本郷和人

Profile

1960年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得。博士(文学)。専門は日本中世史。東京大学史料編纂所にて『大日本史料』第五編の編纂にあたる。大河ドラマ『平清盛』の時代考証も。 著書に『武士とはなにか 中世の王権を読み解く』(角川ソフィア文庫)、『戦いの日本史 武士の時代を読み直す』(角川選書)、『謎とき平清盛』『天皇はなぜ万世一系なのか』(文春新書)など。

Book Information

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史料編纂の歴史と価値を、新たな挑戦で次代に繋げたい。



東京大学史料編纂所教授を務められる本郷和人さん。漫画『応天の門』の監修や、大河ドラマ『平清盛』の時代考証などもされています。史料編纂所という仕事、現在の課題と電子化の必要性から、少し話はそれて奥様のお話まで、色々と伺ってきました。

長い時間をかけて、何が起きたかを探る


――史料編纂所でのお仕事について伺います。


本郷和人氏: 日本に昔、何があったか、ということを、細大漏らさず全部活字化するという仕事をしています。鎖国が完成するまで日本の歴史を12の時期に分けて、全部やっているのが『大日本史料』という史料なのです。僕は『大日本史料』の第5番、第5編というのを担当していて、1221年の承久の乱から鎌倉幕府滅亡までをやっています。今やっているのは1250年ぐらいの建長年間です。大体、3冊で建長年間の1年を全部網羅するというような形になります。『大日本史料』1冊は3年ぐらいかかるので、建長年間1年を9年かけてやります。僕が辞める時までに、建長4年ぐらいまでできるかなという感じです。

――とても時間のかかる作業なのですね。


本郷和人氏: 毎日毎日、色々なことが起きていたわけですから、建長1年をやるのに9年かかると言っても、それは仕方がないことです。どうしても史料というのは政治的なものが残るわけですが、そうではなくて、広く社会に何が起こっているかというようなことを、なるべく拾いたいと思っています。教科書に残るようなことというのは、史料の方が主張してくれるのです。一方、社会にどんなことが起きたのかというようなことを拾うのは、僕らの腕にかかってきますので、なるべく落とさないようにと心がけています。

例えば「子どもが、春日大社の板壁に小便をひっかけました」といった内容が出てくるのですが、それは春日大社にしてみると大変な穢れになり、どうやって弁償するかとかそういう話になるので、春日大社側で史料が残るわけです。それと同時に、「昔から子どもはそうなんだ」といったような発見もあるのです。そういう当時のちょっとした出来事も拾っていくのです。

――史料では見えない出来事に、人間の普遍性を見ることができるのですね。


本郷和人氏: その時代に生きている人にとって、当たり前なことというのは、史料に残してくれないですよね。貴族は日記を付けていますが、変わったことを日記に付けるわけで、日常的に行われること、例えば朝起きてどうやって歯を磨いて、どうやってトイレに行って、どうやって顔を洗ってというようなことは、書いてくれないわけです。何百年も後になってみると、生活は変わっているわけなので、そういう感覚のようなものこそ解明したいと思います。

気がつけば歴史や偉人伝などを読み耽った幼少時代


――歴史は昔からお好きだったのでしょうか?


本郷和人氏: 織田信長や豊臣秀吉、司馬遼太郎や海音寺潮五郎、そういう人たちの本を小学生の頃から読んでいたので、歴史にもすごく親しんでいましたね。叔母が大学の先生をしていたので、僕のために買ってくれた世界文学全集など、家には本がたくさんあり、自然に読書が好きになりました。1人で遊ぶのが好きだったので、自分だけの世界にポツンといて本を読んでいるような、おとなしい子だったと思います。

僕が子どもの時はいわゆる伝記、偉人伝のようなものがたくさんありました。なぜか分かりませんが、昔から僕はそういった本が好きでしたね。今でも忘れられないのが、「チチアノ・ヴェチェッリオ」という人の話。家が貧しいため、絵を描きたくても絵の具が買えない。どうしたかというと、野原に花を摘みに行って、それを潰して色を作り、絵を描くというような話です。後に、「チチアノ」というのは「ティツィアーノ」だったということが分かり、自分の中で、超有名なルネッサンス時の画家と繋がりました。その頃から昔の人間が何をしたのか、その人間がどう偉かったのか、というような話が好きだったのだと思います。

将来のことを書いた文集で、ものすごい恥ずかしい思い出もあります。『眠狂四郎』を書いた柴田錬三郎の本を読んでいると、「家奴の豚」などといった、訳の分からない小難しい言葉が頭の中にインプットされるのです。それで文集に、「平々凡々たる村夫子(そんぷうし)になる」と書いたのです(笑)。要するに普通の人という意味ですが、今から考えると「村夫子」なんていう言葉を小学生で書くなんて、これは恥ずかしいですね…(笑)。

