大きな謎を究明し続ける
東京理科大学にて分子生物学、細胞進化学、複製論を専門分野に研究をされる武村政春先生。幼少期から妖怪や生物の多様性に惹かれ、その謎の解明に情熱を傾けています。一方で、生物教育、教材開発を通して、中高校生への理科教育にも積極的に取り組んでいます。生物教育の意義、妖怪や生き物への興味をもつきっかけ、執筆への想いについて伺いました。
理科離れを防ぐためにできる事
――この研究室ではどのようなことをされていますか。
武村政春氏: 生物教育学をやっています。中学や高校の理科や生物学の先生がお使いになるような、新しい教材や教授法、あるいはカリキュラムの開発をしている研究室です。ここで修士研究をおこなう院生の多くは中学や高校の理科の教員を目指しています。
また、生物の進化と誕生についても研究しています。生物の進化を語る上で欠くことのできないDNAは、細胞が分裂していく時に、どんどん複製して受け継がれていきますが、DNAを複製する酵素は全ての生物が持っています。その酵素を指標にして、どのように進化してきたのかを解明しようしています。
――理科離れと言われる中での理科教育はとても意義深いですね。
武村政春氏: 中学や高校での理科は、受験のための勉強になってしまい、実験から離れたものになってしまいます。高校のカリキュラムには実験があるけど、なかなかやらないようで、それが理科への興味関心が薄れる原因の一つだと思っています。私自身科学者なので、理科を好きになって、科学者や技術者になるような日本人がたくさん出てきてほしいですし、授業や受験から解放されて理科自体を楽しんで興味を持ってもらいたいと思っています。
将来的に、そういう学生や生徒をいかに育てるかというところに観点をおくと、私もそうでしたが、中学や高校の理科の先生に薫陶を受けて科学者を志す人も出てくると思うので、まずは先生の魅力を最大限出さないと難しいのではないかということです。
――先生の講義はどのような感じなのですか。
武村政春氏: どれだけ教える側が大事か、1人1人の学生にどれだけ人生の影響を与えるかということを感じながらやっています。だから私の講義でも自分が感じたような「面白さ」を感じてほしいと思っています。私の講義では必ず妖怪やポケモンが例としてあげるようにしていますが、妖怪の世界観を、生物学における環境学や生態学のようなものに使えるかもしれないとか、ポケモンを進化の授業に使えないかということを考えています。
他にも、ツチノコなど、いわゆるUMAと呼ばれる未確認生物のようなものを、ディスカッションの対象とし、生徒に自分の頭で考えさせながら進化を学んでいくようなことに使えないかという研究もしています。現実にいないものをきっかけにして、現実の生物学を教える、あるいは学ぶというスタイルも、興味を惹く上で私は、ありだと思います。
生物学の世界へと誘った恩師たち
――武村先生ご自身もまた、先生から薫陶を受けたということですが。
武村政春氏: 千葉先生という、高校の生物の先生です。生物部の顧問も務められていた先生のもとへ、私は友だちを引き連れて入っていました。先生の授業は、好き嫌いが大きく分かれるような授業でしたが、授業中にギャグも言ったりして、非常に楽しかった事を覚えています。もともと生物好きだった私は、その先生と出会ってさらなる生物への興味が沸き起こされ、また持続していきました。千葉先生のおかげで今、こうして研究しているといっても過言ではありません。
――大学への進学も、その流れで自然に。
武村政春氏: ちょうど私が高校3年生の時、地元の三重大学に農学部と水産学部が1つになって生物資源学部ができました。その頃はバイオテクノロジー華やかりし頃で、結構人気のある学科でした。私は生物資源学科の農芸化学コースというところに進みました。大学でも素晴らしい先生に出会いましたが、1年目の講義で、生物化学を担当されていた嶋林先生という教授がとても魅力的でした。そこで高校のときには知らなかった生物化学の講義や、今研究しているDNAにも、そこがきっかけで興味がわきました。
――素敵な先生方と出会い、自分もまた教える側に。
武村政春氏: 私の家は父も母も大学の教授でしたので、子供の頃から大学の教授になろうと思っていたようです。1番記憶に残っているのは、レントゲンの伝記を読んだ時に、初めて教授という言葉が出てきた時です。「大学の教授という言葉はどこかで聞いたことがある」、「うちの親父がそうだ」と思って、レントゲンという偉人が大学教授になるとかならないとか、そういう伝記を読むわけです。それで、うちの父も母も大学の教授だし、自分も大学の先生しかないのではないかと思いました。
