黒川伊保子

Profile

1959年長野県生まれ、栃木県育ち。奈良女子大学理学部物理学科卒業。 大学卒業後、コンピュータメーカーにてAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばの研究を始める。脳機能論の立場から、語感の正体が「ことばの発音の身体感覚」であることを発見。AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である『サブリミナル・インプレッション導出法』を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した、感性分析の第一人者。 近著に『家族脳: 親心と子心は、なぜこうも厄介なのか』(新潮文庫)、『シンプル脳育術』(エクスナレッジ)、『キレる女 懲りない男: 男と女の脳科学』(ちくま新書)、『いい男は「や行」でねぎらう いい女は「は行」で癒す』(宝島社新書)など。

Book Information

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この世は全て、「バーチャルリアリティ」
楽しまないと、もったいない。



株式会社感性リサーチ代表取締役。マーケティングの分野に新境地を開いた感性分析の第一人者。2004年、脳機能論とAIの集大成による世界初の語感分析法『サブリミナル・インプレッション導出法』を発表。そうした研究をベースにした商品名の語感分析サービスを開始し、大塚製薬の「Soy Joy」「ソイカラ」「SOYSH」をはじめ、多くの企業からヒット作を生み出しました。その語感分析サービスは、市場が多様化する21世紀ならではのマーケティング手法として、脚光を浴びています。著書には、『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』『恋愛脳―男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか―』『「しあわせ脳」に育てよう!』『いい男は「や行」でねぎらう いい女は「は行」で癒す』などがあり、男女脳の可笑しくも哀しいすれ違いを書いたものや、語感の秘密を紐解く著作で人気を博し、日本テレビ「世界一受けたい授業」やNHK教育テレビ「日本語なるほど塾」などに出演。『an・an』や『SPA!』など雑誌の恋愛特集のコメンテーターとしても活躍をされています。今回は黒川さんに、言葉の研究との出会い、息子さんから得たヒント、そして読者に伝えたい思いをたっぷりと語っていただきました。

バーチャルリアリティを楽しもう


――最近「ごきげんよう」で見ました。『VOGUE』では冨永愛さんと対談されたそうですね。


黒川伊保子氏: 「ごきげんよう」のプロデューサーの方が私の本の愛読者だったそうです。前に「さんまのホンマでっか!?TV」に出演した時には、さんまさんから“塩ちゃんこ”というあだ名をつけられました(笑)。その時も、スタッフの方が私の本を読んでくださっていたのです。私自身、もともとは分析屋なので、メディアへ露出する仕事に関しては、本が営業マンになってくれているようです。テレビへの出演などは全く頭にありませんでしたので、私にとっては神様からのボーナスのような感じでもあります。でも、自分が出たテレビは一切観たことがありませんし、家族も絶対に観ません。息子からは「母のことはすごく好きで大切だけど、テレビに出てるのを観るのは、干している自分のパンツを見られるみたいで恥ずかしい」と言われて、「なるほどな」と思いましたね(笑)。だから息子が高校生まではできるだけメディアには露出しないようにして、彼が大学生になって初めて、テレビなどに出るようになりました。

脳というのは、自分の視覚を経て、見るもの見ないものを決めて、そして見えていないのにもかかわらず、保管したりもするのです。結局私たちの脳は、この世をバーチャルリアリティで楽しんでいるだけなのです。だから私は、周りにどう見られるかということは考えたことがありません。テレビに出て失敗したら笑ってもらえばいいだけなのです。でも、「人を傷つけないようにということだけ」には、気を付けたいと思っています。ほかの人からの評価というのはあまり気にしたことがなく、私は、周囲に対する自分の評価だけが気になるのです。つまり、私を取り巻く今の世界が、私が楽しむのに値するのかどうか、ですね。ことばにすると高飛車ですが、もっとシンプルで素直な気持ち。何年生きるか分かりませんが、この世は誰の脳にとってもバーチャルリアリティだから、その映画の中のような世界に入ってしまった私が、どれだけこの世で楽しめるか、ということをいつも考えているのです。この場合の「楽しめる」の中には、なかなかうまく行かなくて切ない気持ちになることや、試練も含まれています。「何の障害もなくうまく行く」なんて、ちっとも面白くない。

――そうやって考えると、新しいことへの挑戦を躊躇するのはもったいないですね。


黒川伊保子氏: そうですよね。「あがる時にどうしたらいいですか?」などと聞かれることがありますが、私は「あがるってどんな感じ?」と逆に聞いてしまいます。この世はバーチャルリアリティだと思っているから、「緊張」して「あがる」という感覚が、私にはあまりわからないのです。でも、結婚式の乾杯の音頭を取らなくてはならなくなった時だけはあがりました。結婚式の乾杯の音頭は2度やってしまうは縁起が悪いとされているでしょう?「人の結婚式を台無しにしちゃいけない」という感じですごく緊張して、手が震えてコップがゴトゴト鳴っていました。でも偉い人に会う時も、2000人の前で講演する時も、テレビに出る時も私はあがりません。それは倫理観の問題でもなく、結局、バーチャルリアリティだと思っているからなのです。それに講演などに来ている人は、ある程度のコストや時間をかけて会場に来てくれた、ということで、ある意味全員、私の味方ですよね。「ここに私の味方が2000人いる」と思えばいいだけの話なのです。私は、私の人生で見つけた脳の秘密について真摯に話をするだけなので、それが役に立つかどうかは受け取る人次第です。ジュラルミンのように私の心は傷つかないから、酷評されても平気ですよ(笑)。

