「これこそが外交だ」という思い
――2013年には『シャルル・ドゴール』を出されましたね。
渡邊啓貴氏: 『シャルル・ドゴール』は評伝という形にしました。その人の生涯をたどりながら面白いところをピックアップするだけでなく、「ベーシックなものもきちんと書いて時代が分かるように」と考えながら書きました。私はそれをとても重要なことだと思っています。一点突破で書いてしまうと、時代と共に解釈が変わったり曲解されたりすることもあるので、そこが難しいところです。性格的に寄り道が多くてなかなか本題に戻れないこともありますが、色々な側面を集約した形にしたいなと思いながら本を書いています。ただ、この本も本当は10年位前に出ていなくてはいけなかった本だと自分でも思いますが、なかなか筆が進みませんでした。
――筆が進まなかったのは、なぜでしょうか?
渡邊啓貴氏: 結論が出なかったのです。ドゴールという人は、日本では「新しい時代を理解できなかった単なる硬骨漢だったのではないか」という声が一般にあります。それではフランス人は道を誤った指導者として彼を理解しているのかというとそうではありません。むしろ非常にポジティブに現代のフランスを創った人として評価しています。朝日新聞で保坂正康さんがこの本の書評をされていましたが、「ドゴールについてフランス人のジャーナリストが悪く言っている席で自分も一緒になって批判的なことを言ったら、『アメリカの庇護の下で安閑としている日本人に言う権利はないだろう』という趣旨のことを言われて逆に叱られた」と。それはドゴールが単にアメリカに対して言いたいことを言ったというような表面的な解釈ではなくて、自分の思う生き方をするために権利を担保しようとした、相手を説得しようとした、という意味での評価が高いのです。地球を何十回も爆発させられる原爆を持っている国に対して、フランスの保有する地上発射ミサイルの数はモスクワを叩くだけの目的でつくられた中距離ミサイルが13機。まるで張り子の虎のようだと思うかもしれませんが、そのことによって自分たちの意見を通すことができたのならば、フランスの核抑止力が誇張やはったりだとしても、それこそが外交なのだと私は考えています。言うべき時は身を挺しても言うべきだということ、それが外交なのだということをフランス人は分かっています。出版した後で「そこまで書き込めば良かったな」と思った部分がいくつかありました(笑)。研究したことを世間一般に上手に伝える、アピールするといったことが私はあまり得意ではないのかもしれません。
ヨーロッパやフランスの現実を知ってほしい
――そういった部分はどのように工夫されるのでしょうか?
渡邊啓貴氏: 編集者の力も大きいと思います。具体的ではなくても「これを書いてください」と言ってくれたり、「ここは切ってもいいですよ」などと言ってくれる編集者だと助かります。ドゴールの時は「先生の感想をできるだけ書いて下さい」と言われました。もちろんそういった要求の中には受け入れられるものと受け入れられないものがありますが、『シャルル・ドゴール』のときには編集者が良いアドバイスを随分くれました。それだけの自信を持っている編集者が必要なのだと思います。私が何か良い発想を持っていたとしたら、それを編集者に引き出してほしいと思っています。今私はパブリック・ディプロマシーの重要性をどのようにして一般に理解してもらうかということに関心があります。
私たちに求められているパブリック・ディプロマシー(広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動)とは、よりフェアで民主的なものだと私は思っています。それをどういう風にすれば、日本で伝えることができるのかと、ここ数年悩んでもいるのです。
――本を書いてこれを伝えたい、というものはありますか?
渡邊啓貴氏: 私なりのフランス論やヨーロッパ論を伝えたいと思っています。私はヨーロッパやフランスの現実を知ってほしいと思い、30年以上活動を続けてきました。「日本とは全く違う」と思っている人も多いかと思いますが、オイルショックの後のユーロスケプティシズム(ヨーロッパ懐疑論)などは、バブルがはじけた後の日本に似ている部分もあるのです。フランスの出生率が低くなった時期がありましたが、今はまた2人台に戻りました。子どもが3人いる家庭も多く、3人目以降については手当がぐんぐん高くなるなど、80年代から色々なことをやり始めて、15~20年位経ってから成果が出てきています。
著書一覧『 渡邊啓貴 』