原動力は「なぜ」。これがなければ、仕事は始まらない
明治大学国際日本学部教授を務める、ジャーナリストの蟹瀬さん。上智大学文学部新聞学科を卒業後、AP通信社、AFP通信社を経て、アメリカへ1年間留学。アメリカ『TIME』誌で勤めた後、TBS『報道特集』のキャスターに。「ザ・ニュースキャスター」「スーパーモーニング」などにも出演されていました。カンボジアに小学校を建設するボランティア活動をされたり、現在は、「TOKYO ZERO」、「日本ゴルフ改革会議」副議長、雑誌のコラム掲載、講演会など、幅広くご活躍されています。今回は、ジャーナリストとして必要なこと、読書の重要性、電子書籍などについて伺いました。
トータルな力を身につけるには、読書が必要
――大学の講義はどのような雰囲気ですか。
蟹瀬誠一氏: 講義の内容は、日本のマスメディアや教養講座などで、留学生が多いので、全て英語でやろうという授業もあります。ゼミの学生との接触は多く、先日も六本木で飲み食いしてきました。結局、だいたいたかられるパターンなのですが(笑)。
――学生との親密さが伺えます。外国でも教壇に立たれていますが、感じる違いについて教えてください。
蟹瀬誠一氏: 僕の担当する学部の学生は、ジャーナリスト指向というか、メディアに興味がある人が多いです。比較的、日本の学生の方がおとなしいですね。留学生の方が積極的に質問してきます。なかなか上手く質問できないのか、講義が終わってから質問しにくることもよくあります。たくさんの人の前で質問するのは恥ずかしいという思いがあるようです。講演会でも同じようなことが起こります。
アメリカで講義をすると別の結果が起こります。ほとんどの人の手が挙がるのです。「授業にどの程度参加したか」というのも成績評価に入るので、質問があろうがなかろうが手を挙げるのです。それがよく見受けられる日本と海外の違いですね。それから、読書量の差。アメリカやフィリピンの学生がことさら読書好きだから、というわけではなく、科目ごとに膨大な量の本を読まなければ、授業で当てられても返事ができず、成績を落とされるから。それで仕方なく本を読んでいるのです。僕が留学生だった頃は、読むスピードが遅かったせいもあり、睡眠時間を削ってもまだ読み終わらないということも多々ありました。
――本と向き合って得られたものは、知識だけではないように感じます。
蟹瀬誠一氏: そうですね、そこに書かれている知識だけではく、ものをゆっくり考える力が読書によって培われたと思っています。自分が問題に直面した時、誰にも相談できず、ひとり一生懸命考えるということがありました。ところがメールはもとよりLINE、FaceBookなど、コミュニケーションが簡単で、シンプルになった今、すぐに両親や友だちに助けを求めることができゆっくり考える時間が逆に奪われてしまいました。
インターネットも同様に、検索してしまえば問題の答えがすぐに出るので、非常に効率が良く、利便性というプラスの部分がありますが、それが故、「ゆっくりものを自分で考えて自分で結論を出す」というプロセスの重要性が軽視されがちで、また気が付かない人の方が多いというのもマイナスの部分です。世の中は、実はものすごく複雑で、シンプルに「白か黒か」、「善か悪か」などと、分けられない世界なのです。読書はそんな時代において、能動的にシャットダウンして内面と向き合える作用があります。
――情報時代にあえて、距離を置く。
蟹瀬誠一氏: ネットで手っ取り早く情報サイトを見て、それで納得してしまうのはよくありません。東大には月尾先生がいらっしゃるのですが、彼は本の中で「情報化社会というのは、ものすごく無駄な情報が多いために、かえって本物の情報が見えにくくなっている時代」ということをおっしゃっています。僕はその意見にすごく賛同します。自分で考えてみるというのが必要。どの時代でも、知識よりも想像力の方が大事なのです。今は知識が氾濫していて、キーワードを入れたら全部出てくる。各人が世界最大の図書館を持って歩いているわけですよね(笑)。検索すればみんな出てくるから、覚える必要がない。そこで何が必要かと言ったら、想像力や分析力など、そういうトータルな力というか、人間力に近いもの。それを養うのが、僕は読書だと思います。
速報性に疑問を持ち、人生の方向を転換
――ゆっくり考える力を大事にするという考え方は、蟹瀬さんの人生にも影響しているのでしょうか。
