編集者は一般読者
――漫画などを描く時に、編集者とはどのような感じで作品を作っていっているのでしょうか?
本秀康氏: 僕、漫画は、どちらかというとアンダーグラウンドに位置するところで仕事をすることが多かったのですが、1度だけ小学館の『月刊IKKI』という雑誌に『ワイルドマウンテン』という作品を連載させていただきました。その時だけは、編集者と話し合って、話を作っていくという世界を少し体験できたかなと思っています。基本的に僕は、自分で考えて、「ハイ、これを載せてね」という感じだったのですが、小学館の時だけは、ダメ出しがあったり、それに対して納得がいかなかったり、逆に、ああなるほど、さすがメジャーなところにいる人は考え方が正しいなと思って、それに倣って直したりということがありました。
僕はその時に、一般の人たちがどう思うかということに関しては、いまひとつ分かっていない部分があるということに気付きました。今は少し毒がなくなったというか、良い意味でも悪い意味でもアンダーグラウンドからは少し抜け出してしまったかなという感じです。
――編集者にはどのような役割を期待していますか?
本秀康氏: 編集者には、読者を見させてくれるといった役割を期待します。基本的にイラストレーションは1人で作りますし、漫画も、僕の場合は、基本的には自分1人で成立してしまう世界なので、それを閉じこもった世界にならないように開いてくれるのは編集者さんだと思います。客観性を持たないと伝わりにくいですし、あまりに毒がなくても僕らしくない。僕は結構マニアックな作家だと思われているようなので、開かれた表現をしすぎると、昔からの読者がガッカリしてしまいます。そういう悩みが10年くらい前はありましたね。あと、年齢も重なると集中力も気力もなくなってきているので、できることにも限界があります。その範囲内で、自分で納得できることをやろうと思っています。
――題材は、どのように選ばれるのでしょうか?
本秀康氏: 僕の場合は、自分が好きなものを取り扱った仕事が多いです。それも、僕だけではなくて、世間一般に好きな人が大勢いるから仕事が成立するわけですよね?だからその人たちに、認めてもらえるようなものを書きたいなと常々思っています。例えば、ザ・ビートルズをやる時は、ファンの眼差しを意識して、嫌われないように、誠実にやっています。愛がなくてもダメだし、生半可にマニアックぶっているけど、「実はこいつ知識がないのではないか」と思われたりするとやりづらいんです。ザ・ビートルズに限らずですが、見所があるなという風に認められないと風当たりが強いのです。だから、一般よりもそこそこ詳しいものしか仕事にしないようにしています。
お風呂で読めるものしか、読んでいない
――最近、読書などはされていますか?
本秀康氏: 今は、基本的に物語というものを楽しめなくなっています。本への取っ掛かりとなった推理小説は、どんなに辛くても最後に一応、「タネ明かし」というサービスがあります。金田一耕助シリーズだと謎解きがあります。それに慣れてしまっているから、純文学のように行間の情緒を楽しむといった楽しみ方ができないのです。1冊分厚い本を読むのは大変だけど、読んだ最後にはご褒美があるよ、というものしか読みたくなくて、楽しむ本の幅が最初から狭かったという感じかもしれません。あと推理小説というのは、トリックなどに限界があるので、昔の作家のほうが有利なのです。「あ、これはあのトリックの焼き直しだな」というようなことが分かってきたりして、ある時点から面白いと思うものがあまりなくなってきました。
――小説や文学以外の本も、読むことが減ってきているのですか?
本秀康氏: そうですね。すごく単純なことを言えば、時間と場所の問題です。唯一読む時間といえるのは、お風呂に入っている時間なのです。美しい装丁に惹かれて買った本は、さすがにお風呂には持って行けないでしょう。読む時間と場所が作れないということで、単純に読んでいないということなのかなとも思います。一方、学生の頃から毎月読んでいる音楽誌『レコード・コレクターズ』はいまではほぼお風呂でしか読んでいなくて、一ヶ月たって次の号が出るころにはもうガビガビなんですが、それはそれで愛着が沸いて、ボロボロのまま本棚に並んでいます。
――本はどのようにして買われるのですか?
