何事も恐れないチャレンジ精神が、新しいものを生み出す
北海道拓殖銀行へ就職した後、メリルリンチ証券、米国イリノイ大学での経営学修士号取得、ソフトバンク株式会社を経て、現在モーニングスター株式会社代表取締役社長を務める朝倉智也さん。「さびない投資の本質を伝えたい」という想いで出されている著書。06年に出された『投資信託選びでいちばん知りたいこと』は、業界にとどまらず好評で、昨年新版となりました。現在に至るまでの歩み、選択と決断、仕事に込められた情熱、投資の本質について、朝倉さんの想いを伺ってきました。
投資家にとって、ありがたい存在を目指して
――モーニングスター株式会社について伺います。
朝倉智也氏: モーニングスターは、投資家主権の確立、投資家一人ひとりのために適切な資産運用に関する情報を提供しています。情報の非対称性というのはどのような業界でもあります。アメリカで言う「レモン市場」の問題です。中古車販売によく例えられますが、セールスマンは購入者に比べて圧倒的な情報を持っており、品質の悪い情報等を購入者に話すかどうかはセールスマンの倫理観に任されている。正直に話してくれる場合がそれほど多くなく、ポンコツの車を掴まされるかもしれないという、情報の非対称性の問題です。
金融業界も同じで、特に投資信託や株というのはたくさんの商品がありますから、何を選んでいいかわからないのに、営業マンからは「今は、これがお薦めです」、「これがあなたにとっては一番です」と言われる。残念ながら、それでは適切な資産運用はできないと思い、そこに楔(くさび)を我々は入れたかったのです。特定の金融機関とのしがらみがなければ善し悪しをはっきりと言えるので、中立的、客観的な立場で情報をきちんと提供していく、偏りのない情報を提供していくのが、投資家にとっては一番ありがたいことなのではないでしょうか。モーニングスターは、そういった存在になろうということで立ち上がった会社なのです。
――金融ビッグバンの時代に立ち上がったのですね。
朝倉智也氏: はい、株式の売買手数料の自由化により、多くのネット証券が登場し、金融革命がおこった時期でした。証券会社でしか投資信託を販売できなかったのが、1998年の12月から、銀行でも販売ができるようになり、そのタイミングで会社を立ち上げました。そういった意味では非常にワクワクしたエキサイティングな時期であったと思います。でも、まだ投資信託自体がそれほどメジャーな商品ではありませんでしたし、投資信託の評価・格付けというのは、本当に必要なのかという感じでもありました。その頃、アメリカのモーニングスターは既に10数年の実績がありましたので、アメリカでは高いブランド価値がありましたが、日本では、「モーニングスターってなんですか?」という状況で、当時活躍していた「モーニング娘。」と間違えられるという冗談のような話もありました(笑)。
文学部から金融の世界へ
――ご自身は文学部の出身ということですが、どうして金融の道へ進むことになったのでしょうか。
朝倉智也氏: 教師になりたいと考えた時期もあって、チャレンジしたこともありました。ただ、父親が銀行員で、金融や経済というものの話を、とうとうと聞かされていました。僕に対する期待感もあったのかなと思いますが、日本の高度経済成長期に様々な主要産業を支えてきたという金融の醍醐味を話してくれました。僕もだんだん感化されていって……(笑)「金融も面白そうだな」ということで、北海道拓殖銀行に入りました。
――北海道拓殖銀行を選ばれたのはなぜですか?
朝倉智也氏: 恥ずかしながら、最初は非常に短絡的な理由でした。銀行というものに憧れていたものの、三菱や三井では出世するには相当大変だろうと(笑)。当時の都銀13行の中で一番下の北海道拓殖銀行は支店数が少なく、支店長ぐらいにはなれるだろうと思ったのです。最初はその程度でしたが、拓銀の地盤の北海道は、フロンティア市場じゃないですか。クラーク博士の「Boys, be ambitious」にもありますように、そういったフロンティア精神や開拓者精神にも憧れ、それとお会いした諸先輩方が人間的に非常に素晴らしかったという理由で、最終的に拓銀にお世話になることを決めました。
――文学部からの大転身だったのですね。
朝倉智也氏: 文学部ですから、経済や経営、商業や経理などの分野は細かく勉強していませんでした。一般教養では、マクロ経済学や統計学なども学んでいましたが、3、4年生になってくると、文学部は英文学や国文学など、全く違う方向の勉強をします。だから門外漢というか、そういった状況の中で金融業界へ入っていくことになったので、正直不安はありました。我々の世代はバブル世代で、文学部出身の多くの人がマスコミや出版業界、メーカー等に行ったので、銀行に行く人は、文学部の同期ではほとんどいませんでした。「なんでお前、そんなところに行くの?」という感じでしたよ(笑)。ただその当時から銀行・金融業界というよりは、グローバルな方向に目が向いていて、海外でも活躍できる人間になりたいという漠然な思いがありました。
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