蟹瀬誠一氏: そうですね。大学卒業後、最初は通信社というところから始めたのですが、通信社というのはとにかく時間との勝負。ライバル会社よりどれだけ早くニュースを正確に出せるかということが重要だったので、忙しなく生きていました。それが当たり前だと思っていたし、すごく興奮していました。昔、毛沢東が死んだというニュースを、僕がいたAP通信が、ライバルより20分ほど早く報道しました。それで、「よくやった」とパーティ(笑)。通信社というのは速報性というところに命を懸けているから、それは仕事として仕方がないかもしれませんが、冷静に考えてみると、20分早く報道したというのが、どれほどの意味があるのかということに関しては、あまりよく分かりませんでした。だから僕は通信社を辞めて、『TIME』という週刊誌の方に移りました。点で起きているイベントを線でつないで、いったいその出来事がどういう意味を持っているのかというのをじっくりと分析して書くというのが『TIME』の真骨頂でした。時代はスピードを求めているけれど、自分の人生は、より遅い方へシフトしていったという感じはしますね。
――技術の発展は、必ずしも良い影響ばかりではないのかもしれませんね。
蟹瀬誠一氏: 技術は日進月歩。人は空も飛べるようになったし宇宙にも行けるようになりました。でも、ギリシャ神話を読んでいても分かりますが、人間そのものはほとんど進歩していません。昔から浮気があって夫婦でもめたり、妬みあいがあったり、友情があるかと思えば裏切りがあったり。人間は進歩していないけど技術だけが進歩している。かつてアインシュタインは、「技術が人間を凌駕する時代がくるのが一番怖い」と言っていました。なぜかというと、技術が人間を凌駕する時代がきたら、人間はみんな馬鹿になるという風にアインシュタインは予言していたからです。その通りだなと思うのは、スマホが発達して、駅のホームでも、みんなスマホを見ながら歩いている。それで階段から落ちたりとか、ひどいケースでは駅のホームから落ちたりとか。これは、技術が人間を凌駕したために人間がダメになっていることの表れではないでしょうか。カフェで若いカップルを見ていても、お互い目を見あって話をしている風景はほとんどなくて、隣に座っているのに違うものを見ている。バーチャルな世界の方がリアルな世界より大事になってしまったのでしょう。LINEでつながっている友達の方が、隣にいる友達より大事になっているという感じを受けます。これはあまり良くないと思いますね。
三島由紀夫の事件がきっかけで、ジャーナリズムの世界へ
――大学はどのようにして決めたのでしょうか?
蟹瀬誠一氏: 埼玉の浦和西高校に通っていた時に「そうだ、俺は画家になろう」とふと思い立って、武蔵野美術大学を受験しました。でも落ちてしまったので、「俺は才能がない」とすぐに割り切り(笑)、次の年には「体育の先生になろう」と思いました。それで日本大学の文理学部体育学科というところを受けたら、見事な立ち幅跳びの成績で合格(笑)。だけど1年間、学生運動の最中にいて、「自分の将来は体育の先生じゃないな」と思い、親には内緒で退学しました。そして色々探していたら、上智大学に新聞学科という、聞いたこともないものがあった。「これだ!」と、即決しました。
――当初からジャーナリズムに興味があったわけではないのですね。
蟹瀬誠一氏: 全然興味がなかった(笑)。ジャーナリズムに興味を持ったきっかけは、上智に入った1970年に起きた、三島由紀夫の割腹自殺です。僕はノーベル文学賞にいつも名前があがるような三島由紀夫という作家が、なぜああいう軍隊の真似事をして、しかも最期は壮絶に切腹をして死んだのか。それがすごく不思議でした。そこからジャーナリズムの世界に魅力を感じ始めました。世の中の「なぜ」を調べ、発表していくのがジャーナリズムの仕事ですから、自分の中にまず「なぜ」がないと、始まらないですよね。食べ物1つでも、「なぜこんなものがうまく作れるんだ?」とか、ジュース1杯飲んでも「なぜこれはこんなに美味しいのか?」とか。その答えが、すごく知りたい。堅苦しい政治経済の話以外にだって、「なぜ」は色々なところに転がっていますよね。
読書をし始めたのは、英語を学ぶため
――留学先をフィリピンに決めた理由は?
蟹瀬誠一氏: 70年代、優秀な人はみんなアメリカやイギリスへ留学していました。僕の原点は「人の行かないところへいく」ということ。上智大学の新聞学科もそこから始まりました。それで、人が行かないところを探していたら、ちょうどその年から、フィリピンのアテネオ大学と上智大学が交換留学制度を始まったのです。そのプログラムの長をやっていたのが新聞学科の先生だったので、「自分の学科から1人か2人は行かせるだろう」と読んでいたところ、案の定その読みが当たり、行かせてもらうことになりました。策略というか裏読みというか(笑)。その頃から、なんとか楽をして実現させようというズルいところはあったかもしれませんね。
――フィリピンへ留学されて、いかがでしたか?
