佐藤健太郎

Profile

1970年、兵庫県生まれ。 東京理科大学理学部応用化学科卒業後、東京工業大学大学院にて有機合成化学を学ぶ。 その後、製薬企業研究者からサイエンスライターに転身、東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教を経て再度フリーに。1998年にウェブサイト『有機化学美術館』を開設、有機化学に関連する様々な記事を執筆・公開している。 著書に『ふしぎな国道』(講談社)、『炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす』『医薬品クライシス―78兆円市場の激震』(新潮社)、『「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる』(光文社)など

Book Information

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未知の世界を謎解いていく



化学を専門分野とするフリーサイエンスライター。製薬企業で13年近くにわたって医薬品の合成研究に携わり、その後東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教を務められました。経験を交えつつ、研究者のみならず一般層への知識の普及に貢献した『医薬品クライシス』では科学ジャーナリスト賞2010を獲得されています。折り紙や、囲碁にも造詣が深く、国道マニアとしても知られています。幅広い分野に興味を持ち探求されていく佐藤さんに化学との出会い、化学を広める想い、もちろん「毒物ドリンク探検隊(DDT)」についても伺ってきました。

「探る」楽しみ


――最新刊『ふしぎな国道』は、国道マニアの想いが存分に表れていますね。


佐藤健太郎氏: 国道といっても、色々な場所があります。山の中で、細く荒れた路面の「酷道」と呼ばれるものなど、『ルパン三世』に出てきそうな道もあります(笑)。青森県の階段国道などは有名で、観光名所にもなっているそうです。もともとは普通の道だったのですが、途中に小学校などがあり、子供たちのために階段をきちんと作ろうということで、全国で1か所だけの階段国道になったのです。階段にある国道ということで、当然、車は通れません。

「国道マニア」にも、色々な人がいます。かなりディープな人たちがたくさんいて、バイパスができる以前の旧道のルートを解明する人や、廃道になってしまったところを探検していく人など、人によって楽しみ方はさまざまです。いわゆる「鉄ちゃん」の世界に「撮り鉄」や「乗り鉄」などと色々な楽しみ方を好む人がいるのと同じで、国道にもいくつものジャンルがあるのです。

――佐藤さんは現地へ行かれるタイプですか。


佐藤健太郎氏: データ分析をして、現地に赴く。両方やっています。32万キロぐらいは走っていると思いますので、地球8周ぐらいでしょうか。計算してみたら、二酸化炭素を50トン近く出しているようで、「これは温暖化が進むな」などと考えたこともあります(笑)。

――なぜ国道に興味を持たれたのでしょう。


佐藤健太郎氏: 免許を取ったのは、25歳の時でした。近所に408号という道があって、「この道はどこに続くんだろう」と思って、ずっとその道を走ってみたら成田空港に着いたのです。「そうか、これは成田空港と学園都市を結ぶために設計された道だったんだ」と思って、1つ謎が解けた感がありました。「じゃあ409号はどれだ?」と調べたら、千葉と神奈川を結ぶアクアラインも409号だとわかりました。高速道路だと思っていたので、ちょっと驚きました。そういう風に、色々気になって調べ出すと、どんどんハマっていきました。

僕の場合は、どういうわけか、1から順番に番号がついているものが好きなので、そうしたことも関係あるかもしれません。もちろんロングドライブも好きで、夜中に全く知らない道の駅に寝転がって、「僕はこんなところで、一体何をやっているんだ」という、あの不思議な感覚もすごく好きなのです(笑)。「この道は、なんでこんなところを通っているの??」といった謎が、走っていると少しずつ解けていくというのも面白い。単純なルールで決まっているはずなのに、妙に複雑なことになっていたりする所も好きですね。それを探求して、解明していくのです。国道もサイエンスも、探究するという意味においては、自分の中で繋がっているように思います。