ノートに同級生の悪口を書いて破き、飛行機にしてぶつけた時には、発見した先生が「誰が書いたのか、名乗り出なさい」と言われたのですが、「これをやったのは、本郷だろう」と自ら名乗る前にバレてしまいました。実は、僕はその当時、夏目漱石を読んでいたのですが、漱石の『坊っちゃん』に「モモンガー」という言葉が出てきていて、その言葉がその紙飛行機に書かれていたのです。「こんなことを書くのはお前しかいないだろう」と言われて、とても怒られましたね(笑)。一事が万事、こんな風に僕の行動一つ一つに、読書によって得た知識が影響していました。

自ら道化となる。笑われて作る人間関係


――1人遊びが多いと伺いましたが、結構明るいですね(笑)。


本郷和人氏: 実は、これには大きな転機がありました。孤立していた自分に対して先生から「お前は1人で生きていけばいいのか。みんなと仲良くしていってこそ人間だろう」と言われ、また「おまえはもっと笑われろ」とも言われましたね。それからは、おとなしい自分の本性を偽って、みんなと仲良くするようになりました。そして、みんなに笑ってもらう「発狂マン」というキャラクターを確立しました(笑)。分度器を眼鏡のようにしたりして、ふざけたりするといったようなものでしたが、バカをやれば親しまれる、仲良くしてくれる。そういう感じで小学校の時に友達と付き合うということを学びました。先生に呼ばれて職員室で、大好きだった三遊亭金馬さんの「居酒屋」をやったりもしていました(笑)。

中学校は武蔵中学という私立へ行ったのですが、僕より頭のいい奴がウヨウヨしていたわけです。だから「ここではあえて道化を演じなくてもいいんだ」と思って、1人でまたポツンとしている生活に戻りました。高校でもやっぱり笑ってもらうということに快感を覚えていて、みんなが笑ってくれると「しめた」と思いましたね(笑)。

僧侶になる夢を諦め、東大へ


――東大を進学先に選ばれますが……。


本郷和人氏: 僕がいた頃の武蔵高校は180人いる中で77人が、東大に入っていて、当時がピークだったのではないでしょうか。だから、普通にみんなとペースを合わせて一緒に勉強をしていたら、東大に入ってしまったという感じでもありましたね。特に東大で何かがしたいという使命感は持ち合わせていませんでした。

中学の時は仏教書や哲学の本を読み漁っていて、ナーガールジュナ(インド仏教の僧)の思想で、中論という思想があるんですが、そういうものについても読んでいたので、お坊さんになりたいという気持ちがありました。ところが高校2年生の時に、僕の家にいつもお経をあげに来てくれていたフリーのお坊さんが、お寺を買って住職になることになり、父親が「失礼な言い方ですが、おいくらぐらいですか」と尋ねたところ、「5000万円でした」とおっしゃいました。僕は、住職になって檀家を守って暮らしていこうという自分のイメージを持っていたのですが、5000万かかると聞いて、お坊さんになるのをやめました(笑)。

お坊さんになるのを諦めた後は、「将来は何になろうかな」と考えていたのですが、周りの人はみんな東大を受けると言うので、「僕も受けるだけ受けようか」と思いました。法学部と決まっている文Ⅰや、経済と決まっている文Ⅱと違って、文Ⅲであれば哲学、社会学、歴史学、それから文学のいずれをやってもいいので、文Ⅲに行きました。「僕は昔から歴史が好きだったな」と思い出し、文Ⅲに入ってから歴史の勉強を始め、今に至ります(笑)。



ですから今の世界に入ったのは、大学生になってからということになりますね。ただ、その前からも、延々と歴史史料の編纂をやるということには憧れていました。あとは、同級生だった家内の影響もありましたね。

僕は「いつまでも好きな勉強をしていなさい」という家風で育ったのですが、彼女の家は「社会人になって稼ぐのは当然だ」という考えでした。それで彼女は“社会人になる”ということに、使命感のようなものを持っていました。「いつまでもフラフラしていられない」と、東大の大学院に入った家内の後を追うように、次の年に僕も試験を受けました。僕はテストは得意なので受かりましたが、もしこれが一般企業のように面接だったら、難しかったかもしれませんね(笑)。

プロポーズは披露宴会場の予約をして言った一言


――奥様とはどのようにして出会ったのですか?