蟹瀬誠一氏: ジャーナリストとしてアジアを見る視点というのかな、日本人がなぜアジアでこんなに嫌われるのか、それからアジアってこういうところなんだということを、自分で実地で知ったので、フィリピンでの1年にはものすごく価値がありました。あと、この留学がきっかけで、本を読むようになりましたね。
――元々は、あまり読書はされない方だったのですね。
蟹瀬誠一氏: ええ。それまでは、そんなに本を読みたいと思ったことがなかったので、ほとんど読んでいませんでしたが、大学生になって、急に本に目覚めて読むようになりました。フィリピンでは英語で授業をするため、とにかく英語力を早く身につけたいと思いました。そのためには、ボキャブラリーがないとダメですよね。それでポルノ小説からマルクスの共産主義論まで、ありとあらゆる本を読み始めたのです。一番役にたったのは、宇宙飛行士の体操法の本。どうやって体操して体力をつけるか、体の表現、動かし方や筋肉の部位の名前など、全部英語で覚えました。それを実行すると健康にも良いし、筋トレもできるので一石二鳥でしたね(笑)。
日本の大学と違って、フィリピンでは、たくさん本を読まされました。自分が面白そうだなと思ったものだけ読んでいると視野は広がらないし、逆に言うと面白いものを見逃してしまうことにもなるので、乱読していました。
今は、飛行機に乗って海外に行く時に、必ず行きと帰りで1冊ずつ読み、取材に行った時でも3冊ぐらいは読んで帰ってくるようにしています。
映画にもテレビにもない、本の魅力
――よく読まれる作家さんなどはいらっしゃいますか。
蟹瀬誠一氏: ジェフリー・アーチャーの本が、面白いです。彼はすごいと思います。国会議員であり、しかも刑務所にも入り、非常に数奇な運命を辿った小説家です。小説家はもともとは本業ではなかったのかなと思いますが、彼の小説には、彼の持っている膨大な歴史的な知識がどんどん出てきます。アガサ・クリスティーも僕はすごく好きなのですが、そういう歴史を感じさせるような、奥行きのある話は、すごく面白いです。
――やはり海外の作家の作品がお好きなのですね。こちらのお持ちいただいた本は…?
蟹瀬誠一氏: 柳田邦男さんの本です。3・11で人類史上最悪の原発事故が起きたにも関わらず、わずか3年で何事もなかったように日々を過ごすようになっていることの怖さ。これはメディアがきちんと報道していないから。なぜ報道していないかというと、見えざる大きな力がマスコミに影響を与えて、しないように仕向けているから。「このことをみんなで考えたほうがいいよ」と、非常に素晴らしい筆の運びで書いていらっしゃいます。発見もあるのですが、自分が思っていることをきちんと整理してくれたという感じです。
そういう意味ではなかにし礼さんの本。僕は、なかにしさんとは仲良しなんです。安倍政権になって、日本国憲法をなし崩し的に、解釈で変えてしまおうというのは、憲法の精神に反するやり方ですよね。なかにしさんは優しそうに見えるけれど、中国で戦争が終わって命からがら逃げてきたという戦争の実体験がある方なので、力強い反戦派なのです。その想いが本に書かれています。自分の中にあるものを整理するために、同じテーマ、同じような考え方を持った人の本を読むのは、すごく役に立ち、いいなと改めて感じさせられました。こういう風にものを考えれば、相手に対して説得力を持って話せるんだということを学べると思います。
――外国の本でおすすめの本はありますか?
