仕事で結果を出したことで、助けを得られた
――その後、三菱信託銀行へ入社されましたね。以前から、その分野の仕事を目指されていたのでしょうか?
松田哲氏: 3年生の時に都庁の大学卒を受けて受かっていたので、勉強面での能力が証明されていたということがあり、面接に行った三菱信託より「ぜひ来てほしい」と話があったのです。それも、むしろバドミントンのコーチの話が一番印象が良かったのかなと思います。都庁の上級職には受かったものの、なりたかった国家公務員の国家上級は落ちてしまったのです。
――ニューヨーク支店へはどういったいきさつがあって、行かれることに?
松田哲氏: 私は中国語の学校に半年間行かせてもらっていたのです。中国ビジネスをするつもりでいたのですが、天安門事件があったこともあり、まだ中国の発展は無理だということで余剰人員になってしまったのです。それで北京に留学するはずだったのも、キャンセルになりました。ただ「お前、中国語を勉強してきたんだから国際部だ」と。それで、国際部に行ったらディーラーが足りず、「じゃあお前、ディーラーだ」と、ディーリングをやることになりました。半年ぐらいで、後に社長になられる上原治也さんというチーフリーダーから「お前は才能があるから、徹底的に厳しく教える。俺の言うことを聞け」と言われました。9カ月ほど経った頃、「ニューヨークへ行け」と言われたのです。
――でも、勉強されたのは英語ではなく中国語でしたよね…
松田哲氏: そうです。私がなぜ中国語をやっていたかというと、英語が嫌だったからなのです(笑)。ニューヨークに行く飛行機の中では日本人のキャビンアテンダントがいましたし、JFK(空港)では仲の良かった上司が迎えに来てくれました。タクシーも日の丸タクシーと言って、日本人の運転手だったので良かったのですが、とうとうホテルのチェックインで言葉の壁にぶち当たり、「何て言えばいいんだろう」と考えこみました。ホテルの方が「May I help you?」か何か言ったのですが、全く分かりませんでした。これは冗談じゃなくて、本当の話(笑)。
――英語ができないとなると、仕事をするのも大変だったのではないですか?
松田哲氏: 「売った」、「買った」というのは「Yours」「Mine」と、その程度なのです。「本当はこの値段でやりたいんだけど」とかは、「そんなのは関係ない、やっちゃえ」という感じで強行突破すればいい。大雑把に言えば、「もうちょっといい値段で…」といったような細かい要望は無視して(笑)、「Yours」「Mine」で突っ込んでいくから、仕事はどうにかなるんです。
最初は英語が話せないから、周りに馬鹿にされていました。でも、9月に行って2カ月で、100万ドル、当時で言うと2億円ほどを作ったことで、アシスタントの方が「こいつは儲かる」と思ったのか、英語を教えてくれるようになりました。こういう時はこう喋るとか、発音を直してくれたり、やりとりする上で足りない表現を補ってくれたりしました。
“勝負ごと”のおもしろさを見出す
――周りの助けをもらいながら、トップになっていったわけですね。
松田哲氏: 自分のことを一生懸命やるのは当然のことなのですが、何事も、1人ではできないことが多いのです。私も色々な方に助けてもらってきたと思います。三菱信託でわんぱく坊主をやっていた頃にしても、結局、周りで支えてくれていた人がいるからこそできたのです。でも正直なところ、開き直りはありますね(笑)。普通だったらあきらめているだろうなと思うことも多いです。でも、あきらめないでしがみついていると、不思議と誰かが助けに来てくれるのです。
――ご自身をどう分析されていますか?
松田哲氏: 1人でストイックにやるのは、苦手なんです。ただひたすら、走るとか泳ぐとかトレーニングするとかいうのはあまり好きではなくて、人と比較して優劣を競うというか、「これは人よりもできるぞ」とか「勝った」「負けた」という、そういう勝負事が好きなんだろうなと思います。それから、自分が気に入ったものに関しては積極的に行動するのですが、あまり興味のないものはだめなんです(笑)。あとは、理不尽なことが大嫌いです。サラリーマンになって、三菱信託の社長がリクルート事件で株をもらっていた時、当時の社長は謝罪しなかった。それで、酒を飲んでいて酔っ払って、「うちの社長は謝罪しねーのか!」と、会社のディーリングルームで大声で叫んだことがあります。その時、社長はいなかったのですが、その後たまたまエレベーターで社長と一緒になった時も、絶対に頭は下げませんでした。後から秘書課に呼び出されて、「さっきのあの態度はなんだ」と言われ、「すみません、私は尊敬できない人に頭を下げることはできません」と言いました。意地悪されるかなと思ったらお咎めなしでしたね。今考えてみると、問題児だったろうなと思います(笑)。
ディーリング中に読書
――本はよく読まれますか?
松田哲氏: 最近は読んでないですね。サラリーマンの頃は、電車通勤の時間やお客さんのところへ訪問する時などは、時間が余るので、常に文庫本を持って歩いていました。思いついた時にメモしておかなきゃ忘れちゃうからと、自分の思ったことや書きたいことなどをその文庫本に書いていました。この会社を作って5、6年になりますが、その前は、2日、もしくは3日で1冊ぐらいのペースで文庫本を読んでいました。
ニューヨーク支店にいた頃、ディーリングをしていたのですが、電話がいつも掛かってくるわけでもないし、外国為替のレートは音声できていたので、耳さえ使えれば、目も手も空いているわけです。それで山岡荘八の『徳川家康』を、文庫本でずっと読んでいました。そこから歴史小説の乱読が始まりましたね。ニューヨークにも紀伊國屋のような日本の書籍屋があり、高いと分かっていたのですが、そこで買ってきて、吉川英治の『三国志』を読んでみたり、池波正太郎や司馬遼太郎などの本は、ほぼ全部読みました。私は池波正太郎の影響が強いかなと思います。ニューヨークでは聞くのも話すのも英語だから、日本語に飢えるんです。日本語を喋りたいし、日本語を読みたかったんです。