――捉え方次第なのですね。


黒川伊保子氏: 好き嫌いというのは感性の振れ幅なのです。それは好きにも嫌いにも振れるものなので、好きの反対は嫌いではなく無関心なのです。これが一番恐ろしいです。私が提供する何かに対して、感性の針が振れたということなので、嫌いと言われるのは大歓迎です。それを簡単に好きの方向へ振ることができますし、逆に好きと言ってきた人は嫌いの方向へと簡単に振れてしまうこともあります。私は「あなたのことは認めるけれど、なんかちょっと嫌いなんだよね」という感じに言われるぐらいの方が安心します。将来、「分かり合えるイベント」が楽しめる、遊び相手の候補一人ゲットって感じ。「今のところは好きになってくれなくて結構です」と考えることができたら、人生は、本当に楽ですよ。

母親が楽しそうに本を読めば、子どもも本の楽しさを覚えていく


――黒川さんの読書遍歴が気になります。


黒川伊保子氏: 小さい頃、私は『赤毛のアン』がすごく好きで、私自身も赤毛のアンのような利発な子だと思い込んでいました。でもそれは記憶のすり替えで、それは小説の中の、本当に大好きだった主人公のことだったようです。実は私は、すごくぼんやりしていたそうなの。小学校の時の友達と20年ぶりぐらいに同窓会で会った時に、みんながびっくりしていました。「あなたがあの伊保子ちゃん?学校が終わっても気づかすにぼーっとしていたのに、ちゃんと大人になったんだね」とみんなが言っていました。そんなわけで、習い事はことごとく挫折、塾にも通わず、全く親に干渉されませんでした。でも、逆に何もすることがなかったのが、良かったなと今は思います。本は、そんな私にあらゆる世界を見せてくれましたから。

――ご両親も本がお好きだったのでしょうか?


黒川伊保子氏: 父は私も通っていた高校の教師で、街で一番大きな本屋さんにツケが利いたんです。父が「本だけは買う事に躊躇する必要はない」と言ってくれていたので、小学生なのに本の値段を見ずに買う事ができました。だから、大学生になって初めて、「本はこんなに高価なのか」と驚いたことを覚えています(笑)。父は漫画も含めて、本という印刷物は全て買うことを認めてくれていました。子どもの時に、本に関してはすでに大人買いもできましたので、ぜいたくだったなと思います。図書館も大好きでしたが、新刊など図書館にない本もあるので、私は時間があれば本屋さんに行っていました。本を読むのに忙しくて、あまり遊びたいとも思いませんでしたね。

――本が好き、ということと脳はどのように関係していると思われますか?


黒川伊保子氏: 脳は、夜寝ている間に、日々の体験から知恵やセンスを切り出して、脳神経回路に定着させていきます。本で読んだ出来事も、日常体験に準じて、脳に書き込んでいくことができます。本を読んで、わくわくしたり、どくどきしたり、悔しがったり、ロマンティックにふけったりすることは、脳神経回路を豊かにする行為。読書はとても有効な脳のエクササイズです。私は、高校を卒業するまで、喫茶店にも行かなかったような経験の乏しい田舎の子でしたが、『あしながおじさん』を読んで、20世紀初頭のアメリカの女子大の寮生活を知っていました。それに憧れて、躊躇なく家から離れた女子大に行き、寮生活もしました。私が自分自身の世界を広げてきたのは、本が私の脳に与えてくれた「日常を遥かに超える生活疑似体験」のおかげ。若者よ、本を読みなさい、と言いたいですね。



脳育てのための子育て講演で「子供を本好きにするにはどうしたらいいですか?」という質問をされることがあります。その質問に対して「お母さんは子どもの前で、本を読みますか?」と私が聞くと、「読みません」と答える方もいますが、テレビと違って読書は能動的なものだし、読んで楽しむには文脈を解釈しなくてはいけません。頭の中にイメージも作らなければいけないから、読書をしているとき、実は脳は大変なことをしているのです。でも「これは面白いことだ」という思い込みがあるから、読書をすることができるのです。子供に「本は面白い」と思ってもらうためには、やはり親が楽しそうに本を読むしかありません。「お母さんがあんなに楽しそうに読んでいるのだから、きっと面白いに違いない」といった感じで読み進めていくことができるのです。