続々と集まってきた謎の飲料


――インタビューでは、どういった方を取材されるのでしょうか。


佐藤健太郎氏: 研究者の方を取材することが多いです。東大の研究所のページがあって、そこに原稿を書いたりします。また最近、「π造形科学」という、新しい領域を開拓する研究者の集まりで広報を務めることになり、こちらでもインタビューをしています。一流の先生はみんな忙しいし、僕が付け焼き刃で勉強してわかるようなことを研究しているわけがありません。同じ研究者、同じ理系でも、対等にお話するのは厳しいので、緊張で汗びっしょりになりますよ。でも、超一流の方々のお話が聞けてものすごく勉強になります。「忙しいから20分だけね」とか言われていても、嬉々として2時間ぐらい自分の研究を語ってくれたりすることもあって、それはやっぱり嬉しいですね。

――佐藤さんの「毒物ドリンク探検隊」も気になります…。


佐藤健太郎氏: もう10年以上前ですが、自分のウェブサイトで「まずいジュースの品評会」というしょうもないことをやっていました。困ったことに、友だちが次々にまずいジュースを持ってきてくれるんです(笑)。「まずいジュースの情報を募集しているのであって、まずいジュース自体を持ってこなくていい!」と言っているのですが「何のジュースかわからないけど、中華街で買ってみました。佐藤さん、どうぞ!」といって、瓶に入ったわけのわからない液体を渡されたりします。あと、アメリカで買ってきたという芸者みたいな絵が描いてある謎の緑茶みたいなものとか、朝鮮人参と砂糖が入った、柔軟仕上げ剤の瓶のような容器に入った、2リットルぐらいの不気味なドリンクなんかもありましたね。

――そういったものを飲むのは、恐ろしくないですか(笑)。


佐藤健太郎氏: 恐ろしいですよ。でもだんだん慣れてくると耐性がついてきて、わからなくなってくるんです(笑)。シジミドリンクを最初に飲んだ時は「うわっ!」と思いましたが、2回目に飲んだ時には、普通に飲んでしまいました。でもやっぱり、笹ドリンクがヤバかったですね。ニンジンや玉ねぎなど色々と飲みましたが、それでもまだ、括りは食品じゃないですか。笹は食品ではありません。友人の情報では「畳の味がする」ということだったのですが、「お前、畳食ったことあるのか?」と。でも飲んでみると、確かに畳の味だったんで驚きました(笑)。

あと、根本的に食文化が違うので、やっぱり海外産は破壊力が違います。お土産でもらったものの中には、名前を聞いてもわからないし、植物の名前かなと思って検索しても、出てこないものもありましたね。生命の危険に直面したくはありませんし、年をとってくると限界もあります。だから、これから先、再開することはないと思いますよ(笑)。

「形」の面白さにハマる


――冒険、探求のきっかけである化学に興味を持ったのは、いつ頃の事ですか。


佐藤健太郎氏: 算数や数学は好きで、よくそういった本も読んでいましたね。昔から形などに興味があったので、算数や数学の本もよく借りていていました。で、7、8歳の頃に『分子の形とはたらき』という本を、算数に出てくる分母、分子の「分子」と勘違いして、図書館で借りたのです。我ながら賢いのかバカなのかわかりませんが(笑)、これが化学の道に入るきっかけになりました。この本は、分子模型や立体写真で色々な分子の姿を見せるという内容のものでした。よくわからないながらも、そういう形がすごく面白くて、ハマっていったという感じですね。学研の『科学』なども買ってもらってよく読んでいました。

――ものを書くということを始めたのは?


