執筆に夢中。義務では良いものが生まれない
――最初に出された『身近な物理学 くらしのなかの物理から』と、その次に出された『身近な数学 数学って何だ』では、ドイツ語の翻訳をされていますね。
小山慶太氏: 高校の時にドイツ語を勉強していましたし、大学院の時に2年間、ドイツの大学の研究室にいましたので、ドイツ語は割と得意でした。講談社の人が私の教授のところに、「誰かドイツ語を翻訳できる人はいませんか?」と尋ねに来て、それで私に話がきました。ドイツのテレビ局が作ったテレビ番組に合わせて、カラフルな本を出しました。
自分で本格的に書いた本は、『物理学の広場』というのが最初でした。
――『物理学の広場』は、どのようにして作られたのでしょうか?
小山慶太氏: 小学校1年からの親友で、丸善の編集者をやっていた人がいるのですが、彼とお酒を飲んで話しているうちに、「こういうのでどう?」と、この本の企画が決まった覚えがあります。この本には思い出があります。専門的な内容を普通の人でもわかるように書こうかなと思って工夫したりして、この辺から本を書くのが楽しいと思ったんじゃないかな、と。それまでは翻訳がほとんどでしたし、それ以前は英語で物理の論文を書いているだけで、日本語で長い文章を書くといった機会はほとんどありませんでした。
この本では、章立てはしましたが、セクションみたいなものを割り当てた段階で、文章が頭に浮かんで来たんです。もちろん数字やデータは色々調べましたが、文章自体はサーッと書けてしまったので、「文章を書くのは割りと得意なのだな」と、自分でも以外な特技に気がつきました(笑)。
――その後、単著での本を多く出版されていますね。
小山慶太氏: これはもう、中毒です(笑)。研究者はみんな同じで、実験をやっている人はみんな実験中毒だし、数学者は常に紙を前に置いて考えている。中毒というと変な風に聞こえますが、別の言い方をすると“何かに淫する”というか、はまってしまうのです。多少なりとも人から評価されようと思ったら、それぐらいしなければいけません。つまり、義務やノルマだから何時から何時までしなきゃいけないとか、「達成しなければいけない」などと言っていては、良いものはできません。画家や彫刻家、作曲家も、何かイメージが湧くと、全部放り投げてまた制作に戻っちゃうこともあるでしょう。自分で言うのもなんですが、「こんなに本が書けたのか」と、改めて思います。自然に湧いて出てくるんでしょうね。また、つまらないと思いながら執筆していては、読者にメッセージは伝わりませんし、伝わらない本は絶対に売れません。自分が楽しんで書くということは、執筆における最低条件ですね。
――本には、読者の方へのメッセージなども込められるのでしょうか?
小山慶太氏: 楽しんでもらえれば、あるいは考えたことが伝わればいいなと思いながら書いています。私が本を書くと書評欄によく載るのですが、書いた意図を的確に読みとっていただいていると、「ああうれしいな」と思います。書評に載る本は、「良い本」としてピックアップされるので、だいたい褒めてもらっているわけですが、褒められても「ちょっと意図と違う」と思うこともあります。でも、どう受け取るかは読む人の自由です。書いたことがメッセージですから、「こうしなさい」ということをこっちから言うようなことはありません。
――執筆の際は、編集者の存在も重要なのではないでしょうか。
小山慶太氏: 書かせてもらえる場がなければ、本というのは出せません。その点では、編集者の役割というのは大きいと思います。編集者は刺激を与えてくれるので、「こういうのを書いたらどうか」ということを話しているうちに、フッと文章が湧いてくるっていうこともあるでしょう。
編集者は自分で書くのではなく人に書かせる立場ですから、書かせるような環境を作る、またその気にさせるということ、あとは良い企画を持ってくることが、編集者における重要な仕事なのではないでしょうか。
子どもがスマホを触る時代。電子書籍の将来は予想不可能?
――電子書籍についてどうお考えですか?