お母さんたちには「本を読むのがつまらなくても、女優になったつもりで楽しそうにページをめくってください」と私は言っています。強制されて本を読むことほどつまらないことはありません。一度、試しに「今日から、うちでは宿題をやるのも、教科書を読むのも禁止です」と息子に言ったことがありますが、息子は布団に隠れてまで教科書を読んでいました。でも、教科書を読んでいるのを見て、私が少しうれしそうにしてしまったので、「なんだ読ませたかったのか」と作戦はすぐにばれてしまいました。うちの息子は、私の企みを見抜く才能があるような気がします(笑)。

親の役割を考えた日。私の子離れの日


――鋭い洞察力をお持ちの息子さんについては『恋するコンピュータ』にも登場していますね。


黒川伊保子氏: そう、色んなエピソードがあるの。
彼が二歳の頃、私が「ゆうちゃんは、ママのお腹に来る前、どこにいたの?」と尋ねたら、「忘れちゃったの? ゆうちゃんは木の上に咲いた。で、ママと目が合って、ここに来たんだよ」なんて言ってくれましたね。ドラマだったら、こんな素敵なことを言ってくれる幼児は早死にしちゃう…神様に連れて行かれちゃったらどうしようとおびえたけれど、すくすくと大きくなり、息子は今バイク乗りになって、地球何周分も走っています。

――活動的ですね。


黒川伊保子氏: ときどき、「一人息子をバイクに乗せて、よく平気ね」と言われるのですが、もちろん平気じゃありません。バイクに乗る彼を送り出していく時は、「せめて加害者にならないように」と、最悪の事態を覚悟して出します。私の心は、いつだって、少しずつ血を流していますよ。
でもね、最初にこの子を冒険の旅に出した時、「男子の母」として覚悟を決めたんです。この日の明け方、息子が怪我をする夢を見て目覚めたので、むりやり止めたかった。けれどね、「心配だから、行かないで」と言えば、優しい息子はきっと行くのをやめるに違いない、けれど同時に冒険心をも失ってしまうだろうと、直感的に思ったのです。だから、震える手を背中に隠して、笑顔で息子を送り出しました。息子が出て行ったあと、玄関で体育座りをして、声を上げて泣きました。それを乗り越えられたあの日が、私の子離れの日だったと思います。

――親の役割は、失敗させないことではなく、「何かあっても大丈夫だよ」と思わせてあげることなのかもしれませんね。


黒川伊保子氏: そうですね、若者はいつの時代にも大人から見れば痛い思いをするとわかっている旅に出る。でも、そのことは脳の成熟には不可欠で、親としてはどーんと構えるしかありません。最初の目論見が失敗しても、必ず、さらなるステージが用意されているのが人生ですから、それを伝えてあげたいですね。

自分の名前も、考えるきっかけ


――言葉の研究へと興味がわいてきたのは、いつ頃だったのでしょうか?


黒川伊保子氏: 自分の名前も一つのきっかけでしたね。伊保子という名前は珍しい名前なので、もしかして「イホコ」というのは、どこかの国のでは良くない言葉なのか?と思って、色々と調べたこともあります(笑)。でも、よく考えたら、この名前はすごく発音しにくいのです。フランス人やイタリア人も「は行(H)」を発音できませんし、日本人の場合も「ホ」という音を発するためには肺の中の空気を一気に口の外に持っていくので、横隔膜がグッと上がるのです。その後の「コ」も結構、息を使うので、両親が私を叱る時、「伊保子は、まったく伊保子は」と2回言うとヘトヘトになるから、その後の怒りが少し散漫になっているように感じました。それに比べ、弟は「ケンゴ」だから、力が入る音ばかりだったせいか、両親も名前を呼ぶたび、怒りがヒートアップしてきているような印象を受けたんです。

それを見て、「この世には人の気持ちをほどく音と、気持ちを盛り上げてしまう音があるんだな」と、幼いながらに気づいたのです。私は昔から、発音する時の唇に当たる息や、喉を擦れる息などの触感がとても好きでした。そういった語感の研究がしたかったので、文系志望でした。ところが、高校の国語の先生に、「人の心を柔らかくしたり、硬くしたりする語感といったような学問は聞いたことがない。学部もないよ」と言われてしまいました。そこで「物理効果なんだから物理学科に行こう」と考えなおし、高校2年の担任の物理の先生が大好きだったこともあって、物理学科に転向したのです(笑)。でも、高校の理系進学クラスでは50何人のクラスに女子がたったの6人しかいなかったのでちょっと居心地が悪く、「大学は絶対に女子大に行こう」と思いました。

当時、女子大で物理学科があったのは国立大の2校だけでした。それで奈良女子大に行くことにしました。しかしながら、物理学は思ったより難しくて、習得するのに必死。それと、大学時代は競技ダンスに夢中になって、大会に出たりもしました。そのため、語感の研究のことなどすっかり忘れ、4年間楽しく過ごしていました。