佐藤健太郎氏: 実は大学生の時、『From A』というアルバイト広告雑誌を見ている時に、下の方に、“はみ出し投稿コーナー”のようなものを見つけました。ハガキがついていたので、なんとなくネタを書いて送ってみたら、掲載されたのです。

当時はまだパソコンやネットもなかったので、自分の書いたものが活字になって、たくさんの人に読まれるということにすごく感激し、しばらく常連として投稿していました。文字制限が180字だったので、今で言えばTwitterみたいな感覚です。その180字に言いたいことを込めるという作業は、文章を書くいい練習になったと思います。

10年の時を経て、書籍に


――大学院を経て製薬企業に就職されます。


佐藤健太郎氏: 最初に出会った本のジャンル、有機合成の道に進むことになりました。修士課程卒業後に国内の製薬企業に入社し、研究所で毎日実験をしていました。薬を作る化学(メディシナルケミストリー)というのは独特のジャンルで、最後まで、いま一つ興味を持てなかったかなという部分がありました。やっぱり僕は変わった分子などが好きで、ストライクゾーンが狭いのかもしれませんね(笑)。

――98年にウェブサイトを開設されていますが、どんなことがきっかけだったのでしょう。


佐藤健太郎氏: その当時、ネットなどを通じて知り合った友だちができて、なかには20歳ぐらいの女の子もきれいなホームページを作ったりしていました。なら自分でもできるかな、と考えたのです。当時やっている薬の研究という仕事と、自分が本当に好きなことが、“近いけれど違う”といったもどかしさのような部分もあって、「本当はこっちが好きなんじゃ!」と、世の中にぶつけたい思いもありました(笑)。

そのころ、CGできれいな分子の画像を作ってくれるフリーソフトを手にいれて、「これは面白いな」と遊んでいたのですが、「1人で見ているのはもったいない」ということで、それをネタにホームページを始めることを思いついたのです。国道や折り紙の話など、色々なページをやりましたが、やはり化学のページがメーンとなりました。

――その内容がもとになって、書籍化されたのですね。


佐藤健太郎氏: そうなんです。編集者さんから声をかけて頂いたのがきっかけです。何とか形にして世に出るなら、こんなうれしいことはないと思いました。実は他に2社からお話をいただいたのですがなかなか実現しませんでした。スタートから10年近く経った2007年に、三度目の正直でようやく『有機化学美術館へようこそ』の出版にこぎつけました。

自分の書いたものが書店にあることに、ものすごく感激しましたね。発売日は書店に行って、誰か買う人がいないかなと思って、手に取る人が現れるのを待っていたりもしました(笑)。10年ぐらいウェブサイトを続けていると読者も増えましたし、学生さんから「ホームページを見て、自分も有機化学の道に入りました」と言われたり、有名な先生から、「非常によくできていると思うので、頑張ってください」といったコメントも頂くようになりました。そのへんが、今でもモチベーションのひとつです。



――会社員として仕事を続けながら、サイトを運営したり、本を執筆したりするのは大変だったのではないでしょうか。


佐藤健太郎氏: 「会社員の立場なのに、よく実名を出してやっていましたよね」と言われることもあります。でも、当時はGoogleなどの検索エンジンもありませんでしたし、まさか知人が自分のページを見つけるとは、思ってもみませんでした。今では考えられないことですが、まだそういう時代でした。次第に色々な人にバレていって、もう後に引けなくなり、開き直って続けました。

ただそのうち、だんだんただの趣味ではなくなってきました。化学の分野では他にも優秀な人はたくさんおり、自分は研究者として二流であることは痛いほどわかっていました。一方、化学を面白おかしく書くということに関しては、「自分の他にはいないだろうな」という自信もついてきて、こちらに転身するかという思いがどんどん募っていきました。
で、書き手になれないかと思い、「化学 サイエンスライター」と調べてみると、あまり検索に引っ掛かる人は出てきませんでした。ということはいま自分がライターになってしまえば、独占市場になると思ったのです。いや、そう思いたかっただけかもしれませんが(笑)。それで、早期退職の募集が始まった時に、これが最後のタイミングだと思い、手を挙げました。37歳の時でした。

すごく悩んで決めたことでしたが、その夜に「自分は悪魔のささやきに耳を貸して、とんでもないことをしてしまったのではないか」とまた眠れなくなり、よほど撤回してこようかと思い悩みました。結局、撤回はしませんでしたが、人生であれほど恐ろしい思いをしたことは一度もありません。よくぞあんな決断をしたものだ、と自分でも思います。

