自ら道化となる。笑われて作る人間関係
――1人遊びが多いと伺いましたが、結構明るいですね(笑)。
本郷和人氏: 実は、これには大きな転機がありました。孤立していた自分に対して先生から「お前は1人で生きていけばいいのか。みんなと仲良くしていってこそ人間だろう」と言われ、また「おまえはもっと笑われろ」とも言われましたね。それからは、おとなしい自分の本性を偽って、みんなと仲良くするようになりました。そして、みんなに笑ってもらう「発狂マン」というキャラクターを確立しました(笑)。分度器を眼鏡のようにしたりして、ふざけたりするといったようなものでしたが、バカをやれば親しまれる、仲良くしてくれる。そういう感じで小学校の時に友達と付き合うということを学びました。先生に呼ばれて職員室で、大好きだった三遊亭金馬さんの「居酒屋」をやったりもしていました(笑)。
中学校は武蔵中学という私立へ行ったのですが、僕より頭のいい奴がウヨウヨしていたわけです。だから「ここではあえて道化を演じなくてもいいんだ」と思って、1人でまたポツンとしている生活に戻りました。高校でもやっぱり笑ってもらうということに快感を覚えていて、みんなが笑ってくれると「しめた」と思いましたね(笑)。
僧侶になる夢を諦め、東大へ
――東大を進学先に選ばれますが……。
本郷和人氏: 僕がいた頃の武蔵高校は180人いる中で77人が、東大に入っていて、当時がピークだったのではないでしょうか。だから、普通にみんなとペースを合わせて一緒に勉強をしていたら、東大に入ってしまったという感じでもありましたね。特に東大で何かがしたいという使命感は持ち合わせていませんでした。
中学の時は仏教書や哲学の本を読み漁っていて、ナーガールジュナ(インド仏教の僧)の思想で、中論という思想があるんですが、そういうものについても読んでいたので、お坊さんになりたいという気持ちがありました。ところが高校2年生の時に、僕の家にいつもお経をあげに来てくれていたフリーのお坊さんが、お寺を買って住職になることになり、父親が「失礼な言い方ですが、おいくらぐらいですか」と尋ねたところ、「5000万円でした」とおっしゃいました。僕は、住職になって檀家を守って暮らしていこうという自分のイメージを持っていたのですが、5000万かかると聞いて、お坊さんになるのをやめました(笑)。
お坊さんになるのを諦めた後は、「将来は何になろうかな」と考えていたのですが、周りの人はみんな東大を受けると言うので、「僕も受けるだけ受けようか」と思いました。法学部と決まっている文Ⅰや、経済と決まっている文Ⅱと違って、文Ⅲであれば哲学、社会学、歴史学、それから文学のいずれをやってもいいので、文Ⅲに行きました。「僕は昔から歴史が好きだったな」と思い出し、文Ⅲに入ってから歴史の勉強を始め、今に至ります(笑)。
ですから今の世界に入ったのは、大学生になってからということになりますね。ただ、その前からも、延々と歴史史料の編纂をやるということには憧れていました。あとは、同級生だった家内の影響もありましたね。
僕は「いつまでも好きな勉強をしていなさい」という家風で育ったのですが、彼女の家は「社会人になって稼ぐのは当然だ」という考えでした。それで彼女は“社会人になる”ということに、使命感のようなものを持っていました。「いつまでもフラフラしていられない」と、東大の大学院に入った家内の後を追うように、次の年に僕も試験を受けました。僕はテストは得意なので受かりましたが、もしこれが一般企業のように面接だったら、難しかったかもしれませんね(笑)。