本質を追究し、ビジネスの世界で本当に役立つものを伝えたい
デジタルハリウッド大学教授。東京大学大学院教育学研究科を退学後、同大学医学部にてコンピュータ利用コミュニケーション研究を行い、90年には株式会社認知科学研究所を創設。ストレス診断や教育システム、問題解決技法の開発などのコンサル・企画に従事。その後通信機器販売会社にてインターネット事業を推進し、世界最大のIT系EXPOを幕張メッセで成功させました。さらに国家認定のIT資格試験の受託開発、大手資格会社のレーザーディスク活用による教育コンテンツ事業で企画・監修などを手がけられました。また心理学者としても、TVレギュラー出演などが多く、著書には『ビジネス心理(全3巻)』『認知科学:仕事力』など多数あります。また、ビジネス心理検定を行う心理系学会の創設などに力を注がれるなど、精力的に活動を展開されている匠さんに、教育者、そしてプロデューサーの目からみた「今、必要なこと」を語っていただきました。
求められているのは、しなやかな強さ
――創造性の心理と認知科学の研究を、学生の頃からされていたそうですね。
匠英一氏: 元々認知科学という分野は、脳科学と心理学を合わせたような学問なのです。“どうやってそれをビジネスで応用できるか”といったことに非常に関心があったので、起業することそのものが私の研究テーマでもありました。どうやって組織の中でリーダーシップをとるか、企画発想などをどういう風に高めるかということをやってきました。ですから、人類学といった意味では、私にとってはビジネスの場が研究の対象だったのです。本の中では、理念として、“どうやってビジネスとして成功させるか”ということを紹介していたつもりです。ですが、売れた本の中には、私がやろうとしていた内容とはちょっとギャップがあったものもあります。私の書いた『「認知科学」 最強の仕事力』という本がありますが、私のこの本のイメージは、むしろ、もっと柔らかい柳のような、しなやかさを持つ強さを意味していたので、それと「最強の」という力強いイメージとは違うのではないかと思ったので、自分としてはあまりピンときませんでした。同じ意味でも、受けとる人間が違えばイメージも変わるんです。
――匠さんの “強さ”に対するイメージが、「最強」のイメージとは異なったのですね。
匠英一氏: リーダーに関しても、今必要なのは、その場や組織に合わせたタイプだと私は思っています。自分自身が引っ張っていくというよりは、その人たちを支えてあげながら、相手の強みも引き出していく、といったイメージなのです。それはある意味有能なコーチでもあるということ。実際、そういうリーダー像が今、コーチングや人材開発など、色々なところで活躍しています。今、心理学ではコーチング心理学、それから私が今やろうとしているマネジメント、マーケティングという領域の心理学が注目されるようになってきているのです。コーチングはスポーツだけではなく、最近ではエグゼクティブコーチングがあったり、役員クラスにコーチがいたり、アメリカでは大統領にもコーチがついています。コーチング心理学という学会ができたのもつい最近で、日本では去年できました。
――コーチングが広まった理由とは?
匠英一氏: 仕事をする上で、やはり自分と相手との関係性を最適なものにして、且つ、その人の強みをどう生かしてあげるか、といったことが重要になってきたということだと思います。分析する力が大事だし、またそういったことをチームに近い形式で、全体で調整することが必要になってきたのだと思います。大学においても、人気の高い先生というのは、生徒を引っ張って行くというよりは、良さを引き出してあげている人。ですから私自身もそういう風になれるよう、心がけています。学生が自分を見る時に、「自分は何ができるか」とか、「何に自信を持てるか」とか、それとは反対に就活で自信をなくして鬱になったり、不安な気持ちになったりといったように、二極化しているように思います。大学の先生の役割も、どういう風に相手に自信を持たせるかとか、その人自身が「大丈夫だ」と思えるような癒し感を作ってあげるといったことが、すごく重要になってくるのです。大学での先生方のあり方も変化してきていますね。でも、言いは易くであってなかなか難しい点でもあります。
昔から企画・プロデュースが好きだった
――企画のお仕事もされていますが、昔からそういったことはお好きだったのでしょうか?