感覚は「真理」、で選んだ人生の選択


――ダンスも黒川さんを語る上で欠かせないようですね。


黒川伊保子氏: 実は、大学4年の時に、プロへの転向を考えた一瞬がありました。後に競技ダンスの日本チャンピオンになる人と同期で、レッスン場も一緒でした。彼のパートナーだった年上の女性がわけあってダンスを続けられなくなり、予定していたイギリス留学にいけなくなった時に、先生から「彼と一緒にイギリス留学してくれない?あなたならプロになれると思うわ」と言われたのです。私は行くかどうかすごく悩んで、祖母に相談しました。すると祖母は「この世で一番好きなことは、仕事にしちゃいけない。嫌な時にも我慢しなきゃいけなくなるから、好きではいられなくなる日がくる」と言いました。それで、ダンスの道へは進まなかったのです。祖母は面白い人で、「人の汚いところをずっと見聞きするような仕事は、尊い仕事かもしれないけど、うちの一族には合わないから医者と弁護士になるのだけはやめなさい」とも言っていました。私も「なるほどな」と思っていて、息子が小学校5年の時に、「ママは僕に何になってほしい?」と質問をしてきた時には、祖母と同じことを答えましたね。祖母と私と同じ血筋であるならば、息子の性分にも合わないだろうと思ったのです(笑)。

――そこで就職先に富士通を選ばれたのは?


黒川伊保子氏: 音が美しかったのです。「富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ」という名前の発音、「ソーシアルサイエンス」と言葉を発する時の舌の上を滑る空気の触感が気持ちよかったので、それが理由で入りました。私は面接でも「私は自分の会社名を名乗る時、これしか名乗りたくないんです」と言いました。ちなみに、「この人と結婚しよう」と思った理由の一つにも、夫の「黒川」という苗字が、「研究者っぽくてカッコイイかも」と、結構気に入っていたという理由もあります。私は言葉だけで生きているという感覚もあって、大事なことは全て言葉で決めているような気もします。今は、その感覚を汎用化して、企業のネーミングのコンサルティングをさせていただいているわけです。私にとっては、好きなことをやっているだけ。だから世の中は、本当に懐が深いなと思っています(笑)。でも感覚というのは脳の原初的な反応なので、一人の人間にとってのぶれない真理は、多くの人にとってもそうなのです。だから、「好きでたまらない」は大事にした方がいい。好きでたまらないものを極めよ、とは、スティーブ・ジョブスも言っていますよね。

「世界初の日本語対応型データベース」の研究から、言葉の研究へ


――どのような研究をされていたのでしょうか?


黒川伊保子氏: 配属されたのは人工知能の研究チームでした。私が就職した1983年という年は通産省の研究機関である新世代コンピューター機構、通称ICOT(アイコット)と言われた組織が立ち上がった翌年でした。この組織は、来る21世紀に汎用化するはずのロボットに使うための、人工知能の汎用プロセッサを作るという10年計画の研究所。ここに若手エンジニアが大量投入された年に入社したので、縁あってこの研究機関の仕事をすることになったのです。

――その時はどのようなお気持ちだったのでしょうか?


黒川伊保子氏: 好奇心だけは誰にも負けないので、全く嫌ではありませんでした。そこで私に課せられたミッションというのは、“ヒトとロボットの対話”でした。コンピュータに自然言語を理解させるという試みは、言葉フェチの私には、あまりにも面白いテーマでしたし。その研究の果て、1991年の4月に稼働したコンピュータのデータベースに、日本語で話しかけて検索をさせるという仕事をしました。当時は原子力発電所の技師さんたちが、原子力発電の過去の事故トラブル情報を出すのに、SQL文というジョブ文を書いてバッチ処理を走らせていました。彼らはコンピュータ技師ではなかったので、そのジョブ文を書くのも大変で、1検索に平均40分くらいかかっていました。そこで、電力中央研究所から「日本語で気軽に問い合わせをかけられるデータベースを開発してくれ」と言われました。大型機のバッチ環境で、逐次型の対話処理を実現するなんて、当時としては荒唐無稽なこと。富士通も良く挑戦したものだともいます。多くの苦難を乗り越えて、その研究は無事成功して、電力中央研究所の最高研究賞をいただくことができました。

――「世界初の日本語対応型データベース」としてマスコミに発表されましたね。


黒川伊保子氏: 4月1日には、日本語での問い合わせに答えてくれるデータベースが動き出しました。でも、私が産休に入る直前の7月に、「『ハイ』が続くと冷たい」というクレームがきたのです。このデータベースは「35歳の美人女性司書」を想定して作られました。「彼女」はプロの司書さんですから、返事は「はい」。ただ、「こんな事故のケースはありますか」「はい」「それには図面がついていますか」「はい」「FAXで送れますか」「はい」などというように「はい」が続くときがあるのです。それが冷たすぎる、生身の女性だったら「ええ」とか「そう」とか言ってくれるはず、といった内容でした。「こんなクレーム、聞いたことがない。これはデータベースであって人間じゃないんだけど!」とその時は思いました(笑)。でもある程度会話をしていくと、実際に機械でもキャラクターを感じるのです。そこで、ランダム関数というのを使って「はい・ええ・そう」をランダムで入れることにしました。でも今度は「いや、ここは『そう』ではないでしょう」といったクレームが入り、結構苦労しましたね。

