遠野にすいよせられるように
――最初の『村落伝承論』を出版したきっかけはなんだったのですか。
三浦佑之氏: 『村落伝承論』が出たのは1987年、わたしが41歳の時です。遠野というところにすごく興味があったのです。吉本隆明さんがいて、彼は我々の学生時代の教祖様のような存在で、『共同幻想論』という本を1968年に出したのです。『共同幻想論』は、『遠野物語』と『古事記』を扱って国家論を展開していました。その国家論は国家解体論でもあるのですが、わたしは『古事記』を専門でやっていましたし、吉本さんはその『古事記』と『遠野物語』に描かれた村落の伝承とを重ねながら論理を作っていました。それを読んで「あ、そうか」と思って、『遠野物語』という作品に興味を持って読みはじめました。その後、文庫本を持って遠野へ行くようになったのが、この本を出す7、8年前でしょうか、70年代の終わりだと思います。出かけるようになって色々なところを回ったり、話を聞いたりして、ますます興味を持つようになりました。それで、吉本さんとは少し違うかたちで読み直せれば、ということを考えて、『遠野物語』を村落論として読んでいきました。それはわたし自身が、三重県の山の中の生まれだし、「そういう村落でずっと暮らしていた人間にとって、お話とはどういうものなのだろう」と考えたのがきっかけでした。それと、その頃、共立女子短期大学に勤めていたのですが、そこでのゼミで難しい古典を扱うより、昔話や『遠野物語』の話を取り上げて読ませたり調べさせたりしたほうがずっと興味を持ってくれるのです。そうしたもろもろの理由が重なったというわけです。
――その後、遠野の研究から古代文学の道にすすまれた理由は?
三浦佑之氏: というより私は、もともと古代文学を専攻していました。それは、大学で教えてもらったのが中西進という『万葉集』の研究者だったからです。中西さんは、昨年(2013年)文化勲章を受賞しましたが、すごく面白い学者で、話も書くものも面白かったのです。それで、大学に入った時には近代文学を勉強しようと思っていたのですが、古代文学を始めました。
ところが、『古事記』や『万葉集』など古代の文学を読んでいて気になるのは、漢字で書かれたものしかなくて広がりがないのです。今に遺されたのはそれだけだが古代には古代で、もっと別の文学世界というか、文字によらない音声による表現の世界があるだろうと考えました。そういう表現の世界を想像しながら、例えば『遠野物語』を読んでいくと、書かれたことがらの周辺に色々な伝承の世界が残っています。そういうものを一緒に考えていくことによって、古代というのはもっと広く豊かに読み直せるのではないかと思ったのです。今思うと単純ですが、古代文学、特に『古事記』の神話や伝承を考えるために、例えば『遠野物語』を参考にすることで広がりを持たせることができるのではないかと考えていました。そのためにわたしは、沖縄の祭りや資料を観たり読んだりしましたし、アイヌに伝えられている色々なアイヌの伝承類、カムイユカラ(神謡)や英雄叙事詩などを読んだり聞いたりもしていました。いずれも、文字によるのとは違う語りの世界、文字ではない非文字あるいは無文字の世界というものを見通しながら、古代文学を読むともっと神話を面白く、深く読めるのではないかと、そんな興味がいつも心の底にあったということでしょうかね。今、思い返してみると。
社会性とオタク性
――学生さんには、どのように研究の面白さを伝えていますか。
三浦佑之氏: 何かを調べるということは、最初は面倒だし苦痛もあるのですが、調べていくとわからなかったことが分かる、しかし、分かるとまた分からないことが増えるから、また次のところへ行く。そして芋づるみたいにずるずると辿っていくという仕事なので終わりがない。そこが面白いのだと言っています。そこまで行くと、調べることが楽しくなって、マニアとかオタクとかそういう類になります。いつも新入生がくると、「とにかく4年間オタクになれ」と言います。オタクになって夢中になって何か徹底的にやりたいことをやる、それが大学の4年間です。ただしオタクになって狭くなるのではなく、必ず外へ広げて社会性のあるオタクになるというのが必要だということを伝えています。
――2002年には『口語訳 古事記』を出されましたが、やはり研究成果を社会に還元するというような意味があるのでしょうか?
三浦佑之氏: そういう意識は強くあると思います。先ほどお話したように、社会性を持って、外へ広げることの大切さ。やはり外とつながっていない研究というのは、本当はあまり役に立たないのかもしれませんし、わたし自身が考えていることを少しでも読んで、知ってほしいと思っています。そこで何か新しい世界を手に入れていただければ嬉しいです。今、大学では社会還元ということがさまざまな場面で問題になっていますが、わたしは当然のことだと思っています。
歴史に残る本を目指して
――編集者とはどういうふうに本を作っていますか。
三浦佑之氏: 例えば最初の『村落伝承論』では、五柳書院の小川康彦さんに大いにお世話になりました。小川さんは、実はわたしの大学の2つ先輩で、学部は違いましたが、なぜか親しくしてもらっていました。小川さんはある出版社に勤めた後、自分で神保町に出版社を立ち上げました。わたしは神保町にある女子短大に勤めていたので、よく本屋さんなどで会いました。それで、当時、小川さんの出していた雑誌に書かせてもらったり、「本にまとめなさい」と言われたりする、そういう関係だったのです。
ですから、最初の本『村落伝承論』と、次の『浦島太郎の文学史』は本当にもうコネクションで(笑)、小川さんがいなければ最初の本は出せなませんでした。国文学の研究者は、国文学の専門出版社からデビューするのが普通です。わたしのように一般書で最初にデビューしている研究者は当時は本当に少なかったと思います。小川さんという先輩のおかげで、最初の本が本屋さんの棚に並んでいるのを見た時は本当に嬉しかったです。その時の感覚は、今でもよく覚えています。
――とんとん拍子に出版のお話が進んだようですが、実際に執筆される時は熟慮を重ねたと思います。本を書く時は、いつもどういう心境ですか。
三浦佑之氏: 論文は、雑誌に書いても1ヵ月すればデーターベースには残りますが、表向きには消えてしまいます。それに対し、本というのはずっと残ります。だから、きっちりと今の段階で最良のものを書きたいといつも思っています。数年で消えるのではなく、せめて10年は保たせたいと思っています。夢、理想としては歴史に残る本というものができたらいいですね。そういう意味では、今回『増補新版 村落伝承論 「遠野物語」から』を約30年ぶりに増補して出していただけたのはうれしかったです。青土社の菱沼達也さんという若い編集者のおかげですが。
著書一覧『 三浦佑之 』