きれいごとではなく「事実」「真実」を伝えたい
松田トラスト&インベストメント代表取締役。外国為替のコンサルティング業務を行っています。松田さんは、早稲田大学法学部卒業後、三菱信託銀行へ就職。外国為替や国際資金業務などの仕事を行い、ニューヨーク支店での勤務経験もあります。そして、アメリカのファースト・インターステート銀行やフランスのパリバ銀行で勤められた後、クレディ・スイス銀行やオーストラリアのコモンウェルス銀行でチーフ・ディーラーとして働かれました。そういったご経験で得た知識を元に、ウェブサイト「松田哲のFXディーラー物語」や「松田哲のFX一刀両断」で、FXで勝つ手段などを語られています。著書は『FX「シグナル」を先取りして勝つ! 稼ぐ人はなぜ相場の動きを読めるのか?』『外貨崩落 生き残る人は知っているもう1つのシナリオ』など。松田さんに、子どもの頃のお話、仕事でご苦労されたこと、執筆をすることになった意外なきっかけなどを伺いました。
必要なのは、努力とセンスと忍耐力
――現在は法人や個人に向けた外国為替のコンサルティングというのが主な業務ということですが、具体的にはどういったことをされているのでしょうか?
松田哲氏: 「マーケット・コメント」と言いますが、主に外国為替、例えばドル/円とか、ユーロ/円とか、ユーロ/ドル、あるいはオーストラリア/ドルに関しての価格、外国為替レートがどのように変動していくのか、その情報提供をしています。どこで売ればいいのか、どこで買えばいいのか、どうすれば儲かるのか、それを読者の皆さんにお伝えすることが、個人的な目的です。どうすれば利益に結び付けるのか、どう考えればいいのかということを伝えることができればいいなと思って、連載などをしています。
――めまぐるしく移り変わるものを読み解き、それを読者に伝えるというのは、とても難しいのではないでしょうか。
松田哲氏: 何事も真剣になれば、簡単なことは何一つないと思っています。例えば、将棋の羽生さんは、ひょっとして基本的には普通の人なのかもしれませんが、その分野に関して言うならば特殊だと思うのです。まず1つひとつの積み重ねによる基礎があって、それから応用があって、それで勉強すれば一定の水準までは必ず到達するのですが、そこから先は努力の繰り返しと、どれだけ耐えられるかということ。それからセンスなのだと思います。特に、継続することができるかどうかという部分が、必要なセンスなのかなと、私は思うのです。
勉強をやめ、夢中になったのはバドミントン
――そういった努力をして基礎を築くというお考えは、昔からあったのでしょうか。
松田哲氏: いえ、昔から、という訳ではありません。中学校までは、特別に何かをしていたわけではないのですが、ずっと勉強で1番でした。小学校6年生の頃は進学教室に通っていて、中学受験では開成を受けたのですが、風邪で熱を出して調子が狂ったのか試験に落ちてしまい、公立の中学校へ行きました。「落ちるはずがない」と思っていたので、泣いたのを覚えています。人生で初めての挫折でしたね。
――ご両親のすすめもあったのでしょうか?
松田哲氏: 小学校6年生の時に、同級生が受験するというのを聞いて、父に話をしたら、「なんだ、お前も受けるか」と。父親は勉強してもらいたいと強く思っていたようで、「東大に行け」という感じで、小学校6年生の時に進学教室にいきなり連れて行かれました。だけど私自身は、「東大」を「灯台」と勘違いをしていて、「何を言っているのかな」と不思議に思っていました(笑)。進学教室に通っていた時は勉強したのですが、その後からはあまり勉強した記憶がないですね。
――でも、高校は進学校に進まれていますね。
松田哲氏: そうですね。都立小石川高校に通っていました。当時、東大に50人ぐらいは行っていたと思います。私は、1年生の時は学年でも10番ぐらいにいて、担任の先生から「松田、お前このままいけば東大に入れるから、頑張れよ」と言われました。それを聞いて「ああ、チョロイじゃないか」と(笑)。それからは、全く勉強しなくなりました。
――勉強の他に取り組まれていたことはありましたか?
松田哲氏: バドミントンをやっていました。中学校の時にバドミントンに出会って夢中になり、団体では東京都で優勝したほどです。個人でも3位になりました。それから、高校2年生の時にマージャンを覚えて、学校をサボって雀荘に入り浸っていました(笑)。覚えて半年ぐらいで、相当強くなったと思います。
――その後、早稲田大学の法学部へ入られたわけですが、大学時代もバドミントンは続けていたのでしょうか?
松田哲氏: 大学生の時は、体育会のバドミントン部に入っていました。「上級生の言うことは絶対」という暗黙のルールがあって、1年生部員は頭を丸めないといけないなどという理不尽なしきたりのようなものがありました。それに対して、上級生に「おまえ、そういう話は俺に勝ってから言え」と言って、大問題になったこともありました(笑)。それが原因で居づらくなった部分もあり、バドミントンを辞めました。体育会に入っている間は体育の授業を免除されるのですが、辞めたことで体育をやらなきゃいけなくなり、アマチュアですが、ボクシングを習ったりしていました。その当時の体育の先生が東京オリンピックの選手だった白鳥先生という面白い方だったのですが、体育会を辞めたとどこかで聞き、「時間があるだろうから、高校生を教えてくれ」というので、バドミントンのコーチを始めたんです。
――どのような指導をされていたのですか?
松田哲氏: 1回戦で負けるような弱小チームだったので、昼休みに毎日10㎞の走り込みとか、うさぎ跳びを10kmとか、腕立て伏せ5000回、腹筋6000回などをさせました。弁当を2食持ってこいと指示して、2時限目と3限目の間に1食、5時限目と6時限目にもう1食を食べさせていましたね。腕立てや腹筋などはさすがにキツかったのか、最後までできない者もいて、もともと38人も所属していたのに、残ったのはたった9人でした。でも、最終的には関東大会へ行けるまで成長したのです。「これだけ練習していたのに負けるのか」という思いがあると、負ける事が悔しいんですよ。でも、人間というのはその悔しさがないと頑張れない。それを私は教えたかったのです。
著書一覧『 松田哲 』