本秀康氏: 普通の本屋さんに行って買っていますが、最近は「この本を買いに行く」と決めて、その本が置いているであろう棚に行く、という感じです。杉浦茂先生の本は絶対買うと決めて買っています。何か見つけて、ついでに衝動買いをするようなことはありません。
――ピンポイントで決め込んだ本だけを買うという感じなのですね。
本秀康氏: 僕はある時期から、本をほとんど買わなくなりました。レコードはサイズが全部一緒なので、レコード棚に入れる時にそろっていて気持ちいいのですが、本はサイズが異なるので、棚に並べても高さがガタガタしているから保管が大変で、本棚に入れることを考えると、なるべく買いたくないなと思ってしまいます。資料として、アルプスの山の写真が欲しかったらググれば1発ですけど、20年前はアルプスの山の写真集を買うのではなくて、ヨーデルのレコードを買いました。その手のレコードは大抵アルプルの山々の写真がジャケットに使われているんです。10年ぐらい前から本は一気に買わなくなりましたね。モノとして美しいのですが、かさばるという話。だから、たまに電子書籍は「いいな」と思います。音楽マンガをコンパイルするといったムックをこの間作った友達がいるのですが、その友達は、アメリカに行った時にも音楽について描かれたコマを探すため、『ドカベン』を全巻持って行ったそうなのです。それがすごく大変で、そのとき初めて電子書籍は便利さに気づいたそうです。僕は、漫画を最近読んでいませんが、読むのならば電子書籍のほうがいいかなあと思っています。でも僕自身も紙で読みたいという作家はいますので、やはり紙で読みたい作家だなと思われたいですね。
――紙で読んでもらいたいというのは、どういう心境なのでしょうか?
本秀康氏: 説明が難しいのですが、ものによっては、紙で持っていることがうれしいという不思議な感じがあります。アナログでレコードを買いますが、それだけではちょっと片手落ちで、デジタル音源も欲しいと思って、デジタル音源を買うこともあります。僕は手軽に音楽を聴きたい時用に、デジタル音源が欲しいと思って購入するのですが、電子書籍でも保存版と普段使う版というような意味合いで、同じような購入の仕方があるかもしれません。だから、音楽とのかみ合いで考えると、もしかしたら何か答えが見えてくるかもしれませんね。
再びマンガの世界へ
――仕事をしていく上で、どのようなことを大事にしていきたいと考えていますか?
本秀康氏: 僕は、先人の残した作品のリスペクトものが多いのですが、やはりオリジナル作品のファンの人に納得していただけるような、トリビュートの仕方をしたいと思っています。漫画にしても結構ルーツがあります。杉浦茂先生などをはじめとする大好きな作家さんを模写して生まれた、僕の個性というものもあると思いますが、やはりその絵から杉浦さんのエッセンスというのは、どうしてもにじみ出てくるもので、それがパクリだと思われたくないのです。だから「リスペクトしている」、「大好きだ」ということを表現しつつ、自分の作品ができれば、という気持ちでやっています。対象のルーツをちゃんとリスペクトして、そのためのルールをしっかり守るということです。
――これから始めたいことはありますか?
本秀康氏: 今、漫画を4、5年くらい休んでいます。作業中は苦しくても、でき上がったものが満足いくものだったら楽しいのです。その楽しい瞬間を目指して、苦しい作業をしているというような感じです。それが広く一般的に評価されればそれが2つめの楽しみとなるわけですが、そこに行き着かないことがあると結構めげてしまいますよね。自己満足で終わってしまうというのは一番辛いです。『ワイルドマウンテン』という漫画は、自分にとっては初の長編で、割と自信を持って世に出したのですが、それほど話題にならなかった。それがトラウマになってしまって漫画から離れていました。でも、4年と少しの間、そこから離れて時間で気持ちを癒すことができたので、そろそろまたやろうと思って、今はその準備をしています。雷音レコードのほうを少し落ち着かせて、来年くらいから、また久しぶりに漫画を描ければいいなと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 本秀康 』