渡邊啓貴

Profile

1954年、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業、同大学院地域研究科修士課程、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程、パリ第1大学大学院博士課程修了(DEA)。国際関係論・ヨーロッパ国際関係史・フランス政治外交論・米欧関係論・広報文化外交等を専門とする。 2008年から2010年には在仏日本大使館公使を務めた。 著書に『シャルル・ドゴール:民主主義の中のリーダーシップへの苦闘』(慶應義塾大学出版会)、『フランスの「文化外交」戦略に学ぶ―「文化の時代」の日本文化発信』(大修館書店)、『米欧同盟の協調と対立 ―二十一世紀国際社会の構造』(有斐閣)、『ヨーロッパ国際関係史―繁栄と凋落,そして再生』(有斐閣アルマ)など。

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2番目の新聞を作ったフランス時代


――パリ第一大学へと行かれることになった理由は、どういったことなのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 大学の卒業間近に「もう少し勉強がしたい。半年でも1年でもいいから、海外へ行きたい」と考えました。社会的地位や立場にとらわれず、現地の人たちとできるだけ同じ目線で生活してみたかったので、オーバードクター(博士だが定職に就いていない人)になった30歳くらいの時にパリ第一大学に入学しました。とても貧乏でした。留学は1年のつもりが2年半位になり、後半はアルバイトとして、週に限られた時間ではありましたが、日本人がやっていた会社で働いて生活をしていました。当時はちょうどバブルが始まる頃で、日本の企業が海外支店をたくさん出していました。フランス語も英語もできない人が、パリの支店に送り出されることも結構あったので「ビジネスに関係する毎日のフランスの情報誌を発行したら絶対に儲かる」とある人に話しました。その結果、日経コンサルティング企業からその企業の広報も兼ねて日刊の情報冊子を出そうということになりました。

――どのようなお仕事をされていたのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 当時、まだインターネットがなく、FAXがようやく出てきた頃だったので、毎日15のニュースを選んで、A4の紙で2枚、契約した日系企業の駐在事務所に毎朝FAXで送っていました。私は編集長だったのですが、大学院の学生の身分でもあったので、午前中半日しか働かない、ということを条件に半ばサラリーマンをしていました。そのうち13個は三行記事で、あとは400字~600字位の解説記事。フランス日刊紙五紙の1面トップの記事から2つを少し長めに要約して、あとは政治・社会・経済の一般記事、芸能記事やスポーツ、ファッション・イベント関連の記事。当時は年間購読料を何十万円かで売っていました。雑誌とは違い、新聞登録にはお金がかからないということでこの冊子の正式な登録形態は「新聞」でした。当時の紙名は『メディアダイジェスト』です。海外で出ている日本語のメディアのうち、新聞登録をしているのは、かなり昔にシアトルで日本語新聞が出て以来だったそうなので、私たちが2番目の海外発行の日本語新聞となりました(笑)。その新聞は、タイトルは変わりましたが、今でもインターネット販売で存続しています。当時の私の同僚が中心になって運営しているそうです。パリには同時通訳や翻訳を専門とする会社がいくつかあり、そのひとつの大手企業でNHKや大使館の仕事を請け負い、設備も従業員の数も私の働いているところよりはるかに大きな企業がありました。そこが「(私たちのような小さな会社でやるぐらいなら)、うちも出す」と言いだして、ファックス送信メディアの競争が始まりました。その会社は人手もお金もあるから、厚い冊子で出していたのですが、あまり売れていませんでした。「忙しい人たちが相手なので詳しく読む時間はないだろう」と私たちは考え、2枚という少ない枚数と、「3行読んだらもっと読みたくなる」ということを売りにして、差別化を図ることにしたんです。実際には私たちのつくったものの購読部数の方がはるかに上回っていました。

「めったにないチャンス」を追いかける道へ


――最初の本はいつ頃書かれたのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 実は、最初に書こうと思っていた本を、いまだに書けていません。それは第二次大戦勃発の原因論争についての本です。もう今では人生の最後に書きそうな気もしていて(笑)、自分にとっては痛恨の極みです。「3ヶ月もあれば書けるだろう」と思いながら、気付けば四半世紀経ってしまいました。研究をするためにフランスに行って、第二次世界大戦前の政治家や役人の直筆の読みづらい筆記体の文書を読んだりしました。最初は読めなかった今から80年以上も前の政治家や役人の書いた文字が1か月位経つとすらすらと読めるようになりました。そういった当時の首相や外務大臣などの資料を使った外交史の本がまだ出版できていないのです。「あと半年あれば本が出せる」と区切りをつけて日本に帰ってきたところ、大学院時代からお世話になっていた堀江湛先生(慶應義塾大学)の「還暦記念集を出すので一冊にまとめてほしい」という話がきました。それが最初の本の『ミッテラン時代のフランス』です。還暦記念に間に合うように、今まで書いてきたものの中からまとめ易い論文をアレンジすると同時に、半分は書き加えたりするなど、大急ぎでつくりました。ですから、今振り返ってみると踏み込みが弱かったような気もします。ただ、フランス政治の現代について、ジャーナリスティックな見方ではなく、社会科学を専門とする研究者の本は当時なかったので、意義はあるかなと思って書きました。



――次の本の構想などは、先生の中ではあったのでしょうか?


渡邊啓貴氏: 最初の本である『ミッテラン時代のフランス』を出す目処が立ったと同時に冷戦が終わり、それからは歴史(外交史)の本を書くか、冷戦後の予測不可能な世界を追っかけるかどうかで悩みました。でも「めったにないチャンスだ」と思い、冷戦後の10年を追いかけることにしました。15年ほど経てアメリカに行くことになり、次は米欧関係の歴史を研究しようと思っていたら、今度はイラク戦争になってしまった。私はワシントンのホワイトハウスのそばにあるジョージ・ワシントン大学の研究員をしていました。ですからブルッキングス研究所をはじめとする色々なシンクタンクが組織するセミナーやシンポジウムに出たりインタビューをしたりしました。ホワイトハウスに入ったりしたこともありました。そういった経験を踏まえて、帰国してから『ポスト帝国』と『米欧同盟の協調と対立』を出すことになりました。

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この著者のタグ: 『大学教授』 『海外』 『働き方』 『新聞』 『留学』

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