――同じ肯定の意味合いでも、「ここではこう言ってほしい」というのがありますよね。


黒川伊保子氏: ランダムだと処理できないというか、違和感があるのです。人間の場合は、脳が無意識のうちにそれをジャッジしているのです。2020年にはおそらく言葉に対応するロボットが出てくるのですが、その社会になるまでに、こういう違和感を、私たち人工知能の研究者たちが処理しておかないといけないと思いました。語感が持っている感触を数値化して属性化してコンピュータの上にのせないと、私たちはきっとロボットを通じて人を傷つけるだろうと考えたのです。
ふと「私は、16歳の時それを研究すると思っていたんじゃなかったっけ」と、忘れていたものを思い出しました。それで32歳の時に、言葉の研究を始めたのです。そうやって、結果として言葉の研究へと進むことになったので、「抵抗しないで流されてみるものだな」と私は思いましたね。

言葉とイメージのつながりを探る


――どのような研究から始めたのでしょうか?


黒川伊保子氏: 言葉とイメージの関係については、20数年前は否定されていました。確かにソシュールの論文などを見てみると、音韻と恣意の間には関係がないときっぱり言いきっていたのです。言語学の女教授に、「ソシュールが既に否定してますから、この世にないものです。黒川さん、キレイも汚いも『キ』でしょう?好きも嫌いも『キ』よね。『キ』という音には意味なんて無いの」と言われたのですが、私にとって言葉は触覚ですから、それでも納得できませんでした。そんな時、心理学の領域に“ブーバ/キキ効果”というのがあることを知りました。それは雲のような形状の絵と星のような形状の絵の2つを被験者に見せ、「片方はブーバで片方はキキです、どっちがキキだと思いますか?」というと、98パーセント以上の方が尖っている方をキキだと答えるというものでした。それで「やっぱり言葉とイメージの間には、なにか繋がりがあるんだ」と私は思いました。そこで、心理学の領域に答えを求めたのですが、当時も今も、ブーバ/キキ効果には心理学上の答えは出ていないのです。「どうしたらいいんだろう。脳に電極を刺すとなるとお金がかかるし、困ったな」と息子におっぱいをあげながら考えていました。そんなある時、おっぱいをくわえ損ねた息子が、美しい単体子音のMを発音したのです。

――心理学と息子さんの発音がきっかけとなったのですね。


黒川伊保子氏: 「美しいわ、このM」と思ったと同時に「おっぱいをくわえる口の形がMの音の形なんだ」と思いました。M音というのは舌の上に柔らかな空洞を作り、そこに息を溜めながら鼻腔を鳴らして出すのです。「ママ」という発音も、おっぱいを加えた時の口の形で発音をすると素直に言えますし、世界中のお母さんがM音で呼ばれています。「うちの息子は、やがておっぱいを加えた時の感触は忘れてしまうけれど、将来マ行音を発音した時に、この柔らかい感じに出会うんだな」とすごく幸せな気持ちになりました。「語感というのは、口などで起こる物理効果が、私たちの感性の領域に届くことなんだ」と私は考えましたが、後に分かったのは、横隔膜から上で起こることの物理効果を、私たちの脳に結ぶイメージが語感なのだということ。私たちが無意識で歩くことができるのと同じで、言葉を発することは運動制御としてはかなり難しく、小脳が無意識のうちにしていることであっても、イメージに大きな影響を及ぼしているのです。タカコさんと言うと、口を高く開けますが、モエさんというのとは、違った印象を受けますよね?赤ん坊だった息子の発音をきっかけに、そういった研究を始めたのです。

――研究において、赤ちゃんからヒントを得られることも多いのでしょうか?


黒川伊保子氏: ええ、勿論あります。私たちには生まれつき人の口腔周辺の筋肉の動きを、そのまま脳裏に写し取る力があります。新生児の共鳴動作実験というものがあるのですが、赤ちゃんの顔を20センチぐらいのところに持ってきて、舌を出してゆっくり揺らすと、それを赤ちゃんが真似をするのです。私は人工知能の研究者だったので、生後からたったの3時間の赤ちゃんが、そんな複雑なことができるということに驚きました。これをロボットにやらせようと思ったら大変なことなのですが、私たちの脳の中にある鏡の脳細胞といわれるニューロンにより、生まれたばかりの赤ちゃんがその動きを真似することも可能なのです。

また、クリスマスツリーの点滅に合わせて、生後3か月の赤ちゃんが口をパクパクするといった例も確かめられていて、人間には、見た目の現象を口でなぞらえたいという欲求があると言われています。目の前の人が発音をすると、自分と同じ構造なので写しとりやすいから、授乳の時に話しかけないのはとても惜しいことなのです。私は授乳中はずっと喋っていましたし、1歳8か月で保育園に預けた時には、息子はもう三語文などで話していました。早いからいいということはありませんが、脳の領域に3歳までしか書き込めない情報もあるので、仕込みはしておかなくてはいけません。だから、母語で喋りかけることは非常に大事なことなのです。今は、LINEなどで授乳中の母親がほかのことに気を取られてしまうことも多いので、「この国はどうなっていくのだろう」と私は少し心配しています。

――発音しないと語感というものは分からないのでしょうか?