小山慶太氏: どうなのでしょうか。日本は、アメリカの影響を受けやすいので、「アメリカでどのぐらい普及しているか」ということだと思います。実際どうなのかよく知りませんが、携帯電話やスマホなどを見てもわかるように、我々が若い頃は想像もできなかったものが生み出されていますよね。今、あの小さい板状の電子機器が1つあれば、オモチャ然り何でも済んでしまう。現代人はまるで魔法使いのようになっています。私の孫は2才ぐらいですが、既に母親のスマホを借りて自分で動かしています。こんなに幼い頃からこういうものに慣れているのであれば、その子どもたちが大きくなった頃には、一体どうなっているんだろうと思いますし、知識の吸収の仕方や情報の取り入れ方というのは、もちろん我々の世代とは全然違ってくるでしょう。良し悪しで話してもしょうがないと思いますし、電子書籍がどうなるかというのは、正直に言えば、私には分かりません。
電子化が普及するのかどうかというのは、出版社も疑心暗鬼で手探り状態でしょう。でも、全く手をつけないと置いて行かれる、アメリカの企業にやられてしまうということで、ある意味、仕方なくやっているようなところがあるのではないでしょうか。
辞書などの調べものだったらいいのかもしれませんが、普通の本に関しては、電子書籍で読もうとは全く思えません(笑)。
――こちらの部屋の本棚についてお聞きしたいのですが、整理されていて、大変綺麗ですね。
小山慶太氏: 初めて来る人にはビックリされます。「先生もう辞めるんですか?」「引っ越すんですか?」「これでよく本が書けますね」などと言われます。なぜ研究室にほとんど本が無いかといえば、大学図書館がすぐ隣にあるからです。あそこに百数十万冊の本があるので、ここに好きな本を押し込んでも、たかが知れています。もちろん、よく使う本はすぐ側にあれば取り出せるという便利さはあります。でも大事なのは、本を置いておくことではなくて本を書くことなのです。
3年間使わなかったら、もう使いません。明窓浄机っていうでしょう?明るい窓で机の上は綺麗にしておきなさいと。これは当を得ています。極端に言えば、物なんていらない、と考えればいいのです。必要だったら図書館に行けばいい。思い入れがあったとしてもだいたいは二度と読みませんから、思いきって一度捨ててみることです。一時、断捨離というのが流行りましたが、実際にああいったことを習慣づけるのは大事だと思います。
――そういった考え方になったのは、地震があったからでしょうか?
小山慶太氏: それも1つあります。あとは年齢のせいかもしれませんが、物を抱え込んでおくのがうっとうしくなりました。これは私の持論なのですが、研究室の蔵書の数と著作の数は反比例するんです(笑)。本に囲まれている人ほど書かない。でも、時代小説などを書く人は、自分で得意なジャンルや世界があるでしょうから、集中的にその資料を古本屋などで集められますが、それはもちろん必要なものだと思います。そして、継続してその時代を書いているとなると、その資料はなかなか捨てられないということもあると思います。
――今、ここに残っている数少ない本というのは、どういった本なのでしょうか?
小山慶太氏: 自分の著作と、辞書、あとは漱石全集だけです。この岩波の漱石全集は、十何年も前のものですが、一番新しくて、作品が完璧。また、索引がついていて、引けばどの小説の何ページの何行目にあるということが分かり、非常に便利なのです。漱石はあと2年で没後100年になるので、色々な企画やイベントがあります。既に依頼もきているので、これはちょっと捨てるわけにいかないのでここに置いてあります。
一度きりの人生を大切に
――研究者として伝えていきたいことはありますか?
小山慶太氏: 先ほども少し話しましたが、私は、自分が楽しいから研究をやっています。それで発信してそれなりの反応があるということは、それを受け止めてくれる人も、つまり共感してくれる人がそこそこいるのだと思います。「こういう風にしなくてはいけない」などと、上から目線で説教するつもりは全くありません。「学問というのは楽しいんだ」ということを伝えたい。だから、例えば若い人が見て、「こういう道に進んで研究者になりたい」と思ってくれればそれでいいとも思います。1回の人生だから、好きなことをやってほしいなと思います。
――今後はどういった活動をされていきたいとお考えですか?
小山慶太氏: 2年後に大勢の人で書いた漱石辞典というのが出るのですが、それにも科学、科学者の関係の項目で参加しました。今後も科学の面白さ、それから歴史、また、今話題になっていることを色々な枠組みで伝えて行きたいなと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 小山慶太 』