくても脊椎動物の脳ならば、「こういうものが気持ちがいいんだ」というようなものがあるのかもしれない。そういったことを、今後は纏めてみたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 渡辺茂

この著者のタグ: 『大学教授』 『心理学』 『原動力』 『研究』 『理系』 『書き方』 『実験』 『動物』

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