匠英一氏: そうですね。中学の頃から地元のガキどもを引っ張ってサイクリングに出掛けて、100キロ程離れたところへ行ったりしていました。その頃からプロデュースのようなことをしていたのです(笑)。中学3年の時には、近くの浜に分厚い4、5メートルもある門が打ち上げられていたので、それを改良していかだを作りました。『ロビンソン・クルーソー』も読んでいたので、旗をなびかせて四国まで渡ろうとしたんです(笑)。それはちょうど受験の時期でしたが、私にとって、それはミッションという感じにも思えて、1キロぐらい沖まで行きました。夏だったので浜が海水浴場になっていて、海上パトロールの方がいたのですが、その方から「お前たち何をやっているんだ。海流に巻き込まれて遠くに行っちゃうぞ」と言われ、引っ張られて陸に戻されました。そこで夢破れてしまいましたね(笑)。
――高専のご出身だということですが。
匠英一氏: 実は、私は大学も大学院も行くつもりがありませんでした。中学校卒業後は、全寮制だった5年制の国立工業高専の電気科に通う事になり、家から離れました。最初はエンジニアになろうとしていたのですが、3年生位から段々やる気をなくしてしまい、陸上クラブで走ってばかりいました。その頃は世の中のことがよく分かっていなかったので、自分が何になりたいのかもよく分かりませんでした。当時、私はクラスでビリから3番目ぐらいで、拳法部のキャプテンとラグビー部の主将、そして陸上クラブの私は3バカトリオと言われていたのです(笑)。でも本を読むことは昔から好きでしたね。すごく良い図書館があったので、授業を抜け出して図書館に行き、岩波新書を端から順に読み始めました。私の勉強スタイルは、最初に分かってから詰めていくようなタイプではなく、ざっくり全体を把握してから個別に関心をしぼっていくという感じなのです。そうして読んでいくと、最初は2割くらいしか分からなかったのが、3割、そして4割位分かるようになると面白くなっていき、3日に1冊ぐらいは岩波新書を読みあげていました。
受験は自分を成長させるための手段
――本を読むことによって、見えてきたことはありましたか?
匠英一氏: 「世の中はどうなっているんだ?」といった問題意識が出てきました。それで、4年になった頃に、たまたま五木寛之の『青春の門』を読んでいたのもあって「やっぱり大学に行くべきだ。私もボクシング部に入ろうかな」と思いました。本来であれば5年で卒業だったところを、4年で辞めるので、1年損をすると親からは怒られましたが、大学へ行くという私の決心は固かったのです。受験が2月に迫っていましたが、その年は難しいだろうと判断し、「1年浪人をして大学へ行きたい」と言って両親の反対を押しきりました。「大学へ行くのだったら自分でやれ」と言われたので、京都に行って新聞配達と牛乳配達をすることにしました。京都の金閣寺の近くの牛乳屋さんに入って、朝の3時半くらいには起きて、軽四であちこち回っていました。牛乳は飲めるし、自然の環境も良い。新聞も読めるし、勉強しかすることがないという環境で、その1年間で集中して勉強するのが自分の習慣になり、受験そのものが楽しくなりました。
――辛くはありませんでしたか?
匠英一氏: 自分の場合は学ぶことに没頭できたという意味で逆でしたね。ポジティブ心理学で非常に有名になったミハイ・チクセントミハイという方がいるのですが、そういう感覚をフロー、つまり流れる感覚と提唱しています。それは人間の成長や学習にとって、ものすごく重要なのですが、私は当時、まさにそのフロー状態を作ったのだと思います。8月の夏休みには、『カラマーゾフの兄弟』や『戦争と平和』などのトルストイの本やロマン・ロランの本などの長編を読み始め、受験勉強そっちのけになってしまって、読書に1か月丸々費やしてしまいました。それで9月の模試は600人中の後ろから10番目ぐらいという最低のレベルでした。でも、『ドラゴン桜』ではありませんが、4か月後の最終の模試では、60番くらいになりました。私にとっては何か特別なことをしていた訳ではなく、マイペースに全体の概要を把握しながら勉強をしていったのです。当時は日本史の方が得意だったのですが、途中から数学に重点を置くようにしました。「自分の創造性など、数学的な能力は若い時に鍛えろ」ということを心理学の本で読んで、「数学をもう少し勉強しようかな」と思ったのです。私にとっては、受験そのものが自分を成長させるための手段になっていたのだと思います。大学受験がどういう結果になろうが、自分のやったことの結果だからそれでよい、という感じが強かったように思います。
――予備校などには通われていたのでしょうか?