本郷和人氏: 大学2年の時の史料編纂所の先生の、駒場での持ち出し講義で出会いました。桑山先生という先生の講義だったのですが、「桑山先生の授業の教室はここでいいんですか」と話しかけたのが家内だったのです(笑)。

――それぞれの家の考え方が違うということでしたが。


本郷和人氏: 家の考え方が違うからこそ、面白いんですよね。僕の人生は、「なんとなく」と言う感じが多いような気もします。なんとなく東大に入って、なんとなく歴史をやって、なんとなくいい嫁さんをもらってという感じ。これを家内に聞かれたら、「嘘をつけ」とか言われるかもしれませんけどね(笑)。

実は僕、俗にいう「付き合う」という言葉を知らなかったのです。この言葉を告げることで、一種のプチ結婚のような関係になれるということも分からなかったので、家内に「付き合いましょう」と言ったこともありません。だからちょっと違う友だちのような感じで、10年間一緒に過ごしました。そんなある日、家内から「私、もうすぐ30になるんだけど、どうする?」と聞かれました。「ちょっと待ってね」と言ってホテルに電話して、「亀の間、取ったよ」と言ったのがプロポーズとなりました。でも家内から「聞こえが悪いから、亀は嫌」と言われたので、孔雀の間へと変更して結婚することになりました。これには後日談があって、恩師の謝恩会でそのホテルを使おうと連絡した際に、その会で使う部屋は、元々「亀の間」だったそうなのですが、「亀はどうもよくない」ということで名前を変えたという話を聞きました。あの時、披露宴をするはずだった亀の間と僕は結局、縁があったんだなというオチがつきました(笑)。

――素敵なプロポーズですね。


本郷和人氏: でも、僕とは違い、彼女はとても史料編纂所に愛されているし、後輩からも尊敬されています。家内が教授になった時、僕は准教授で、よく講演で「家に帰ったら家内に対して敬語です」とか「家内の方が、晩御飯のおかずが一品多い」などと冗談を言って笑わせています(笑)。



偶然の出会いから生まれた繋がり


――そうして入った、史料編纂所での研究はやがて本として出版されることになります。


本郷和人氏: 僕のいる歴史編纂所という世界は、孤独な世界なんです。『大日本史料』は、一般の方に読ませるものではなく、言ってみれば後世に残すものなのです。それに『大日本史料』は、誰が作ったかというのは後で調べれば分かるようにはなってはいるのですが、誰がやったとは明記されていません。要するに、僕という人間というか、キャラクターを消さないといけないのです。だからそういう作業をしていると、何か自分として活動したいという気持ちにもなってきました。

新人物往来社の編集の方に「本を書いてみないか」と言われて、『新・中世王権論』というのを1冊出しました。そうしたら、それを読んでくださっていた編集者が色々と声をかけてくださったのです。そこから話が広がっていきました。

――執筆を通してどんなことを伝えたいですか。


本郷和人氏: 「日本史って面白いんですよ」ということを分かってほしいですね。色々やり方を模索しています。

――教科書なども書かれています。


本郷和人氏: 東京書籍さんから「教科書を書かないか」と話をいただきました。大学の3階にある研究室で仕事をしていた時、同じ階の史料編纂所の閲覧室にあるソファのところで子どもが一人で遊んでいたことがありました。僕は子どもと遊ぶのが好きなので、一緒に遊んでいたのですが、その子の親御さんが、偶然にも研究室で以前、助手をやっていらっしゃった、小風先生という方でした。その小風先生は現在、東京書籍の元締めをしているのだそうです。どこで繋がるか分からないものです。東京書籍さんに教科書を書かせていただいたら、またそれが広がって、今はテレビの「高校講座日本史」もやらせていただいています。

――AKBもその流れで(笑)?


本郷和人氏: 僕は、裏稼業のような形で(笑)AKBの評論などもしているのですが、その「高校講座日本史」に、高橋英樹さんとAKBのメンバーが3人出ているのです。元々研究生だったその3人は、先日の大組閣で正式メンバーになったばかりで、その中の1人は、大島優子さんに「ヘビーローテーション」という曲の後釜を指名された、向井地美音さんというメチャメチャ可愛い子なのです(笑)。たまたま大学にきていた男の子と遊んだということが、回り回って向井地美音さんとお話ができるところに結びついていくという、この不思議さ…。良いことはしておくものだなと思いますね(笑)。

紙媒体ではできないことが、電子書籍では可能


――読み手としてはいかがでしょう。


本郷和人氏: 元々3,500から4,000冊ほどの漫画を持っていましたので、漫画だけは電子化しています。そうしないと、部屋が大変なことになってしまいます。実は、史料集こそ電子化したいのですが、史料集は発行部数が殆ど1,000部以下で、中には300部といったものもありますから、失敗してしまうと取り返しがつかないので、まずは漫画から始めました。実を言うと漫画でも、もう入手できないようなものもたくさんあるので、失敗できないという点は、あまり変わりません。

