徹底した現場主義
――入省後の在外研修先は英国ということですが。
孫崎享氏: 英国での勤務を希望していましたが、私は英語が全然できなかったのです。周りには英語の流暢なものが何人もおりましたので、英国勤務は厳しい状況でしたが、ロシア語を選択していれば英国で勤務できると聞きました。それで入省後にまず英語を勉強したあと、赴任から3年目にイギリスから当時のソビエト連邦に赴きました。
――モスクワ大学に進まれたのは。
孫崎享氏: ロンドンからモスクワに赴任した時、大使館の人に「よく来た。モスクワ大学に行くのなら、大使館の後ろの道から、バスが出てるから、何番に乗っていけ。1年間は、大使館に来るな」と早々に言われました。知らない土地なのに、何を言っているんだと驚きましたよ(笑)。
大学に行ったものの、私のテーマの本は、図書館にありませんでした。それで、じゃあ今年1年は、本を読まないでおこうと。1年間ロシア人の学生と付き合おうということで、彼らと向き合いました。
大使館にはロシア語をずっと勉強していた参事官が、2人いました。全くタイプの違う2人で、1人は、毎日プラウダ(新聞)を読んで、そこに何が書いてあるかをチェックしているような人。もう1人は、勉強しているかどうかわからないぐらいに、毎日夜になるとロシア人を家に連れてきて、酒を飲んでいるというスタイルの人。
――様々なアプローチの仕方があったんですね。
孫崎享氏: 学者交流の枠がソ連との間であり、私はその枠の1人としてアプローチしました。こっちとしては、「付き合おう」というスタイルだったのですが、チェコ事件の後でしたので、必ずKGB(ソ連国家保安委員会)が周りにいました。そうすると誰が敵なのか、誰が味方なのか、オファーも、これはプラスのオファーなのか、それともひっかけのオファーなのかというのを、選択していかなければなりませんでした。
1人ひとり、この人間と付き合っていいのか、この人間とどこまで付き合うのかというのを、見ていました。面白かったのは、人が集まると「孫崎さん、あの人間は気をつけろ。あれはKGBだよ」と言ってくる人がいたこと。Aと会うと、Bに気をつけろと、Bに会うと、Aに気をつけろと言うんですよ。だから、どれがいいか、どれが悪いか。全ての人間が持つ、ポテンシャルな危険、あるいは善意。それを判断していました。
――刺激的な日々でしたね。
孫崎享氏: やっぱり若かったので、好奇心が非常に強くて、どんどん入っていきましたね。原動力は好奇心。それから、私にしかできないということ。ここをやることによって、多分日本で、誰も知らない分野にいるんだという気持ちは、非常に強かったですね。
第一人者である事の責任
――最前線で働かれていた訳ですが、何を思って動いていましたか。
孫崎享氏: 国と国との折衝をするのが外交官の仕事ですが、その出発点となる人と人との付き合いをどうしていくか、ということを一番に考えました。例えがソ連は「悪の帝国」、イランならば「悪の枢軸」と言われていますが、絶対手を結べる分野があるはずなのです。相手との共通の価値観を対面で探りながら、手を結べる分野を探すということが重要なことだろうというように、感じていたんです。今、私が主張している尖閣の問題も、いかに武力紛争を回避して手を結べるか、ということを提言しています。
――そうした提言や、経験を本としてまとめられています。
孫崎享氏: 84年の『外交官 先輩の労苦をいしずえに』ですね。ソ連では、たくさんの報告書を書いていました。オファーは、人事課からきました。扇谷正造さんが、各職業、農業や、警察官、学校の先生など、それぞれの職業を、小中学生に知らせたいと。それを、現場にいる人たちに頼んで、書いてもらうというプロジェクト、「あいうえお館」というのをやったわけです。
私自身は、小・中学生が夏目漱石を読めるように、文体は優しくても、大人が読むのにも耐えうる、ソ連入門のようなものを書きたいと思って、書き始めました。外交分野においても、夏目漱石が人生論を語るのと同じレベルのものを書いてみたいと思ったのです。
――平易な文体を意識して書かれていたんですね。
孫崎享氏: 『外交官 先輩の労苦をいしずえに』の後は、92年に『カナダの教訓 「日米関係」を考える視点』、それから93年に、『日本外交 現場からの証言 握手と微笑とイエスでいいか』という本を出しました。やはり、書いてある内容は、私じゃなきゃ書いていないこと。本を書く時には常に、今まで出ていなかった切り口であるとか、そういうものを提示するということが、自分の使命だと思っています。似たようなものや、古いものの手直しは嫌なのです。
私のアプローチは、どれくらい証拠があるかということ。だから、私の議論と相手の議論を比較する時の判断基準は、どのくらいデータを出しているかということ見てほしいですね。どちらかの結論が正しいということではなく、物事を考える時に、Aという人とBという人がいたら、どちらが、より重要なデータを出してくれるかという点で、読者には判断してほしいのです。
抱えない生き方
――執筆の際の、膨大な資料はどのように収集、執筆されていますか。
孫崎享氏: 私は、書斎を持っていません。本を書くことが決まってから、外務省の図書館に行き、色々なものを見ながら、「このテーマは、この本」と。私はあまり本を持ちません。勉強しなくてはいけないものは、あまりにも多いから、その時に必要なものが取れるようにしておくことが重要で、大体どこに行けばいいかというのがわかったら、そこに行って、集めてくるというような形で仕事をしています。
こういったスタイルは、外務省にいたことが大きく影響しているのではないかと思います。命令が来た時、その時々で必要なものを、真剣に揃えてやっていくのです。与えられた時に、ベストパフォーマンスをして、終わったらピリオド。それを重ねていくのが公務員の生き方です。
確かに、与えられた時間での中でのベストだけれども、作品としてはベストではないかもしれません。ただ、やる以上は、その分野で今までにないもの、貢献ができるというものを、目指してやっています。