黒川伊保子氏: 実は、8才の言語完成期を過ぎると、字面を読むだけでも発音した時と同じように脳が活性化するということが、研究を進めていくうちに分かりました。逆に言うと8歳までの脳はそれが足りないので、その感性を足してあげるためにも読み聞かせをしてあげないといけないのです。小学校1、2年生の時に、宿題で音読が出るのは、そういった理由もあるのです。

語感の物理効果を数値化する


――語感の研究というのは、どのような過程を経て進められていくのでしょうか?


黒川伊保子氏: この研究の素晴らしいところは、MRIなどが不要なので、お金がかからないところです。もう1つ素晴らしいのは、多くの人に聞いたり、確認する必要がないことです。例えば、「カ」という音は喉を固く締めて、息を強く出して擦り出しながら出す音ですが、この喉を開ける瞬間とその開け方がちょっとずれると「カ」には聞こえません。つまり、ものすごく狭い範囲で私たちは正確に運動しているのです。ですからほんの数人の研究者に聞けば済みます。例えば、カキクケコで大きく違うのは息の通り道の細さなのですが、どの位細いのかということは絶対値にする必要はなく、相対値でいいのです。私たちが「カ」を出す時と「キ」を出す時では、息が滑ってくる面積はどんな感じ?といったように、みんなで話し合って相対値をつけていきます。評価をする時はオノマトペ(擬声語)で評価します。例えば「キンキン」と「ギンギン」だったら「ギンギン」の方が重いですよね?日本語はオノマトペが豊富な国なのでオノマトペを使って微調整をしながら、言語のデータベースを作っていきました。例えばスポーツカーの名前を入れると、「確かにこの音野並びはスピード感がありますね」などというように、目で見えるものとして、語感の物理効果を数値化したという意味では、世界初でしたね。

――『サブリミナル・インプレッション導出法』 ですね。


黒川伊保子氏: そうです。それが私の人生を助けてくれたなと思います。小さな頃から思っていた「言葉は触覚だ」という一点だけに絞ってここまできてしまった、という感じもありますね。

背中を押された、編集者の言葉


――執筆のきっかけは、どんなことだったのでしょう?


黒川伊保子氏: 1991年の暮れに職場に復帰したのですが、プロジェクトのタイミングが悪く、2か月ほど体が空いてしまったことがありました。会社にある新聞を読んでいると、ある時、毎日新聞が「言葉と人間」というタイトルの論文の公募をしていて、賞金100万円、そして副賞がハワイ旅行。「副賞もいいし、ちょうどいい時間もあるし」と、その期間に、私が人工知能の言葉に取り組んでいる話を論文に書きました。その論文はなんの章もいただきませんでしたが、ある日、夜分遅くに電話が掛かってきました。その電話は、全く面識の無いはずの哲学者の鶴見俊輔先生からでした。「僕は論文の審査委員長でした。あなたの論文はとても良かったのですが、あなたの所属する会社、富士通が協賛していたので、審査対象から外されました」とおっしゃいました。懸賞法で、主催者の会社の社員には懸賞に当てることができないのです。「だけどあの論文が世の中に出ないのは、あまりにも惜しい」ということで、鶴見俊輔先生が刊行した、思想家の間では定番となっていた『思想の科学』という雑誌に掲載してくれたのです。それを見た筑摩書房の編集者の方が、「どうしてもこれをテーマに、本を1冊書いてほしい」と声を掛けてくださいました。でも、その時は「私の書きたいことは、レポート用紙2枚で終わるから、本にはなりませんよ」と答えました。

――最初は「本を書こう」とは思われなかったのですね。その後、出版を決心されたのは、なぜだったのでしょうか?


