小林源文

Profile

1951年、福島生まれ。小学校低学年より東京の下町で育つ。高校卒業後、弱電関係と冷凍ユニットの整備員を経て、24歳、『壮烈!ドイツ機甲軍団』(立風書房)で漫画家デビュー、35歳よりフリーとなる。日本における戦争劇画の第一人者であり、戦争を題材とした作品を描く。登場人物の台詞にも印象的な台詞回しを特徴とする。 著書に『黒騎士物語』(日本出版社)、『Cat Shit One』(ソフトバンククリエイティブ)など多数。

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人が今まで描いたことのないものを表現したい


――長年描かれてきて編集者や読者の反応はどう感じますか。


小林源文氏: ある時編集者に「小林さんのはセリフが多いね」と言われました。これには理由があるのですが、漫画と小説じゃ表現方法が違いますから。小説というのは、ここで何か起きるために1から10まで全部下ごしらえして「何か起きました」というのがあるでしょ。漫画は突然ポンと「これが起きました」となってそこから話を始めることができるんです。だからアメリカの映画なんていうのは、最初からドカーンと大事件が起きて話が始まるでしょ?お話作りって意外性と整合性なのです。あとはリアリズム。リアリズムは、目で見る小説のつもりで作っています。だからセリフも多いです。
それから、編集長だけではどの漫画が面白いか分からないから、読者の投書に委ねていたのですが、自分が『ウルトラジャンプ』をやっている時、投書でビリから2番目だったんです。その時、編集長に「ビリから2番目なのに、なんであんたの単行本が1番売れるんだ」って言われた時は、腹を抱えてゲラゲラ笑いましたよ(笑)。

――編集者と意見を戦わせながら作品を作っていくんですね。


小林源文氏: そうですね。やっぱり人が今まで描いたことのないようなものを表現したいじゃないですか。ただ最近は、すごい編集者が少なくなったように思います。ただ原稿を入稿するための作業じゃなくて、一緒に何か考えてくれるような人がいいね。今仕事している担当編集者とは10何年の付き合いですが、「おたくが1番紳士的だね」と言ったら、「え?うちはただの会社ですから」って言うの(笑)。出版という今までのイメージとちょっと違う会社だからかな。この間『オメガ7』をやる時は俺が間に合わなかったんですが、彼は自分の首を賭けて締め切りを3週間ずらしてくれました。「先生の本は必ず増刷がかかりますし、赤字になりませんから心配していません」って言ってくれました(笑)。

――電子書籍やインターネットでの作品や情報発信も積極的にされていますね。


小林源文氏: 10何年前に150万かけてMacintoshで描き始めた時は、Macもすぐフリーズして、ひどかったです。毎回保存しないといけなくて、徹夜で描いた絵がうっかりフリーズして消えてしまった時は思わず涙がウルウルウルって出たり(笑)、MOの相性が悪くて続けて10枚ぐらい飛んでしまったり(笑)。でも、かみさんに「これ、使えないよ」と言ったら大金をかけている手前、何を言われるか分からないから、「いや、だまって描かなきゃ」と思って必死に使いこなしました(笑)。

そうやって電子機器との相性も次第に良くなっていったのですが、今後新たな取り組みとして『黒騎士物語』の英語版をKindleにアップしようと思っています。ほかにも「World of Tanks」(オンラインゲーム)のデザインをやっています。この絵を描くと最初に10か国ぐらいにアップされるそう。全部で15カ国でやっているので、少しずつですが海外での知名度も上がるようにしようと思って。

――海外発信をする中で、交流などはありますか?


小林源文氏: アンダルシア地方政府の招待で2、3日の間、向こうで漫画教室をやったんです。そしたらそこでお昼から酒を飲まされて。食前、食中、食後とフルコース。2日目か3日目には「もう勘弁してくれ」と思いましたね(笑)。そうしたら今度はEUのイタリアの代表団まで来て、一緒に俺が説明するのを聞いていたりして。あれは面白かったですね(笑)。

昔、中西先生の所でスペイン出身のエステバン・マロウドという作家のアメコミを見せてもらったのですが、ペン画がすごくかっこよくて、こんな画を描きたいと思ったことがありました。アンダルシアに行く前にもスペインに行く機会があったのですが、会うことはできませんでした。1942年生まれだからもうそろそろ結構な年かな。そういう想いがスペインにはありますね。

一枚絵の描ける人を育てたい。「毎日続けて描く」ことが大事


――作品制作だけでなく、現在は後進の育成にも熱心に取り組まれているそうですが。


小林源文氏: 絵描きさんでリアリズムを描ける人を育てたいと思って教室をやっています。まだスクールを始めて2年か3年目だけど、少なくともちゃんとした絵を描ける人になるには、やっぱり10年ぐらい続けないと結果は出てこないんじゃないかと思っています。そのうち、町田の方に分校でも作る時は、海の描き方、空の描き方、船の描き方、それを教えることができる場所も作りたいですね。大きな会社の応接間に行くと、大きな海洋画が飾ってあることが多いですが、その需要は結構あると思う。昔、少年誌が廃刊になって仕事がなくなった絵描きさんが、中西先生のところに「この先どうしようか」と相談に来てたんです。そうしたら中西さんが「海洋画を描きなさいよ」と言っていました。その人は10年後には海洋画で有名になって、それで食べられるようになってましたね。

――続けることで結果が見えてくる。辛いときはどうやって乗り越えていきましたか。


小林源文氏: 体力仕事もキツいけど、例えば、漫画だって眠らないでやるのはすごい苦痛で、午前4時頃になると「俺、何をしているんだろうな」と思うことなんかも何度もあるのですが、最高にいいものができた時は、やっぱりすごく嬉しいんです。誰も見たことのないものを見せてやろうと思うでしょ?そういう喜びがあるから続けられるんです。いかにその喜びを自分自身で発見して見つけていくかだね。昔、「おお、すごいな」「かっこいいな」と思って憧れた中西先生とか高荷先生も、もうお年で描き手は自分しかいない。だからこそ、もっと描ける人が出てきて欲しいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 小林源文

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