より多くの人に届けるために


――独立された当初は、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。


佐藤健太郎氏: 独立した時は、“自称”サイエンスライターでしかなかったのですが、独立直後にいくつかの化学雑誌から連載の話を頂くことができました。次の本の話も出版社から来ていたので、そういう意味では恵まれたスタートだったなと思います。

――どのような思いで執筆されていますか。


佐藤健太郎氏: 大学で仕事をして、科学コミュニケーション論といったものに触れる機会も少しありました。誰にどのような形で伝えるべきかといった議論はありますが、「どうすればたくさんの人に伝わるか」という話はあまりされていないような気がします。過去のベストセラーを見ても、物理だとスティーブン・ホーキング、生物だと福岡伸一先生の本など、ほかのジャンルには色々あるけれど、化学の本のベストセラーはほとんど見当たらないんですよ。化学は人類への貢献がとても大きい分野なのに、それをきちんと伝えそこねている気がします。

どうすれば化学を面白く書けるか、伝えられるかは、本来非常に重要なこと思いますが、あまり議論されていないように思います。今の世の中、どんなに重要なことであっても、やはり全く面白くもないことに、時間を割いてくれるものではありません。だから、重要な事を伝えたいと思うほど、面白く書く工夫が必要と僕は思うのです。もちろん、真実を歪めない、本質を外さない範囲での話ですが。だから『医薬品クライシス』では、トリビア的なこと、意外なエピソードなども多く盛り込みました。また『炭素文明論』は、「化学分野以外のジャンルの人に読んでもらわなければ、化学の重要さは広がっていかないよな」ということで、歴史ネタを絡めて、自分なりに工夫したりしました。

――サイエンスライターと編集者とのつながりは、他のジャンルの著者とは、また違うのではないでしょうか。


佐藤健太郎氏: やはり編集者には文系の方が多いですから、サイエンスに詳しい理系の編集者がもう少しいてもいいかなとは思います。でも、僕にとって新しい視点や切り口を示してもらえるという意味では、共同作業の相手としては違うジャンルの人の方がいいのかなとも思うのです。編集者は本を作るプロとしての「感覚」がありますので、タイトルの付け方などもずいぶん議論します。『医薬品クライシス』で賞をとることができたのは、タイトルの力も大きかったと思っています。今回の『ふしぎな国道』も、シンプルながらインパクトのある表紙が、ずいぶん物を言っているように思います。

――互いの強みを合わせて、本に仕上げていくんですね。


佐藤健太郎氏: そうですね。会社にいたら、そういう喜びは味わえなかったなと思います。
僕にとって編集者は、パートナーというか、話をしているうちに思わぬ方向に思考が広がって触発されますから、化学の言葉で言うと「触媒」なのかなと思います。自分自身は表に出ないけれど、彼らは経験と知識を持っていて、反応を起こしてくれる存在です。

紙の本の感覚や思わぬ出会いを、電子書籍で再現できれば


――本の電子化をご自身でされたこともあるそうですね。


佐藤健太郎氏: スキャナを買ってきてやってみましたが、なかなかきちんとできあがらないし、結局、あまりやらなくなってしまいました。でも、電子書籍はずいぶん買っています。資料などを読むケースが多いので「グルタミン酸について書いてあったのは何ページだっけ」という時にパッと検索ができたりするし、あと、なかなか手に入らないような本が一瞬で手に入るのもありがたいですね。

この間、高校の時に読んでいた、半村良の『太陽の世界』をKindleで見つけたので買いました。2000年前に沈んだムー大陸の歴史を全80巻で書くというプロジェクトなのですが、18巻で中断してしまい、紙の本としては絶版になってしまいました。今読むと、「こういうところを工夫しているんだな」など書き手としての視点で見ることもできて、覚えている印象とまた違うものを感じました。