蟹瀬誠一氏: ずっと大事にしていて、プレゼントなどにもよく贈る本があります。フォレスト・カーターというチェロキーインディアンであるアメリカ人が、色々な聞き語りをしながら、自分の子供の頃の思い出を書き綴ったもので、『The Education of Little Tree』という本です。今はインディアンではなく、ネイティブアメリカンと呼ぶようになりましたが、この本には人間と自然とのかかわり、それから生きるということ、死ぬということが、色々なエピソードと共に、読みやすい物語として書かれています。最初に読んだ時は、色々と考えさせられました。中学生ぐらいで読むのがちょうどいいかなと思いますが、どの世代でも読める名著だと思います。
それから、スノーデンの『No Place to Hide』。大きなテロ対策という建前の元に、メールアドレスなど国民のすべてのデータが政府の手に渡っていて、我々が知らないうちに、あらゆるプライバシーが捕捉されてしまっている。スノーデンは、そのことを世に知らさなければ、という正義感から、香港に渡って暴露します。アメリカ政府は彼をとにかく反逆者や外国のスパイにしたいとか、色々な策略をしているようなのですが、僕はノーベル賞を彼に与えた方がいいと思いますね。
もう1つ、ポール・ヴァレリーの『精神の危機』。彼は、第一次世界大戦の後に、経済優先で人間性が失われ、まっとうな評論家、文明を語る人などは、居場所がなくなると予言していました。これはすごいことだと思います。そして、これは言ってみれば哲学の世界に近くなるわけですが、物事をゆっくり考えることの大事さを彼は説いているのです。今は、人間の精神が、危機にさらされている時代です。便利でお金を持っていて快適な生活はできるようになったけれど、精神の方はどんどん貧乏になっている感じがして、改めて『精神の危機』を読み直しました。
――昔の本を読み返したりすることもあるのですね。
蟹瀬誠一氏: 今はそういう本がものすごく少なくなったんじゃないかな。100年後にまた読み返してもらえる本は、そんなにたくさんないですよね。僕は生きている間に、そういう本をたくさん読みたいですね。
――蟹瀬さんにとって、本とは?
蟹瀬誠一氏: 大げさな言い方をすると、自分の精神を救ってくれる存在。改めて、自分の内側を発見させてくれるようなものですね。そして、何かを反芻するための道具、あるいは、何かに警鐘を鳴らすもの。あと、純粋なエンターテインメントとしての面白さが、小説にはあるわけです。アガサ・クリスティーやシャーロック・ホームズなど、謎解きしていくようなサスペンスが僕はとても好きなのですが、これらは純粋なエンターテインメントとしての本ですよね。これはテレビや映画にもないエンターテインメントの世界です。映像は、自分の中のイマジネーションでしかありません。テレビで赤いバラを1本見せて、ここに赤いバラがありますと言ったら、その1本のバラしかないんですよ。100万人の人が見ても、1本のバラを見ているから、100万人の人の頭の中に浮かぶバラはそれしかない。ところが小説の中に1本の赤いバラがあると書いてあったら、100人いたら100通りのバラがそこにあるわけで、決して同じバラはない。そういう想像力を掻き立ててくれるという面白さが本にはありますよね。『風立ちぬ』も、堀辰雄の『風立ちぬ』と、スタジオジブリの『風立ちぬ』は、別物。登場人物一つ取ったとしても、ヒロインにどのような女性を思い浮かべるかは、読む人の好き好きですよね。
3Rから3Xへ。重要なのは価値観の共有
――『1日15分が一生を変える!』には、ご自身で体験していないと書けないことが書かれていますね。
蟹瀬誠一氏: 僕は、会社の社長や経営者をインタビューする、「賢者の選択」というテレビ番組をやっているのですが、一流企業の社長はものすごく忙しいわけですよね。ところが、優秀な人間ほど忙しそうじゃない。「これはなぜだろう?」というところから始まったのです。
忙しい忙しいと言っている人は、時間の使い方がすごくへたくそだというのが見えてきたんです。それで、60分を4つに分けて、15分をワンユニットにし、そこで何かを成し遂げるという風にすれば、余暇の時間が生まれてくるだろうと考えました。例えば、朝起きて、15分パソコンの前に座ってメールなどをチェックする。それから、15分散歩。そして、15分で食事をして15分でエクササイズをする。1時間で4つできますよね。僕は連載の原稿などは15分ぐらいで書いてしまいます。電車の中でも、道を歩いていても頭の中で原稿を書けるというか、こういう書き出しでいって、最後はこういう感じで終わって、真ん中はこんな感じでいく、ということがパッと決まれば、あっという間に書けてしまいます。あとはデータをちょっと集めればいい。15分ぐらいで書けると、余る時間ができるので、そこでゆっくり自分で好きなことができる。人によって、単位は5分でも30分でも構わないのですが、15分で済まない仕事は2つのユニットで30分、3つで45分というようにやっていくと、わりと上手く、慌てないで物事が片付くのです。
