村田裕之

Profile

新潟県生まれ。1987年東北大学大学院工学研究科修了。民間企業勤務後、仏国立ポンゼショセ工科大学院国際経営学部修了。日本総合研究所等を経て、2002年村田アソシエイツ設立、同社代表に就任。多くの民間企業の新事業開発・経営に参画し、中高年女性フィットネス「カーブス」、NTTドコモ「らくらくホン」、日本発の非薬物認知症療法「学習療法」の米国への輸出など、常に時代の一歩先を読んだ事業に取り組む一方、シニアビジネス分野・高齢社会研究の第一人者として講演、新聞・雑誌への執筆も多数。 著書に『シニアシフトの衝撃』(ダイヤモンド社)、『年を重ねるのが楽しくなる!「スマート・エイジング」という生き方』(共著。扶桑社新書)など多数。

Book Information

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感性を大切に


――渡仏されていますが、その理由はどういったことだったのでしょうか?


村田裕之氏: 私は20代半ばに、エネルギー問題の本質は石油だという結論にたどり着きました。石油のエキスパートにならない限り、エネルギー問題の解決はできないと分かったのです。石油ビジネスには、石油を探し当てて掘って生産する上流部門と、それを精製し、製品にして販売する下流部門があります。日本には殆ど下流部門しかありません。ところが世界を牛耳っているのは全部上流部門を持っている当時メジャーと呼ばれた石油資本でした。
戦争の歴史というのは石油の奪い合いの歴史です。現在の尖閣諸島も同じ。1970年代後半、石油ショックの後に尖閣に大きな石油の貯留層がありそうだというので、中国が領有権を主張するようになりました。20世紀は石油の世紀と言われましたが、21世紀も根本は変わっていません。原子力もまた、石油がないと成り立たないエネルギー源です。そこには莫大な資金と政治が関わる。私はその世界に行ってみたいと思い、出光を飛び出してフランスの学校に留学しました。
何て無謀なことをしたのか、後でよく分かりました。今はインターネットのおかげでフランス人もかなり英語を話すようになりましたが、25年前はフランス語を話せなければフランスでは生きていけませんでした。当時の大統領はミッテラン。首相のマダム・クレッソンが対日強硬派で日本に批判的でした。当時はバブル経済の頃で、私が日本人だと分かるとすぐに「何で日本はあんなに洪水のごとく製品を輸出するんだ」と言われました。国の外に出て初めて、日本人であることを再認識させられ、自分と関係のない国の問題も自分に問われるのだと知りました。「日本は何で女性が家に閉じこもって働かないのか」などと、色々なことを質問されました。また、当時は特にアジア系は差別されていたように思います。根強い人種差別というのは、今もあります。だから日本で在日韓国人などが差別されているのを見ると心が痛みます。一度でも自分が外国に行って差別された経験があるなら、そんなことは絶対にできないはずです。

――出光を辞めて留学というのは、大きな決断でしたね。


村田裕之氏: 親にも「何で辞めるんだ」と言われましたが、出光では石油のエキスパートになれないと分かりましたから。やらないで後悔するより、やって後悔するというのが、私のモットーだからです。
ただ、フランスでの生活は結構大変でした。初めの1カ月は「何でこんな所に来ちゃったんだろう」と意気消沈しました。歴史上の偉人の森鴎外や夏目漱石もみんなヨーロッパに行って鬱病になっている。寒い、暗い、物価が高い、人が冷たい、友達もいない、言葉も通じない。これではみんな鬱病になるわけです(笑)。でも、親にタンカ切って飛び出てきた以上、弱音は吐けない。親へ宛てた手紙では「元気にやっております。授業は充実しているし、世界中から色々な学生が来ているから大きな刺激を受けています」なんて書きながら、実際は涙が出そうなきつい毎日でした(笑)。

――そのような色々な経験が著書にも生きているのですね。本を出されたのは、出版社からのお話があったのでしょうか、それともご自身で企画を持ち込まれていったのでしょうか?


村田裕之氏: 2003年、当時シニアビジネスが注目され始めていました。私を真似て、若い人がコンサル会社を作って破竹の勢いでやっていたのですが、その人が先に本を出したのです。「あ、やられた」と思いました。中を見ると、私のデータを引用していて。それで、早く自分の考えを世に出さなければいけないなと思ったのです。そこで、前々職の日本総合研究所時代から知り合いだったダイヤモンド社の編集者の人に企画を手紙で出したら、「面白そう」と乗ってくれて、担当編集者に繋いでくれたのです。ダイヤモンド社で出版が決まった時は、もう、うれしくて、うれしくて。「ついに本が書ける、出せる」と思ってウキウキでした。今では常に締め切りに追われるようになっちゃって(笑)、逃げ出したくなるくらいなんです(苦笑)。

――書く上で大切にされていることはありますか?


