先人達をリスペクトする。「大好きだから」描けるもの
イラストレーター、漫画家。『月間漫画ガロ』の入選作『パーティー大好き』(1995年7月号掲載)でデビュー。『MUSIC MAGAZINE』『レコード・コレクターズ』に『レコスケくん』を連載し、レコード収集マニアの主人公が人気者になりました。牧歌的な画風でありながら、シニカルなストーリー・世界観によって、熱狂的なファンを獲得。「爆笑問題のバク天」の番組キャラクター、そしてスピッツや奥田民生、東京事変などのジャケットなども手掛けられています。また、ジョージ・ハリスンの熱狂的なファンであり、レコードコレクターとしても有名で、今年、7インチシングル盤限定・アナログレコード専門レーベル「雷音レコード」を立ち上げました。イラストレーター、漫画家としての自身の経験、趣味やアナログとデジタルへの思いなどをお話していただきました。
「アナログ復興計画」?
――なぜレコードレーベルを作ろうと思われたのでしょうか?
本秀康氏: 音楽に関しては、とにかくアナログが大好きなのです。ずっとレコードを買って音楽を聴いていましたが、実は「音楽そのものよりも、レコードが好きだったのでは?」と思うくらい、器、盤のほうに興味があるので、最近はあまり音楽に興味がないような気になっています(笑)。今は、ネットで音楽をダウンロードするのが主流になっていて、そこでしか売っていないものは僕もネットで購入していますが、データは買ってしまうと聴かなくなるので、モノとして存在するアナログの良さを再認識しました。それに、最近はCDの立場が少し危うくなってきているので、もしかしたら、今がアナログ復興のチャンスかもしれないということで、それを盛り上げるために「雷音レコード」を始めました。
――レコードの良さはどういうところだと感じていますか?
本秀康氏: やはり音楽は情報量が音だけなので、映像作品などよりも情報が少ないです。CDやレコードはジャケットのビジュアルで、イメージを補っていたのだと思いますが、ネット配信は、そこが弱い気もします。デジタルジャケットが一応付いていますが、最近は、あってもないのと同じのような気もしています。
雷音レコードの活動に関して言うなら、僕の「レコードを作りたい」という気持ちが一番強いです。他には、僕の周りのデビューしたての若いアーティストたちのプロモーションになればいいなというのと、アナログが復興したらいいなという、その2つです。実際に儲かることをしているわけではありません。基本的にプレスした枚数が全部売れればトントン。全部売れることはほとんどないので、1ヶ月に1枚出して、5万円赤字という感じでしょうか。好きでなければ、やっていけない事です。
漫画の原点
――絵や漫画を描くようになったのは、いつごろでしたか?
本秀康氏: 小学生のころからですね。僕は3月生まれの早生まれなのです。早生まれだと、小学生のころは、4月生まれの人とは体力的に1年の差があるので、休み時間に外でみんなとドッジボールをやってもかないません。それで、「みんなで集まって、休み時間は教室で絵を描くか」という話になりました。僕の周りで絵を描いている友人も、早生まれの人が多かったですね。僕自身も、気が付いたら絵を描いていました。
――子ども同士で集まって、どのような絵を描いていたのですか?
本秀康氏: 最初は仮面ライダーやウルトラマンの絵を描いていました。回し読みするためにノートに漫画を描いていました。中学校までは、僕の描く漫画がクラスで大人気だったのですが、高校はデザイン科のある工業高校に入ったので、「絵が上手い奴はこんなにいるのか」と、驚きました。中学で僕がやったように、中学時代の自分のように漫画を描いてクラスで回す奴がいたのですが、そいつの漫画には到底敵いませんでしたね(笑)。その後、転校して横浜の工業高校のデザイン科に入りましたが、また漫画を描いてクラス中に回し始めました。
――彼の漫画はどういったものだったのでしょうか?
本秀康氏: 僕の描いていた漫画は、自分でオリジナルキャラクターを作って、ただ単に面白いストーリーを考えて描いていたのですが、彼の描く漫画はかなりプロデュース能力があって、学校のクラスメイトの不良や先生などを主人公にしていました。でも、その主人公を完全に崇め奉るわけではなくて、最終的には少し間抜けな役に落とし込める、その感じがすごく不良本人にビビッとくるようでした。僕はその時は漫画を描いていませんでしたが、彼からはそういった手腕を学びました。横浜に引っ越してから、また漫画を描き始めた時、彼の手法をそのまま真似して描くと結構人気が出ましたね。
著書一覧『 本秀康 』