2TBの外付けのフラッシュメモリなどを買ってきて、全部そこに入れているので、読みたい時に出しています。実は、まだ整理ができていませんので、今はしまったデータの使用方法を考えているところです。僕は正直、余白だとかそういうものには、あまりこだわりを持たないタイプの人間なのですが、漫画を電子化すると、吹き出しがコマの外に出たりすることがあるので、そういった画面や情報が見切れてしまうことには、やっぱり多少はストレスがあります。おそらく、そういったことが、ある種の方たちにとっては「絶対許せない」という部分になっているのではないでしょうか。

――電子化は史料編纂の面でも影響を及ぼしそうですか。


本郷和人氏: 本当に楽になると思いますし、仕事の仕方もかなり変わると思います。史料こそ電子書籍にすべきだと思います。史料は重いので持ち運びがとても大変だし、どこに書いてあったかと探すのに、いちいち探してめくらなければいけませんが、電子書籍ならばチェックなどを付けておけば、すぐに分かりますよね。そういうことに、何人かの人が既に気付いていて、『大日本史料』は紙媒体をやめて電子書籍化しようという話も実際はあるのです。

それと、最初にもお話ししましたが、『大日本史料』を作るには、大変な時間がかかります。経費は限られているので、いち早く作ること、というのが急務なのです。電子書籍にし、みんながそれに参加できるようにしたいと思っています。例えば「建長3年の4月5日にこんな史料がありますよ」と、みんなが情報を提供出来るようにして、古文書を勉強している人が「こんなのがありました」というのを打ち込めるようにしておけば、もっと早く作れるかもしれません。

――オープン化して、参加者を増やすのですね。


本郷和人氏: そうすればスピードも上がります。また、紙媒体は、資料として出版されてしまったら、後で追加資料が発見されても、それを反映するのが難しい。だけど電子書籍なら入れ替えも可能だし、後からもできます。そうなったら、100年の大日本史料の編纂を根幹から変えてしまう可能性があると思いますし、電子書籍に対応しないと生き残れないかもしれません。

紙媒体は行き着くところまで行っているのではないでしょうか。現実問題として今、出てきているのは、「ここは1行落とす」とか、「ここは1字空ける」といった紙媒体の約束事はとても大変だということ。電子書籍だとそれができるわけです。

僕は今、53歳ですが、僕らは多分、今の紙媒体のみ経験している状態でも逃げ切れます。でも、今30代の人たちはおそらくその電子化の波からは逃げられないですよね。僕らが仮に偉くなって、史料編纂所の制度などのことを好きなようにできるようになったとしたら、お金を手厚く配分して、若い方に電子書籍の方向を模索してもらうということをやらないとダメだと思います(笑)。僕は文系人間なので、メディアリテラシーのようなものには疎いのですが、これからはそういうことも言っていられない時代になるのではないかと思います。

歴史史料のデータ公開を促す


――データ化は研究を続けていく上で、必須の課題なのですね。


本郷和人氏: 歴史学が潰れてしまうこと、それから史料編纂所などが潰されてしまうことは避けたいです。みんなに楽しんでもらいたいという思いがあります。社会にコミットするという想いを持ち続け、そこで電子書籍のようなものと関わっていくというのが必要だろうと思います。史料編纂においても、電子書籍のための予算をつける必要があると思っています。また、史料編纂所というのは文系の中の文系といった人間の集まりなのですが、家内は、理系の人にも入ってもらって、電子書籍みたいなものの可能性を広げていくということが必要でしょうとも言っていましたね。

ここ東大の史料編纂所のデータベースは、他の研究所と比べても割としっかりと作られていて、それは先輩たちの努力の賜物なのですが、今、そのアクセス数がとても多いのです。「生き残るためにはそういうしっかりしたデータベースを作らないとダメだ」ということでやってきたのです。だから、その方向性を維持するとなると、電子書籍みたいなものに行くのは必然的。

でも、そこでぶつかるのは著作権です。文書(モンジョ)みたいなものを、デジタルデータでかなり持っていますが、「それはうちの著作権になるから出せません」、「出さないで」と言われているものが結構あります。でも、なんとかそこを突破する努力をしなければいけません。そのためにも僕たちが社会にどんどん出て行って、国民的な日本の右とか左とか関係なく、「日本人の遺産なのだから、財産なのだから、これはみんなに公開していこうよ」という機運を盛り上げていく必要があります。そうやって日本の歴史史料のデータを公開するということやっていきたいのです。だから僕は、そこの土台作りにおいて、少しでも力になれればなと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 本郷和人

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