妖怪、幽霊、変わった生き物への興味
武村政春氏: 3歳頃引っ越してきた家の裏は広いお墓でした。そこに30年間くらいずっと住んでいました。身近にお墓があったので、私にとっては墓場が庭でした。近所の子供たちと遊ぶ時も、墓の間を追いかけっこして、卒塔婆を見て「これ、なんだろう」と思いながら、その間をすり抜けて走っていました。いわゆる墓場にありがちな怪談話などはあまりなかったので、怖いというイメージはありませんでした。墓場に非常に親近感を持っていたので、水木しげる先生の「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメ番組を見て、自然に妖怪や幽霊に興味を持つようになったのです。
――妖怪や幽霊以外にも、夢中になったことはありましたか。
武村政春氏: 生き物がたくさん載っている本、図鑑にとても興味がありました。小学生の頃は、魚や水生生物、ヒトデやイカなど魚以外の海に棲む動物の図鑑が大好きでした。ある日、自分の図鑑には載っていない「マンジュウヒトデ」を友人の図鑑で「発見」し、親にねだって買ってもらいました。そんな感じで、図鑑に載っていない生物を新たに「発見」しては、その生物が載っている図鑑を買うという、連鎖でした。
――妖怪とか、マイナーな生き物、珍獣に興味があったのですね。
武村政春氏: 「ゲゲゲの鬼太郎」が並行して私の頭の中にありました。作者の水木しげるさんが描く妖怪も、色々な形をしたものがあって、色々な生物の多様性と同じ感覚で妖怪にも魅せられていきました。だから基本的に私は、そういう多様なものが非常に好きなんです。妖怪を仕事にはできなかったので、必然的に好きな生物のこと、生物学をやりたいと思っていました。
自然科学を広く理解してほしい
――最初の本は、そこから来ていたんですね。
武村政春氏: 私の最初の本は、2002年に文芸社から出した『ろくろ首考』という自費出版の本がもとになっています。家で姉と話していて、生物学と妖怪を結び付けたら面白そうだという話になって、本当に妖怪がいるとしたらどういう生物学的メカニズムを持っているのかということに焦点を当てようと、この本を書きました。その後、新潮社の編集者がこれに目を留めて、声をかけてきてくれて、最初の『ろくろ首の首は何故伸びるのか』が出ることになりました。
――ブルーバックスから出された『DNA複製の謎に迫る―正確さといい加減さが共存する不思議ワールド』は。
武村政春氏: これはダメもとで、企画書を書いて手紙を出しました。すると、当時の出版部長の堀越さんという編集者の方からFAXで返事が来ました。この時は嬉しかったですね。2004年ですから、ちょうど10年前です。それがきっかけで、今ブルーバックスで4冊書いています。
――すばらしい編集者さんに出会えたのですね。
武村政春氏: 私たち科学者が書くような本の場合は、専門家にしか分からない世界というのがあります。それはあまり一般の人に知られる機会はありませんが、編集者は知る機会を作ってくれる存在だと思います。特に科学系の場合、編集者は学問と一般の人を結び付ける非常に重要な位置にいる人であると感じています。専門的なことがらを世の中に伝えていく時の窓口ではあると思います。
――どんな想いで書かれていますか。
武村政春氏: 自分の研究していることを知ってもらいたい、ということが1番です。そこからサイエンスの世界を、一般の人たちに広めたいという気持ちで本を書いています。
本は捨てられない、知的財産
――読み手としてはいかがですか。
武村政春氏: 私は知識を得るための本を読んだりすることが好きで、全部通読するのではなく、必要な部分だけを読みます。それを考えた時に、電子書籍よりも、書棚に並んでいた方が、「ゲノムについて知りたい」「あそこにゲノムの本があるぞ」と、すぐに目的の本を手に取ることができます。書棚を見るだけで全体が見渡せて、どこに何の本があるのか全部分かるのです。脳の中の記憶の引き出しへの回路が可視化されているイメージがあります。電子書籍では、画面の中で何度かプロセスしないと、いきつきません。私のように興味のあるところだけ読むというような使い方の場合は、電子書籍はまだまだ不便かなと思います。
ジャーナルや論文なども電子化されていますが、読む時は印刷して読みます。以前聞いたことがありますが、電子端末の画面からは透過光が、紙に印刷しているものは反射光が眼に入ってきます。それぞれ脳の中に入ってくる情報の度合いが全然違うというようなことがあるようです。確かに自分もパソコンの画面で読むと目が疲れます。私はなんとなく紙で読みたいと思いますね。
