人と技術が融合する世界へ
――宅急便ができて、最小単位でお酒を届けることも容易となりましたね。
桜井博志氏: そうですね。宅急便が普及してからは仕事の仕方が変わりましたね。酒を東京に送る時に、5トンコンテナで1500本積むか、あるいは大型トレーラーに積んで4000本積むかといった選択肢しかなかったのが、10本でも20本単位でも、簡単に届けられるようになったのです。でも、物流の機能がない時代に、今のような方向にいこうとしても上手くはいかなかったと思います。また、昔のワードプロセッサーは4、500万円とかなり高価で、設置してある部屋は空調管理されていて、決まった人しか入れないような感じでした。それが30万円台を切って、白黒のコピーが100万円を切り始め、年商1億かそこらの酒蔵でも買える金額になっていきました。そうやって自分たちで色々な情報発信ができる時代ができあがっていきました。地方の小さな企業でも、自前で色々なことができるようになってきましたので、その物流と情報の両輪は色々な変化をもたらしたと思います。
――新しい技術とお酒の世界。これからはどのような変化があると思いますか?
桜井博志氏: 酒の管理というのは、自動車のように部品と部品をくっつけて、パーツをくっつけていって作り上げるというものではなくて、あくまで発酵という曖昧模糊としたもので、最終的に1+1が2にならない世界なので、人間が介在する余地が大きいのです。だから、私たちが将来的にはロボットスーツを着たり、メガネにカメラがついているものなどを使っていくなど、全部オート化ではなくて人間と技術の融合という感じになっていくのではないでしょうか。判断に関しては人間が下さざるを得ないから、完全に機械化をしてしまうのは難しいと思います。選択肢の中から1つを選びだすことの助けとなる情報を、常に提供してくれる技術を使っていくという方向に、旭酒造も向かっていくと私は思っています。
等身大の酒蔵を伝えたい。
日本文化を世界にアピールすることは、日本の大きな力となる
――そんな新たな挑戦への想い、『逆境経営』でも語られていますね。
桜井博志氏: 小売店さんや飲食店さんというフィルターがあってお客さんがいるので、酒蔵の本心というのは、お客さんに伝わっていないのではないかと思うのです。酒販店さんや飲食店さんの思惑もあって、印象も変わってきますよね。だから酒蔵というのは、神様のごとく、酒のために斎戒沐浴してやっているというように思っているお客さんもいるかと思えば、金、利益のためならなんでもやる、というように思っているお客さんもいます。やっぱり人間だから、ふらふらもするし、ちょっとお金も欲しいし、ええかっこもしたいけどもやっぱり良い酒も作りたい。そういう等身大の酒蔵というものを分かってもらおうと思ってブログを書き始めたのです。それが10年以上続いて膨大な量となっていて、それを編集することになりました。最初は「本を書いてください」という話でしたが、「書く暇もないし、忙しいから」と断ったのです。「私は書けませんが、その代わりにホームページの資料があるから、編集して書いてください」とダイヤモント社さんにお渡ししました。題材として編集者の目にとまり、本にできたのはよかったですね。
――等身大の酒蔵を伝えたいという想いがきっかけになったのですね。今後も、どんな想いを大切にしていきたいですか。
桜井博志氏: 酒蔵ですから、美味しい酒を作って、お客様の生活の中に彩りをお届けするということが、まず一番ですよね。あと、日本のお酒を世界に出していくことによって日本の文化を世界中に発信していくというのは、絶対に日本にとって大きな戦力になると思うのです。例えば、ベンツとレクサスがありますよね。レクサスがこれから先も世界で勝ち抜いていくためには、ベンツより安くて、性能が良いだけではダメだと思います。そして、国に対する憧れのようなものも必要ですね。ドイツだと、ベートーヴェンがいてクラシックの音楽の国で〜と、国としてのイメージができ上がっています。それと同じようにイメージを大事にすることも、今まで以上に大切だと思います。
――日本酒ならではのエピソードも伝えていきたいですね。
桜井博志氏: ワインびいきの方からは、「日本酒は非常に人工的だ」という言われ方をするんです。ワインは、畑からブドウをもいできて、発酵させたらワインになる。日本酒は蔵の中でこねくり回したりして人の手が入っている訳だから、ワインは農業と共にあるのに、日本酒は人工的だということ。でも、これには1つ大きな理由があるのです。ワインというのは、欧米の社会に入り込んで、過去何千年という時代を経てきた訳です。ヨーロッパは侵略し合ってきたから労働力には事欠きませんでした。でも日本は島国ですから、侵略し合ったことがない。そういった意味では労働力に恵まれないのですが、逆にフラットな社会だったということのために、自分たちで工夫して仕上がりに責任を持つ杜氏という労働者集団を、日本酒の業界は持つことができました。日本酒がここまで複雑な製法を取ってきたことの一因は、日本の侵略し合うことのないフラットな社会だったということ。冷戦が終わったらとんでもない世界になっているわけですから、こういう日本のような社会を世界が求めていかないといけないはずだと私は思うのです。お酒作りを通して海外に対して発信していくと共に、国内に向けても、そういったことをもう一度発信していこうと思っています。単なるブームで終わらせないためにも、こういう日本酒の特質、その思想や背景の説明が大事だと思っているのです。
――山口から世界へ。今後はどのような展望を描かれていますか?
桜井博志氏: 先ほどの話でもありましたが、これまでは、「色々やったけど、結局これが良かった」という感じでしたので、あまり展望を描いてこなかった部分もあります。当面の目的として考えていることは、やはり日本酒を世界にアピールしていくこと。その結果として、存在感のある形で、世界中で『獺祭』と、他の日本酒が売れていくということを目標としています。
よく言うのは、私たちは数値目標などは考えない、作らないということ。「来年、再来年は、今の需要でいくとこのくらいの需要になりそうだから、このくらい準備をしないといけないな」ということを私たちは考えないといけませんが、アルコール飲料である限りは、これだけ飲んでもらわなければいけないとか、数字ありきだと問題が起こることが多いのです。売れるというのは、美味しいから、ものが良いからであるべきだと思っています。
常に戦い、挑戦の連続ですが、先に進むためには仕方がありません。この先には、成功もあるかもしれないし、失敗もあるかもしれない。でも、その両方を酒の肴にするのも悪くない。私の会社を見て、それが皆さんと私たちの勇気に繋がればいいかなと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 桜井博志 』