村田裕之氏: どこにでも書いてあるようなことは極力書かないようにしています。それから、新聞や雑誌、テレビで一般的に言われていることが必ずしも正しいわけではないということを、常に頭に置いて、自分の気持ちに素直に書くようにしています。よく「シニアマーケットを捕まえろ」とか「シニア市場を攻略しろ」という言葉を目にしますが、そもそも、捕まえたり攻略したりする市場ではないのです。

――そうしたことを見極める秘訣は?


村田裕之氏: 折に触れて素直な気持ちになる体験を積むことですね。自分の気持ちが素直に解放される体験を積み重ねることが大事だと思います。
歳をとるにつれ不感症になっていく人が多い。サラリーマン、特に銀行員や公務員などは自分の感情を業務では表に出せません。喜怒哀楽を表に出さないようにして20年以上もやってくると、いざという時に喜怒哀楽が出せなくなってしまう。機能、感性が衰えてしまうのです。
岡本太郎が書いた『今日の芸術』という本に、「いつの間にか精神の皮が固くなって己自身の自由観というものを忘れてしまい、他人の自由に対しても無感覚になってしまうのです」とあります。真実を見極めるために大切なのは、自分の感情、本当の心、魂の求めているものを解放して、それをぶつけることだと思います。私はこの本が大好きなんです。20代の時に読んで頭にガツンときた本です。

次世代の若者のために


――今後していきたいことはありますか?


村田裕之氏: 私は今、シニアビジネスに機軸を置いています。日本は高齢化率で世界一の超高齢社会です。年金にしても介護保険にしても課題は山積みですが、見方を変えれば先行者、フロントランナーとしての先行利益にもなるわけです。日本の商品・サービスを練り上げて、これから高齢化に直面する他の国に持っていけば、それらの国から感謝され、ビジネスにもなる。これをきっかけに日本の活力を、もう1回取り戻したいというのが1つあります。
もう1つ重要なのは、シニアビジネスや高齢化の課題解決は、実はシニアのためではなく、次の世代のためだということ。我々の社会は、1番年長の高齢者層が元気だと次の世代も元気になっていく。ところが最上層である高齢者層がしょぼくれていると、「日本の将来は暗いね」となってしまうでしょう。ですから、まずは高齢者層に元気になってもらう。そしてタンス預金の有意義な使い方を提案する。彼らが求めているが、まだ実現していない新しい商品・サービスを生み出し、気持ちよくお金を使ってもらうことで次の世代に所得移転をするのです。こうして企業の業績が良くなれば、雇用機会も増えるでしょう。若い人がそこでどんどん活躍していけばいい。シニアが長く働くと若者の雇用がなくなるなんてのは見方が狭いと思います。シニアのポテンシャルをうまく使って、次の世代のための種を撒いていくのです。

――今後の展望をお聞かせください。


村田裕之氏: 敢えて次にどういう本を書きたいかと言われたら、私は大学の仕事もしていますので、学生向けの本を書きたいです。以前、関西大学の客員教授をしていた時は、毎年1回、4月に、文学部の1年生に大学4年間をどう過ごすべきかという講義をしていました。これは自分の悪しき経験を踏まえてお話していました。
私がいつも話すのは1つ。「4年の間に、1つでいいから自分のテーマを見つけなさい」と。たった1つでいいから、自分しかできない、自分が1番好きなテーマを見つける。そのテーマを見つけるにはどうしたらいいか、そういう話をします。「それが貫徹できたら、就活なんてやらなくていいよ」と。就職が理由で大学院に行く人が多いようですが、就活予備校みたいなそういう時間の過ごし方はナンセンスだと思います。「だったら1か月でいいからカンボジアでもミャンマーでも、イランでもイラクでも行って、現場の生の姿を見て来い」「卒業旅行の代わりに、一人旅をしろ」って言ってね。

――本や講演を通して伝えたいこととは?


村田裕之氏: 私の手掛けているシニアビジネスは中高年や高齢者が対象でしょう。自分も多少歳を重ねてきたせいもあり、最近の関心は、人生の最期をどう過ごすのか、にあります。結局、多くの人が心の準備も含めて準備をきちんとしないうちに制限時間が来てしまっています。最近の傾向としては、「自分で納得して、スッキリして最期を迎えたい」という人が増えているのです。自分は親の介護でえらい目にあった、だから自分の子供にはそういうことをさせたくないと思っています。ですから、やるべき準備をした上であの世に行きたいという傾向が強い。実はやるべきことをある程度準備できると、逆に残りの時間は本当にやりたいことに費やせる。そういう思考を本当はもっと若い時期に持った方が良いと思います。我々の人生の時間は有限なのですから。
我々の生きている時間は、砂時計のようなもの。少しずつ砂が落ち続けていて、この砂がいつなくなるかは本人も含めて誰にも分からない。この砂が落ち続けていること、砂が有限だということは、特に20代、30代では分からない。若い頃は、なんとなく時間が無限にあるような錯覚に陥ります。ですから、必要なのは死生観です。生きるとは何か、死ぬとは何か。そこからスタートしていく。良く生きるために死んでも困らないための準備をする。そういうところから逆算した時に、20代には何をしたらいいのか、そういうことを伝えたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 村田裕之

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