「良い棚」を見ること
――どちらで本を購入されることが多いのでしょうか。
高田明典氏: ジュンク堂書店などで見てから買うこともあります。でも重いから、Amazonで買うこともありますね。池袋ジュンク堂に行ったら、一番上の9階から地下1階の漫画まで、舐めるように見ます(笑)。池袋西武のリブロへ行ってから、ジュンク堂へ行くというように、半日ぐらい本屋にいた時期もあります。今は1カ月に1回ぐらいかな。可読性というか、全体を包括的に理解するためには、本屋さんの棚を見ることが重要。授業でも「本屋さんに行って棚を見なさい」と言っています。
自分が興味をもった分野の棚にどんな本があったか、というような棚見のレポートを書かせるんです。「できるだけたくさんの、できるだけ大きな本屋に行け。小さな書店の棚だけ見て済まそうとする奴にはCを付ける」と言っています(笑)。ジュンクや書泉グランデ、あるいは八重洲ブックセンターなどの大型書店に行って、自分が興味をもった分野のコーナーが何メートルあって、何冊本があって、こういったものがあって、というのを全部やってこいというのが、第4回の課題となっています。私はいい棚が好きなのです。
――高田さんにとっての「良い棚」とは。
高田明典氏: 編集者の中には「あそこの棚はいいから、今度、見てきてよ」などという人もいますよ。私たちは、酒を飲んで、棚話で盛り上がるんです。入門書や概論書から「これは!」と思うものまで揃っていると「ああ、いい棚だな。この棚の担当者すごいな」と思うわけです。「この2列でよくこのラインナップまで揃えたな、すごい」と感心するのです。編集者と一緒に、棚巡回とかもしていますよ(笑)。「芳林堂、良いから今度行ってみようよ」ということになり、「ここの棚、いいね」と2人で棚の前で話をします。古書店は、勝手に仕入れられるわけではないので、仕方ないなとは思いますが、神田の専門古書店の棚などはやっぱりいいですね。でも、そうやってどんどん買っていったら、それこそ書棚に入りきらないので、いかに我慢するか。帰りの電車の中でクールダウンして、家に帰って「あれを買ったら、本当に読むか?」と自分に問いかけなければならないほどです。
必要な情報を本にのせて
――どのような思いで書かれていますか。
高田明典氏: 今は正義論、真理論のようなものを書いているのですが、最近は「このテーマで」と、編集者が言ってくる依頼原稿がほとんどなのです。でも書いていると楽しくなってくるし、どんどん「伝えたい」という気持ちが大きくなっていきます。必要なものを届けたいという思いが強いですね。「これは私が調べて気付いたことだけど、これどう?」と提供しているだけ。それを「役に立った」とか「必要だった」と私が思ったからこそ、それを必要としている人が何千人か何万人かはいるだろうと思うのです。決して「これを使った方がいいぞ」という気持ちで書いているわけではありません。私が書いたことによって、何かに少しでも気づいてくれて、その人の生活や考え方が変わったり、より芳醇な生活を営めるようになったりすれば、それでいいのかなという気がします。
社会とのつながりを持ちつつ、ずれないようにしておかないとまずいなと、若い頃から考えていました。編集者と会って評判を聞いたり、本のフィードバックやレスポンスを見てみたりすると、「今回のは、ちょっとだめだったな」とか、「こういうのにニーズがあるのか」という社会の風を肌で感じることができます。その感覚をなくしてしまうと、きっと研究もどんどんずれていくと思うのです。そうならないためにも、つながりは必要なことだと思います。
――書いて世に送り届けるのは、社会との接点を保つ行為なのですね。
高田明典氏: しかし書かなければいけないものが、溜まり過ぎています(笑)。哲学史の本を書かないといけないのですが、それが、本が大量に溜まっていることの1つの原因となっています。哲学史は莫大な資料が必要だし、私は穴なくやりたいので、大変な量となっています。やっと今「教父哲学」、キリスト教の入り口のところまでいきました。ここは周りにクリスチャンがたくさんいるし、うちの学科にはキリスト教学の専門家が2人もいます。その人たちから聞いて色々と勉強しているうちに、すごく面白くなってしまいました。廊下で会う度に捕まえて話を聞いているうちに、本を書くのが止まってしまって、そこから早2年(笑)。それと、「科学と宗教」についての原稿。ケン・ウィルバーなどがうまく消化できていないかなと思うので、少しきちんとやった方がいいかなと考えています。でもやっぱり真理論もやりたいですね。この調子だと、まだまだ時間がかかりそうです(笑)。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 高田明典 』