――最近読まれたのはどんな本ですか。
武村政春氏: 私が最近読んだのは、『ラインズ 線の文化史』という本です。ある新聞で書評を頼まれて読んだんです。ラインというのは線で、世界の全てはラインでできているということを、文化人類学的な視点で読み解いていった、重厚で何回も読まないと理解できないような難しい本です。比較するのはおこがましいですが、私の『レプリカ』は、世界は全て複製で成り立っているという本で、スタンスとしては似ているのかなと思いました。もちろん『ラインズ 線の文化史』のほうが分析は格段に緻密です。だから、私の複製論の1つの先行研究的な位置づけとしてみても勉強になりました。
――今まで読んだ本の中で、特におすすめの本はありますか。
武村政春氏: 『癌の歴史』、『鼻行類』と『複製の哲学』、この3冊です。『複製の哲学』は、哲学者の吉田夏彦先生の本で、世の中を複製の観点で見ています。私の『レプリカ』でも結構引用させていただいていますし、何度も読み返しました。『癌の歴史』は1997年、私が大学院を卒業する頃に出た本です。私は当時、ガン細胞の研究で、ガンのDNAの複製のメカニズムということを研究していました。ガンを歴史的に紐解いている本はなかなかなかったので、そういう意味で新しいなと思いました。
――その3冊はどのようにして選んだのですか。
武村政春氏: 書店でたまたま手に取っただけです。書店では、何かいい本ないかなと背表紙をずっと眺めてぶらつくのが好きなのです。そういう時は、文庫、新書は必ず見ます。背表紙が並んでいるのは文庫ではあまり見なくて、平積みしているのを見ます。専門書のところでは、棚置きしているのを見ますね。もちろん何かを買いたいという目的で行く時もありますけど、あまりそういうことはなかったですね。
それと、最近は専門的なもの以外で読むのは怪談話が多いですね。最近読んだのは、木原浩勝さんの『隣之怪』という本です。一昔前ですが、木原さんと中山市朗さんという怪談収集家のような方との共著本で『新耳袋』というのが流行ったのです。ベストセラーになってDVD化され、人気の本でした。『新耳袋』は全10巻で、それぞれ99話書いてあって、100物語形式なのです。その流れで、木原さんが『隣之怪』を書かれたのです。100物語的ではなくて、1つ1つのストーリーは長いのですが、誰かから話を聞いて書いた実話怪談系の怪談でした。私は『新耳袋』のファンだったので、『隣之怪』も文庫本で買っているところです(笑)。だから、書店に行くと、怪談系の本は必ず探します。
――(研究室の書棚を見て)本当に色々な本があります。
武村政春氏: もうごちゃまぜ状態です(笑)。私は、本を捨てられない人間なのです。1度買った本は絶対に捨てませんし、古書店に売ったこともないので基本的にたまる一方です。みなさんそうおっしゃると思いますけど、本というのは何か知識が詰まっている、知的財産なので捨てられません。それで、増設しました。今8年目なので、8年で1つ増設して、それでも足りなくなってきています。増設にも限界があるので基本的に積んでいくしかありません。
自宅も結構本がありますが、自宅に置きすぎると床が抜けたりするので、時々こっちに持って来ます。私、普通のはんこ屋さんで、自分の蔵書印を作って全部蔵書印を押しています。私の本ということで、武村蔵書と。私が亡くなった後、息子たちが売ったりすると、武村蔵書という本がそのまま古書店に並びます(笑)。古書店で、武村蔵書というのを見てくださる人がいるというのはなかなかいいかなと思いますね。
研究成果で、人類のよりよい社会に貢献したい
――執筆や研究を今後どのように進めていきたいですか。
武村政春氏: 『レプリカ』を書いた時に、自分ってなんだろうということを知りたいと思いました。例えば、私が武村政春という個体の中に入っている意識があるわけです。では、どうして他人の中に私がいないのか。逆に、他人の意識も私の中にいません、それぞれそこに存在しています。その仕組みを知りたいのです。
多少遺伝子が違いますが、同じ仕組みで働いている脳です。なんで私はここにいるのか、その仕組みを明らかにしたいと思います。それに、世の中の全ては複製できるけど、自己意識というのは複製できません。自分が永遠に生きていたいといって、自分のクローンを作るという議論が時々ありますが意味ないですよね。クローンになった時点で自分ではない。別個体になると自分である意識というのは全然違います。そういうところに肉薄したいと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 武村政春 』