研究者はかなり電子書籍に馴染んでいて、論文などの資料は、ほとんどiPadに入れて読んでいると思います。ひと昔前は毎週毎週、分厚いジャーナルが届いていたのですが、保管するスペースもないので、今はPDFをダウンロードして読むという形が定着しています。

――理系の世界では、すでに電子書籍が定着しているんですね。


佐藤健太郎氏: ええ。そういう意味では、専門書もすぐ電子書籍になっていくのかなと思います。アメリカの教科書などはかなり分厚いので、専門課程の教科書は持ち歩けません。今は動画も観られるなど色々なメリットもあるので、教科書は全部、電子書籍に移行しつつあるそうです。だから日本も、いずれそういう形になってくるだろうなと思います。そういう意味では、電子書籍はマンガと専門書の両方の側から少しずつ広がってくるのかなというイメージがあります。

でも、紙の論文にもいいところはあって、パラパラとめくると、目的でないページで有用な情報を得たり、思わぬ発見があったりするのです。やっぱり偶然の出会いというのは、紙の方が多いです。だからパラパラっと眺める感覚や、書店での本との出会いの可能性といったものを、電子書籍でも何とか再現することはできないのかな、と思います。形は変わっていっても、紙も電子も両方あっていいんじゃないかと思います。

――本はどのように購入されますか。


佐藤健太郎氏: Amazonで買うケースも多いですが、本屋で買える本はなるべく近所で買うようにしています。本屋の方が思わぬ発見もあるし、空間としても好きなのです。本屋に行くと、全く知らないジャンルの雑誌を立ち読みすることがよくあります。「こんなに深く広いジャンルがあるのか」「こんな用語があるのか」と、すごく面白いですね。『美しいキモノ』とかボディビルの雑誌とか、「こういう世界があるのか」と驚きます。でも近頃は廃刊になる雑誌が多くて残念です。『NIKITA』とか『小悪魔ageha』なんてすごく面白かったのですが(笑)。

化学への誤解を解く


――化学の本にはベストセラーはないとおっしゃっていましたが、それにはどういった理由があると思われますか。


佐藤健太郎氏: 化学というのは誤解が多いジャンルで、残念ながら嫌われることも多いです。一方で、日本はすごく化学が強く、ノーベル賞もたくさん出ています。日本化学会は4万人ほどの会員がいて、日本最大級の学会です。それだけ化学の層は厚く、研究や技術も進んでいて色々な恩恵をもたらしているにも関わらず、その魅力は理解されていないように思います。化学そのものに興味があるからではなく、消去法で化学科にくる学生も少なくないと聞きます。ただ、それでも化学は就職も悪くないし、産業にも直結しますから、特に宣伝しなくても人や金が集まってしまう面があります。

――人も集まってしまうから、宣伝する必要がないのですね。


佐藤健太郎氏: 天文学などのように、「こんなロマンがあって、こういう神秘に迫っていくものだ」などという宣伝をしないと研究ができないわけでもないですから。反面、それがために化学という学問の中身をきちんと伝える努力がなされず、誤解がはびこってしまったり、今一つ人気がない原因になっているように思うのです。そんなわけで、微力ながら化学の面白さ、重要性を伝える事をどんどんやっていかねばと思っています。

――10月には、『ふしぎな国道』も出ましたが、今後どんな事にチャレンジしたいと思われますか。


佐藤健太郎氏: サイエンス関連の依頼で講談社の編集者が来られたのですが、自分の趣味の話をしているうちに、今度は国道の本ということになりました(笑)。

新たなチャレンジとしては、本になりにくい情報を電子書籍の形にできないか、と思っています。雑誌に連載した原稿や、単行本になりづらいと言われた企画などでも、「ちょっと、このことを調べたい」という人にとっては、情報源となり得ると思うのです。いわゆるマイクロコンテンツは電子書籍の方が相性がいいと思いますし、通常の書籍の執筆だけでなく、新しいメディアへの挑戦をしていきたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 佐藤健太郎

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