佐藤健太郎

Profile

1970年、兵庫県生まれ。 東京理科大学理学部応用化学科卒業後、東京工業大学大学院にて有機合成化学を学ぶ。 その後、製薬企業研究者からサイエンスライターに転身、東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教を経て再度フリーに。1998年にウェブサイト『有機化学美術館』を開設、有機化学に関連する様々な記事を執筆・公開している。 著書に『ふしぎな国道』(講談社)、『炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす』『医薬品クライシス―78兆円市場の激震』(新潮社)、『「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる』(光文社)など

Book Information

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「形」の面白さにハマる


――冒険、探求のきっかけである化学に興味を持ったのは、いつ頃の事ですか。


佐藤健太郎氏: 算数や数学は好きで、よくそういった本も読んでいましたね。昔から形などに興味があったので、算数や数学の本もよく借りていていました。で、7、8歳の頃に『分子の形とはたらき』という本を、算数に出てくる分母、分子の「分子」と勘違いして、図書館で借りたのです。我ながら賢いのかバカなのかわかりませんが(笑)、これが化学の道に入るきっかけになりました。この本は、分子模型や立体写真で色々な分子の姿を見せるという内容のものでした。よくわからないながらも、そういう形がすごく面白くて、ハマっていったという感じですね。学研の『科学』なども買ってもらってよく読んでいました。

――ものを書くということを始めたのは?


佐藤健太郎氏: 実は大学生の時、『From A』というアルバイト広告雑誌を見ている時に、下の方に、“はみ出し投稿コーナー”のようなものを見つけました。ハガキがついていたので、なんとなくネタを書いて送ってみたら、掲載されたのです。

当時はまだパソコンやネットもなかったので、自分の書いたものが活字になって、たくさんの人に読まれるということにすごく感激し、しばらく常連として投稿していました。文字制限が180字だったので、今で言えばTwitterみたいな感覚です。その180字に言いたいことを込めるという作業は、文章を書くいい練習になったと思います。

10年の時を経て、書籍に


――大学院を経て製薬企業に就職されます。


佐藤健太郎氏: 最初に出会った本のジャンル、有機合成の道に進むことになりました。修士課程卒業後に国内の製薬企業に入社し、研究所で毎日実験をしていました。薬を作る化学(メディシナルケミストリー)というのは独特のジャンルで、最後まで、いま一つ興味を持てなかったかなという部分がありました。やっぱり僕は変わった分子などが好きで、ストライクゾーンが狭いのかもしれませんね(笑)。

――98年にウェブサイトを開設されていますが、どんなことがきっかけだったのでしょう。


佐藤健太郎氏: その当時、ネットなどを通じて知り合った友だちができて、なかには20歳ぐらいの女の子もきれいなホームページを作ったりしていました。なら自分でもできるかな、と考えたのです。当時やっている薬の研究という仕事と、自分が本当に好きなことが、“近いけれど違う”といったもどかしさのような部分もあって、「本当はこっちが好きなんじゃ!」と、世の中にぶつけたい思いもありました(笑)。

そのころ、CGできれいな分子の画像を作ってくれるフリーソフトを手にいれて、「これは面白いな」と遊んでいたのですが、「1人で見ているのはもったいない」ということで、それをネタにホームページを始めることを思いついたのです。国道や折り紙の話など、色々なページをやりましたが、やはり化学のページがメーンとなりました。

――その内容がもとになって、書籍化されたのですね。


佐藤健太郎氏: そうなんです。編集者さんから声をかけて頂いたのがきっかけです。何とか形にして世に出るなら、こんなうれしいことはないと思いました。実は他に2社からお話をいただいたのですがなかなか実現しませんでした。スタートから10年近く経った2007年に、三度目の正直でようやく『有機化学美術館へようこそ』の出版にこぎつけました。

自分の書いたものが書店にあることに、ものすごく感激しましたね。発売日は書店に行って、誰か買う人がいないかなと思って、手に取る人が現れるのを待っていたりもしました(笑)。10年ぐらいウェブサイトを続けていると読者も増えましたし、学生さんから「ホームページを見て、自分も有機化学の道に入りました」と言われたり、有名な先生から、「非常によくできていると思うので、頑張ってください」といったコメントも頂くようになりました。そのへんが、今でもモチベーションのひとつです。



――会社員として仕事を続けながら、サイトを運営したり、本を執筆したりするのは大変だったのではないでしょうか。


佐藤健太郎氏: 「会社員の立場なのに、よく実名を出してやっていましたよね」と言われることもあります。でも、当時はGoogleなどの検索エンジンもありませんでしたし、まさか知人が自分のページを見つけるとは、思ってもみませんでした。今では考えられないことですが、まだそういう時代でした。次第に色々な人にバレていって、もう後に引けなくなり、開き直って続けました。

ただそのうち、だんだんただの趣味ではなくなってきました。化学の分野では他にも優秀な人はたくさんおり、自分は研究者として二流であることは痛いほどわかっていました。一方、化学を面白おかしく書くということに関しては、「自分の他にはいないだろうな」という自信もついてきて、こちらに転身するかという思いがどんどん募っていきました。
で、書き手になれないかと思い、「化学 サイエンスライター」と調べてみると、あまり検索に引っ掛かる人は出てきませんでした。ということはいま自分がライターになってしまえば、独占市場になると思ったのです。いや、そう思いたかっただけかもしれませんが(笑)。それで、早期退職の募集が始まった時に、これが最後のタイミングだと思い、手を挙げました。37歳の時でした。

すごく悩んで決めたことでしたが、その夜に「自分は悪魔のささやきに耳を貸して、とんでもないことをしてしまったのではないか」とまた眠れなくなり、よほど撤回してこようかと思い悩みました。結局、撤回はしませんでしたが、人生であれほど恐ろしい思いをしたことは一度もありません。よくぞあんな決断をしたものだ、と自分でも思います。

著書一覧『 佐藤健太郎

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