匠英一氏: お金もないので予備校には行きませんでした。でも、私自身は本質的なことを分かろうとしていたので、それだけで良かったと思っています。私の場合は納得できるまでやらないと気が済まないので、「微積とは何か」といったところから考えるのです。そうやって考えて、先に自分のやり方を作ってしまっていたので、教科書を後から見て、自分が作ったやり方や法則を教科書で発見することに楽しさを感じていました。ですから、最初に何か答えを探すために本を読んで、それを真似するという発想はあまりないのです。先に自分で仮説を作って、他の有名な先生たちの本を見て、「これ正にその通りだな」と実証しているような感覚なのです。
今、何が必要なのかという視点
――精神療法の学会「エリクソンクラブ」の日本支部や、日本ビジネス心理学会など様々な協会は、どのようにして作られたのでしょうか?
匠英一氏: 私は90年に東京大学の研究者らと(株)認知科学研究所を創設し、「米国ミルトンエリクソンクラブ」という精神療法の財団をアメリカから日本に持ってきて、当時は、パソコン通信でカウンセリングをするという新しいネットビジネスをやろうとしていました。日本では心理療法を受けることが恥ずかしいなどといった事情があったからです。これは早すぎて失敗し会社も倒産してしまいましたが、ネット活用のビジネス創りに興味を持ち95年にネット接続器モデムのシェアの7割を持っているベンチャー企業に就職したわけです。
「今の時代において何が本質的に必要なのか」というのはマーケティングにとって一番重要なことです。私はまずプロトタイプを作ろうとするのですが、時期が早過ぎる場合が多く、9割は失敗でしたね(笑)。
でも、その失敗があったからこそ次のインターネットの時代が作られたのだと私は思っています。インターネットの父と言われた慶応大の村井純先生と彼の恩師に当たる石田晴久先生たちと一緒に日本インターネット協会を作り、世界最大のインターネット技術のEXPOの第1回目を幕張メッセでやった時も、自分が総合プロデューサーを務めました。その時に、東京マザーズ第1号として有名な藤原社長らとの繫がりができて、その後、eマーケティング協会などこれまでに15団体くらい創設しましたね。
――匠さんが礎を築いたものが、主流になりつつあるのですね。
匠英一氏: 2001年頃は、大手文具会社からマップシステムを上手く使いたいといった相談をされました。でも、私は「これからはもう少し別の形に変わっていくから、あまりそこに力を入れない方いいよ」と言って、当時まだなかったFacebookのようなものを作ることを提案したのです。これはeラーニングのベンチャーが部分的にその機能を入れる形で実現しました。その2年後に、早稲田大学と大手印刷会社との共同出資による事業化を図りましたが、これもキラーアプリとなるベンチャーが途中でこけてしまい、ご破算になってしまいました。時期が早過ぎて実現しなかったということに対しては、悔しい思いがありますね。
最近では、2010年にビジネス心理検定を普及させる学会(匠氏が副会長)を創設し、『ビジネス心理公式テキスト』の初級・中級・上級と全3巻を中央経済社から去年出しました。
――なぜビジネス心理だったのでしょうか?
匠英一氏: マネジメントは社員の心理で、マーケティングは顧客の心理なのです。『心理マーケティング』という本を日本能率協会から出していますが、その類の本できちんとした根拠のある理論の本がほとんどなかったからです。実は、中国版では違うタイプの翻訳本が2冊出ていますが、本質を書いた本だから他の国でも通用するのだと思います。満足度や、商品がヒットしたかどうかということではなく、本当に大事なのは、営業や販売の現場でお客さんにどうやったら売れるのか、といった心理なのです。現場を経験しているコンサルタントの方がそれに関して書いている本はあるのですが、実践を理解した学者が書いた本はほとんどないのです。それはやっぱりおかしいし、偏ってしまいますよね。そこをなんとかしなきゃいけないと思い、検定にして世の中に広げようと考えたのです。それで、大学の先生や実務のコンサルなど40人程集めて学会を作るところから始め、検定の教科書を作るのに3年費やしました。
――「なんとかしないといけない」という思いが強いのでしょうか?