――そういったことを、本やテレビを通して発信していただいたことで、自分とは違う生き方を学べるのだと思います。
蟹瀬誠一氏: かつては、知識を独占している人が強かったのですが、今のインターネットの時代というのは、いかに共有するかが大事なんです。みんなと同じ価値観を共有できるかどうかでビジネスも成功しているわけだし、友達関係も広がっていきます。大学でよく言っているのは、「これまでは3Rの時代だったけど、今は3Ⅹの時代に変わりました」ということ。これは、MITにいる、人工知能などを研究しているミンスキー博士とパパートの2人が昔から言っていたことです。3Rというのは読み書きそろばんのことで、つまりReading、Writing、Arithmetic(算数)。これは基礎的な能力でもあるけれども、ひたすら覚える、どちらかというと日本型の詰め込み型の教育です。でも今は何が必要かというと、3つのX。1つはエクスプローラ、探究する力。何が問題なのか、なぜそうなっているのかと、自分で探究していく能力です。それから2つめがエクスプレス、要するにそれを表現する力、プレゼン能力です。3つめがエクスチェンジ、つまり共有することなのです。
紙の本への愛着は捨てきれない
――電子書籍について、どうお考えですか。
蟹瀬誠一氏: 仕事でアメリカへ行った時の飛行機の中のことですが、ビジネスクラスで本を読んでいる人の半分が電子書籍で読んでいましたね。時代は変わってきていると実感しました。ボストンバッグに本を詰めて旅行する知り合いがいますが、何冊も本を持っていくのは重たいですよね。やっぱりそういう人にとっては、電子書籍になっていればそれを1個持てばいいわけです。使い始めは、目がくたびれたりなど、紙で読むのに慣れているせいか疲れる感じがありましたが、今の電子書籍は、めくる感じが紙と同じ感覚だったりと、本当によくできています。アメリカの進んだ図書館には本がなく、みんな電子端末でダウンロードしています。紙の本だと、1冊しか本がなかったら1人しか読めず、順番に回して読むしかない。ところが電子であれば、100人でも1000人でも、同時に同じ本を読むことができるわけです。だから僕は、明治大学の図書館も本のない図書館、つまりデジタルアーカイブにしたかったのです。でも反対も多くて、実現しませんでした。国会図書館をはじめ、今は日本でも電子化がどんどん進んでいます。実物は実物できちんと保管しておき、研究者がそれを触りたいという時、あるいは現物に触れる必要がある時は、見る場所を作ればいいと思います。大学生が授業の一環として本を読む時には、電子図書は簡単だし、安いし、魅力的だと思います。
――教育の場においては、電子書籍へと向かっている感じなのでしょうか?
蟹瀬誠一氏: もちろんその方向でしょう。僕らみたいに生まれた時から紙の本があって、それに馴染んでいると、紙の匂いだとかインクの匂いだとか手触りなどにどうしても愛着があります。しかし生まれた時から電子書籍を読んでいる人間にとっては、なんの違和感もなくなると思います。僕らはもうオールドファッションなのです。本という物体そのものを手にいれたいから読んでいるのではなくて、そのコンテンツを読みたいのですから、形がどういう風に変わろうが、本当は関係ない。そうは思っていても、僕ぐらいの世代は、なかなか…(笑)。
使命は終えている?一歩下がった位置から物事を見る。
――今後成し遂げたいことなどはありますか?
蟹瀬誠一氏: 僕はもう使命を終えている気がしています。50歳でリタイアして、人生一回しかないから、色々なことをやってみたいという思いがあったのですが、なかなか計画通りにはいきませんね。だけど、若い人たちなど、たくさんの人たちがジャーナリストとしてやってくれるので、むしろ僕は一歩下がった形で、点と点をつなげるとどういう風に見えてくるのか、面とした時に一体何が起きるのか、そういう大きな絵柄で物事を見ていけるようにしていきたいです。それでもし、お役に立てるようであったら、世の中に発表していきたいという思いはあります。
――将来のビジョンは?
蟹瀬誠一氏: 地雷原などの取材で3回ぐらい死にかかったので、その頃からあまり先のことを考えないようになりました(笑)。でも1つだけやりたいのは、何かの形で、実業に一度手を染めたい、つまりビジネスです。例えば今、世の中不況になり会社はバタバタ倒産しているけれど、大手のメディアにいる人間は給料も下がっていないし、あまり実感がないわけです。だから日本でなくても構いませんが、1回、自分がその中に入ってみて、どのぐらいの修羅場があるのかと、やってみたいなという思いがあります。
それから「TOKYO ZERO」では、動物の殺処分を2020年までにゼロにしようと取り組んでいます。命を殺さない東京、そういうことを実現しようとしているので応援していただければと思います。また、日本ゴルフ改革会議の副議長をしていて、ゴルフ関係の人たちみんなに協力をしてもらいながら、正式種目としてオリンピックに向けて手入れをしようと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 蟹瀬誠一 』