黒川伊保子氏: 編集者の言葉が私の背中を押してくれたのです。「著者は、山のガイドなのです。研究者は真っ直ぐに登るルートを知っているから20分で登れるかもしれないけど、山を楽しむために、いろいろ寄り道をして回りながら登るのです。それでも1冊分に満たなかったら、また別のルートで登ればいいのです。黒川さんの山は高いから、幾らでも寄り道できます」と言ってくださいました。そうやって3年掛かって書いたのが『恋するコンピュータ』という最初の本です。その編集者が著者としての私を生み出してくれた母なのだと私は思っています。それから、彼女からは「あなたには、アトラクションのガイドさんになってもらいたいのです。次に起こることも、行く道順も分かっているでしょうけど、どうか読者と一緒に驚いたり、感動しながら書いてくださいね」とも言われました。素晴らしいでしょう?今は編集長になられた磯知七美さんという女性の方です。今度はそれを読んだ講談社の方が『LOVE BRAIN』を書いてくれと依頼してくれて、どんどんと次に繋がっていきました。新潮文庫は昔から読んでいたので、あの装丁で本になった時には「本当にプロになったんだ」と改めて実感して、感動しました。新潮文庫の場合は、2冊目で背表紙の色が決まるのですが、最初に出した『恋するコンピュータ 』の装丁と同じ色だったことに驚きました。担当してくださった南伸坊さんからは「この人の文章を読んでいたら、この色しか浮かばない」と言われて、人工知能の、声の声帯振動から色彩の振動に置き換えるというプログラムで自分の声を入れたら、この装丁の色になったのです。今、そのプログラムは、声帯振動音を既成楽器に落として、自分の声に似た楽器を探してくれるのですが、私の音は和琴でした。私が習い事の中で成功したのはお琴だけで、お琴と相性が良かったのは、自分の声の組成に似ていたからなのだなと思いました。そこで、研究パートナーだったビオラのプロ奏者を連れてきてそのプログラムに声を入れさせたら、やっぱりビオラでした。こういった経験を通じて、何かピンと来ることには、そこに真理があるように思います。

――ネーミング分析のお仕事もされていますが、タイトルなどもご自身で考えられるのでしょうか?


黒川伊保子氏: タイトルはほとんど出版社が決めています。私が考えたものがそのままのタイトルになったのは『恋するコンピュータ 』と『日本語はなぜ美しいのか』の2つです。自分の手から離れたら、自分のものではなくなるというか、本は編集者と出版社のものだと思っているので、私はあまり口出しはしません。私は分析してわかったことを書いているので、物理学の論文を書いているのとほとんど同じだと思っているのです。物理学の法則を見つけても、それは自然界の法則であって自分の生み出した法則ではありませんよね。脳科学で男性脳というものはこういうもの、女性脳というのはこういうもの。確かにそれを表現するために事例として付けるものについては多少の著作権は発生してくるとは思いますが、これは別に私が発見しなかったとしても、そこにもともと存在していたものなので、私にとっては、「本の中に私の発見したことが書いてあるから、あなたもちょっとこの法則を使ってみてね。計算が楽になるわよ」といった感じなのです。自分の成果だと思ったことは、あまりないような気がします。

ツールと脳の一体化、神経回路とツールの連動



黒川伊保子氏: (聞き手のKindleを手に取って――)Kindleの、この画面の質感はすごくいいなと思うので、私は今後、自然に電子書籍を手にしていくんだろうなと思います。例えば、作家の方で「ワープロで文章を打つのは嫌いだ。手書きじゃないとダメ」とおっしゃる方もいますよね。でも私自身は、ワープロがなかったら著作活動を始めなかったと思います。書き言葉にはなっていますが、私の文章は喋る文章なのです。読んでいただくと分かると思うのですが、ワープロを使って喋るのと同じ速さで書いているので、喋る速度で読めると思います。それはワープロでなければ無理なので、私はワープロでしか書くことができません。私は万年筆にはすごく凝っていて、「もうこれしかない」という1本を持っていますが、万年筆で書くと文章の速度が遅くなるし、私が書く本の言葉の色合いは出てこないと思うので、本はそれで書きません。それから、手は脳の神経回路と連動しているのでキーボードのストロークや位置が変わると、しばらく文章が書きにくくなります。ツールと脳が一体化するから、ツールを別のものに変える時にはすごく抵抗があるのですが、脳の神経回路がそのツールに連動することができれば、問題はなくなると思います。例えば、将来もっとウェアラブル(身につけられる)になって、自分の眼鏡に字が映りこんでくるようになって、空に関する詩を、空を見上げて見る、などという風になるかもしれません。そういうように、あらゆる文字情報を得る時の体系が変わってくる可能性があります。今ではオール天然カラーが主流になった映画界で、わざわざセピアの映画を作る方もいらっしゃるわけですし、紙には紙のうれしさがあるから、紙の本も残るでしょう。でも、ツールは進化し続けていくと思います。

――代替するもの、というよりは選択肢が増えていくということかもしれませんね。


黒川伊保子氏: ツールの進化によって、文体なども変わると思います。私は文体の変遷を研究しているわけではありませんが、入力するツール、出力するツールによって大きく変わるのではないでしょうか。例えば、一文の長さや、漢字を含んでいる割合などに関しても、おそらく見た目で変わってくると思うのです。

――男女脳について書かれた本も出版されていますが、ご自身に関してはどのように分析されているのでしょうか?