匠英一氏: ある意味で“ミッション”のような感情だと思います。私は坂本竜馬のファンで、司馬遼太郎の本を読んで感動しました。竜馬自身、脱藩してそれまでとは違う世界に入っていきましたし、身分の差があった同じ武士の中で虐げられる立場にいました。彼は町人と武士という異なる立場を経験する中で沢山の矛盾を感じるわけです。それと、心理学的には非常に興味深いところが、彼が女系の家で育ったという点。女性の心理も分かるという、武士社会とは異なる境界線にいたということが、竜馬にとって非常に良かったのかなと思うのです。私も高専に通っていたという、ある意味で学歴社会の異端な境界線にいたのが、逆に良かったと思っています。私は受験制度には少なからず反発を覚えていますし、周りを見渡しても、学者のために博士号をとるという受験の延長のような感じで、心理学を「心の科学」という視点でやっている人があまりいませんでした。でも、結果として本質的なことから外れてしまい、個々には良いことを言っていても全体としては繋がらない。自分の範囲から少しずれてしまうと「それは自分の専門じゃない」となる訳ですが、そうやって切り捨てていたらビジネスの役には立たないわけですね。
だから私は検定においても、狭くなることを避けて、問いを作る力を重要視していますし、そういった試験も上級では作る予定です。良い問題が作れるということは、能力があるということなのです。
隙間時間を使って学べるシステム
――本を書くきっかけとは?
匠英一氏: 私は、受験予備校の講師を大学院時代からやっていたのですが、自分が納得できるような参考書が当時見つかりませんでした。「自分が認知科学を応用すれば、今よりもっと納得感が出る本が書けるはずだ」と思ったのが本を書くきっかけとなったのです。
日建(ニッケンアカデミー)というところで、総額80億の予算で、レーザーディスクを使った教育システムを、全国に400教室で作るという計画がありました。それは私が30歳頃の時で、「私が今、研究をやっているから、その原理を参考にしてやりましょうか」という話になり、監修・コンサルを引き受けることになりました。それで大学受験のための数学の参考書を全3巻(後にコンクールで受賞)書いたのです。
――参考書を作る時は、どのような工夫をされたのでしょうか?
匠英一氏: 数学では、同じ問題でも3通りぐらいの解き方があります。その問題をワンパターンで解いたら正解、といった本ではなく、最初に仮説を選ばせて、そこから解くということをさせるのです。どの仮説を選んでも解答を作ることができるのですが、より数学としてのエレガンスさを求める、というようなパターンの参考書にしました。そういう発想がないと、参考書も面白くないですよね。
図解なども駆使して、イメージ的に分かるように作ったら、それが教材のコンクールで入賞しました。次の依頼は「無意識の心理」という面白いテーマで、「少し女性向けの本を書いてくれないか」といった話でした。それも評判が良かったのです。特に、仕草をテーマにした本『しぐさと心理のウラ読み事典』は、私は内心「一番売れない本かな」と思っていたのですが40万部も売れました(笑)。そうやっていくうちに、テレビからも声がかかりました。その当時はインターネット関係の会社にいたのですが、心理学者という顔とITのコンサル屋さんの顔とでは全く違うわけです。
そんなことから、やっていること自体は、自分の中では一貫しているつもりなのですが、会社の仕事ではITコンサル屋さんで、本を出すときやTV出演する時は心理学者というように二つの顔を持つようになってしまったというわけですね(笑)。
――大学ではオンラインのものも使っているそうですね。
匠英一氏: ネットは私にとって不可欠なものですから、どんどんデジタルの本的な発想になってきています。本もAmazonなどで、電子書籍で販売したいなと思っています。昨年よりビジネス心理検定のオンライン講座を作り、おそらく日本初だと思うのですがスマホで見られるように5、6分単位で分けてスキマ時間で学べるコンセプトにしたのです。30分くらい見れば分かるといったものならば、色々なeラーニングにもありますが、そんな形では忙しいビジネスマンには受けません。
