世界中に僕の気功や技術を広げて、心と身体のエラーを正したい
一義流気功治療院院長。子供の頃から“気”を感じることができたという小池さんは、「精神気功」や「潜在意識との交流」など、独自の技術があります。また、「異常反応の解体」では鬱病の改善にも大きな効果を発揮しています。著書『ねこ背は治る!』はベストセラーとなり、NHKやフジテレビでも紹介されました。ご自身も各種メディアに出演し積極的に活動されています。小池先生に、著書やご自身のこと、電子媒体のことについて伺いました。
潜在意識も治療の対象
――治療を希望される方はどのような形で来院されるのですか。
小池義孝氏: なんらかの手段で僕のことを知っていただいて、電話やインターネットを通じて来ていただいているみたいです。一義流気功というのは、一義流気功は、知識と技術体系から構成されます。潜在意識というのはそれほど別個の存在ではなくて、自分の精神の中で、自分では確認できない、表面上の意識では分からない領域を、便宜上潜在意識と呼んでいるだけの話なのです。普段から潜在意識の交流というのはおのずと行われていることです。ただ、潜在意識ができることと、表面上の意識でやろうとしていることが違っていると、せっかく体も心ももっと良くできるのに、バッティングしてしまい、これができなくなってしまいます。それに、潜在意識にも実は知識というものがありますが、それも決して平等ではありません。ですから潜在意識に、新しい知識を持って治療を行うことによって、表面上の意識も含めた心全体が変わっていくということを目指しています。
周りとは違う自分に気が付いた
――荒川で開業開院されていますが、ご出身もこちらですか。
小池義孝氏: ええ、出身もこの辺りで、中学校もすぐ近くに通っていました。ボケッと、ノホホンとした子供でした(笑)。しかし、小学校の頃から人の心について知りたいという意識がずっとありました。目的意識もなく、そればかり考えていました。
――人の心について知りたいと思い始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
小池義孝氏: 僕は、人よりもだいぶ、おおらかにできているようなのです。他の人が嫌だと思うことを、自分がされても嫌だと思わなかったりします。小学校の1年生の時に担任の先生に「自分がされて嫌なことは人にやってはいけません」と教わって、そうしていたのですが相手は嫌がるのです。それで先生に何度か怒られた時に、「何でそんなことで怒るの?」という感じで、僕は理解できなかったので、子供ながらに「このままだとヤバイ」と思いました。その時、「人は何を考えてどんな世界で生きているのか」、「人の心について観察してデータを集めていかないと自分が成立しないぞ」と思ったのです。
色々、研究、探求をし始めていたら面白くて、ずっと、そのことばかり考えて、大学生の頃までずっとそんなことを考えていました。自分の心の反応を見て、「あっ、これは珍しい反応だ、どうしたんだ」というように(笑)。こういうことを考えつつも、小、中、高は普通の人生のレール上を走っていました。
――では大学は、心理学などの“心”に関する分野を勉強されたのですか?
小池義孝氏: 大学は政治経済学部の政治学科というところです。別に政治に興味があったのではなくて,ポピュラーな政治経済学部が無難だと思ったからでした。希望したものの、その先のことはあまりよく分からなかったので、1番上にあった「政治学科」と「政治学過程」に丸をつけたという次第で…。別にどれも勉強したくなかったのです(笑)。
――大学を卒業されて就職はどうされたのですか?
小池義孝氏: そろそろ就職する段階だなという頃、会社をしている父が、「お前は俺を手伝え」と言ってきたのです。僕は別に、どこか就職したいところがあったわけではなかったので、そのまま父の会社にいきました。
自分の人生、居場所を考えました
――どういった仕事をされていたのですか?
小池義孝氏: その当時、今から20年くらい前の話ですが、インターネットで楽天が出たくらいか、立ち上げの頃でした。「じゃあ、お前はインターネットでこのゴルフ用品を売る係だ」と言われて。ゴルフのこともよく知らないし、販売の経験もないのにいきなり丸投げされました。
楽天に出店する前は自分でホームページを立ち上げて、商品を全部並べて、ホームタブという枠組みのタブを使って注文を取っていました。その当時は、ホームページ・ビルダーもないので、1週間でホームページが作れる本というのを買ってきて、メモ帳でコードを書きながら作っていたのです。今のホームページもメモ帳で開いて自分で作っています。
――その後お仕事は順調にいきましたか?
小池義孝氏: 軌道に乗って人並みの給料くらいになりました。ところが、楽天が従量課金を始めて、ライバルが増えていく中で自分のお給料が、20万円を切るようになり、10万円台前半まで落ち込んでしまいました。ゴルフ用品をネットで売っていくぞ、というモチベーションも始めから高いわけではありませんでした。自分の人生全体を考えた時に、他にネットで売れそうなものを見つけて、売り続けていけば、たぶん一生食うには困らないだろうなと思ったのですが、思った瞬間ゾッとしたのです。「そんな人生は嫌だ」と思いました。この場所にはいたくない。ネット通販はどう考えても僕の長所が生かされていないので、自分が生かされるというのは何かなということを考えました。僕がいなくなっても、別に他の人から買えばいいだけですから、誰も困らないということが、すごく気持ち悪く感じて、「ここぞ自分の居場所だ」というところが欲しいと思いました。ちょうどその頃30歳くらいで、自分の一生を考え始めたのです。
著書一覧『 小池義孝 』