黒川伊保子氏: 考えた事もなかったですが(笑)、プロポーズされた時、理由の一つとして「放っておいても生きていけそうだから」と、複数の人に言われたことがあります。何日か放っておいても、1人で楽しく過ごしていそうな感じで安心するということのようです(笑)。確かにその通りで、私は、例えば誰かをすごく好きになると、好きになることに精いっぱいで、自分を好きになってもらおうという風にはあまり思わないのです。相手に失礼かもしれませんが「こんなにワクワクするのに、私がこの人にガッカリする日がくるのが淋しい」と思いながら恋をしているので、相手の自分に対する思考には一喜一憂しません(笑)。名刺を出す時の動作が美しいとか、電話でずっと声を聞いていたいほどいい声だとか、ちゃんこのつみれを入れるタイミングがいいとか、その人のマニアになってしまうのです。だから若い頃は、もしかするとたくさん誤解を生んだかもしれませんね(笑)。

「この人のために書こう」と定めて、本を書く


――どんな想いで、本を書かれていますか?


黒川伊保子氏: 実は私は、目標というのを立てたことがないのです。私はこういう風になりたいとか、講演をしたら皆に素晴らしいねと言ってもらいたいとか、55歳なのに40代に見られたい(笑)といったものが一切ありませんし、理想の形も決めないので引き算でものを考えたこともありません。ただ、誰よりも自信があるとしたら好奇心ですね。ビジネスには関係がありませんが、この夏、ダンスのデモンストレーションを踊るので、そのことで今は頭がいっぱいです。私はボールルームダンス、昔風に言うと社交ダンスを36年やっていて、発表会で先生と踊るだけなのですが、とても楽しみです。その趣味のダンスの発表会だけは、命をかけているから、めちゃくちゃテンションが上がるんですよ(笑)。これからダンスの新しい本も書こうと思っています。

――ダンスの本以外にも、書いてみたいなと思われているものはありますか?


黒川伊保子氏: 私の場合は「あんなこともこんなことも伝えてあげたい」といった感じで、書きたくて仕方がなくなるのです。例えば今、2つ新書を抱えているのですが、その1つのテーマはビジネス版“英雄の書”。お友達の、大学生の息子さんと喋っていると、「こうすると恥をかくから」などと考えているように思い、「もっと無邪気にのびやかに生きていけばいいのに」と私は感じたのです。その足枷を取るために、色々な脳科学のコツをその本では書こうと思っています。息子が中学2年の時、調理実習の日に、朝少し体調が悪くて遅刻したことがあるのです。私が息子に「早く出かけなさいよ」と言うと、「『黒ちゃんは料理ができたところに来る』ってみんなに言われたら恥ずかしいし、食べるだけというのも自己中だから、今行くのは嫌だ」と言いました。私は「食材は人数分用意されているし、みんなあなたの分も作ってる。あなたのするべきことは、おいしそうに食べて、『後片付けは僕がやるね』って言うことじゃないの?男はね、時々失敗してとやかく言わせた方が懐が深く見えるのよ」と言ったら、初めての親子喧嘩になりました(笑)。結局息子は私の話に納得してくれて、放課後ぐらいの時間帯にメールがきて、「みんな『黒ちゃんは舌が肥えているから、味見してほしかったんだ』と言ってくれた。行って良かったよ」と書いてありました。

――そういう心のやり取りにヒントがたくさんありそうですね。


黒川伊保子氏: 後に息子からは、「あれは勉強になった。失敗というより人にとやかく言われることが怖くなくなった」と言われました。そういう心構えがあると、ドシンと構えられますよね?そういった話をいくつか繋げていって、来年の新入社員に買ってもらえるように準備しようと思っています。「新入社員が読むための脳科学の本を書いてください」と言われた時は難しいなと思っていましたが、企業に買ってもらうというよりは、友人の息子さんにプレゼントしてあげようと思ったら、書けるなと思えてきました。私が本を書く時、一番大事なのは、「誰のために書くか」が定まることなのだと思います。例えば編集者から、「実は失恋したばっかりなんです」と聞くと、「この子のために男女脳の本を書こう!」と思うのです。

喜びも悲しみも全部、私のために用意されているというか、この世の全てが私のための舞台だと私は思っています。また、私は自分のことを、息子や夫、友人、クライアントの“喜び組”だと思っています(笑)。喜ばせるのではなくて、喜ぶ役。男性は特に女の人に喜ばれたらうれしいと思いますので、心を込めて精一杯喜ぼうと思っています。
イホコ流に人生を捉えると、めちゃくちゃ楽しめると思うんです。実際にネガティブなことが起こった時にも、このこと、誰に言いつけて甘えようかな~とか思ってますから、この人は(笑)全ての人がそれぞれの人生の主人公なのだから、人は委縮する必要はないと私は思っています。もし、委縮しそうになったり、偏差値に負けそうになったりした時、あるいは何かの客観的評価に負けそうになった時には、私のような、こういう考え方の人間もいたなと、思い出してほしいなと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 黒川伊保子

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