このコンセプトの背景には、実は6年前に保育系の大手企業向けに企画した「動画OJT支援システム」というプランがありました。これは保育士の教育用の動画教材であり、それを見てお乳やミルクなどを赤ちゃんにあげる動作などがすぐに分かるようなトレーニング動画を作ったのです。
その企画が、経済産業省が選考する候補の15社のうちに入りまして、計3000万円ほど補助金もらうことになりました。これは応用範囲も広いため評判が良かったですね。検定用のオンライン講座では、ネット上で○×クイズのようなものを解いてもらい、間違った時に解説ボタンを押すと講師が登場して動画解説するなど多様な形で連動しているのです。この動画は全3巻の教科書と全てマッチングさせているので、教科書を読んでも分からなかったら、こちらを見てもらえば分かるはずです。
繋がりを見つける、総合プロデューサー
――電子書籍の新しい可能性ですね。どのようなお気持ちでお仕事をされているのでしょうか?
匠英一氏: 私自身は、本質的なことをやりたいのです。「匠さんはeラーニングの専門家なんですか?」と聞かれることもありますが、「eラーニングの会社の技術顧問だったこともあるけれど、私は一般的な「eラーニング」はやりたくない」と答えます。“いかに合理的に納得や理解が進められるような仕組みにするか”を根本から考えたら、こういった形(スマホ対応オンライン動画)になったというだけの話なのです。講演も、「営業マンを育てたい」という相談があると、私は「皆を集めて講座的なことをやる必要はない」と言っています。営業のプロセスで、特にできる営業マンがどのようにやっているか、という場面だけを5、6分で幾つかに分けて、サブタイトルと解説を付けるというのをオンラインで作るのです。でもそれは、私にとってはeラーニングではなく、動画の営業マニュアルなのであって、必要な場面で逆引き辞典として使ってもらいたいのです。たまたま私自身が複数の領域をやっているから様々な繋がりが見えてきますし、それを累乗的に繋げていったらこのような形になってきました。繋がっているところを見つけるというのが私の得意とするところなので、ある意味、総合プロデューサーなのかなと思っています。
――プロデューサーとして、新しいものを作り続けていらっしゃいますね。
匠英一氏: 認知科学、認知心理学をベースにしながらビジネスの世界で本当に役に立つ、新しいビジネスモデルを作るのが私のミッションだと思っています。そのためにオンラインの講座や、新しいネットマーケティングなど業界団体も創ってきました。
今年は、顧客情報を活用する検定試験や「アクティブラーニング協議会」というのを作って、新しい学びの仕方(反転授業)を広げようとしています。自宅でオンライン講義を受けてもらって、大学や学校に来た時は、ディスカッションをしたり、ものを作ったりするなど、みんなで集まってしかできないことをやるのです。今までの講義とは逆のスタイルですね。これはスタンフォード、ハーバード大学などではもう成功モデルとして出てきています。文科省の方でも反転授業を進めていこうということなので、アクティブラーニング推進協議会というのを作ることにしたわけですが、国の予算をもらうことができませんでしたので、当面は啓蒙的なセミナーをするなどやっていく予定です。
――今後はどのようなことに力を入れていきたいと思われていますか?
匠英一氏: 自分が言ったり感じたりしたことを広く伝える手段としては、もっと電子ブックのように、検定の教科書や本を立体的にしていきたいと思っています。文字には文字の良さもありますが、本に書いてあることは紙媒体としての一部であって、そのバックには私たち著者自身の言いたいことがもっと多くある訳です。それを上手く繋げていくことができるようなモデルを、もっとビジネスに広げていきたい。リアルとネットを上手く連結させ、ユーザーであると同時に文字媒体と繋がっているという感じかな。それに共感してくれる人がいれば、なおうれしいですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 匠英一 』