過去とのつながりを紐解いて
学習院大学学長を務める井上寿一さん。昭和戦前期の日本外交を一次史料に即して実証研究し、その成果は様々な著作で読むことが出来ます。「人ひとりの人生の中では全部経験できないようなことが、歴史の中には凝縮されている」と語る井上先生に、ゼミの様子、歩み、執筆にかける想い、今後の展望などを伺ってきました。
学びの場を活性化する
――今年から、学長を務められています。
井上寿一氏: 大学行政を通じて、人を育てるという環境づくりに携わることが出来るのは、新たな取り組みもあり大変ですが、なかなかやりがいがあるものです。大学の場合、ゼミでもそうですが、学生と一緒になって自分も成長するという部分があるので、日々面白いですね。私は政治学科で教えていますが、大教室での講義も、ゼミのような少人数のクラスでもそれは同じです。
――先生のゼミはどんな感じですか。
井上寿一氏: 私は、「バザール型のゼミ」をしています。あるテーマについて、学生が意見を短いレポートに毎週まとめます。私がその中から、視点が異なる学生を4人選び、各チームに分散させます。この中で、グループ討論するわけですね。最初の4人は、固定席ですが残りのチームの人間は、4回入れ替わります。そうすると、入れ替わった学生も質問を変えますが、この固定席の4人も、色々な人から質疑応答を受けて自分の考えを修正したりします。
それが全部終わったあと、ホワイトボードに向かって、特に印象的だった言葉とか自分にとってどれが説得的であったのかというのを書いて、議論のまとめに変えるというような事をやっています。二学期は、それを元にして関連する施設の見学やインタビューをさせてもらったりしています。
――「バザール型のゼミ」とは、意見を持ち寄るということなのですね。
井上寿一氏: 全体の中で発表者に「質問しなさい」と言っても、なかなかやりづらい。少人数の中でやれば、自由で思いがけないユニークな発想が出てきたり……私自身もこういった所から学んでいきます。私も最初のうちは、コの字型の席に学生を座らせ「意見を述べよ」という伝統的な手法をとっていましたが、全く活性化しなかったのです。そこで、自分が学生の立場であれば……と考えたのです。
コメントも一人一人に残しています。「よくできました」という反応があるとやっぱり嬉しいですし、そうやって教える側も学生も、お互いが情熱をぶつけ合えるようにできれば良いと思っています。総じて今の大学生は凄く真面目で。きちんと生活しているし、礼儀正しいと感じますよ。学生の方が私たち大人を見て、「ああなっちゃいけない」と思っているのかもしれませんけど(笑)。むしろ期待しています。
マンガとプラモデルに熱中した少年時代
――学生から、熱気を感じるのですね。先生はどうでしたか。
井上寿一氏: 話はさかのぼりますが、私が小学生の頃は、勉強が嫌いでマンガばかり読んでいました(笑)。『少年サンデー』と『少年マガジン』を、発売日が1日でも早い本屋さんを調べて、いち早く読むことに夢中でしたね。『少年キング』も読んでいました。両親は仕事で忙しく何も言われませんでしたが、通信簿は5段階評価でほとんど「3」。図工だけ「5」で、この成績では中学にいけないかもしれないと思い込むようになっていました。
――「中学に行けない」というのは私立に、ということですか。
井上寿一氏: いえ、義務教育のシステムが分かっていなかったのです(笑)。中学受験をする人を見て「中学って入試があるんだ、試験を受けないと進めないんだ」と真剣に悩んでいました。幸い、試験などないことがわかりホッとしましたが、その時の危機感で、「中学に入ったらマンガはやめよう、プラモデルはやめよう」と決心しました(笑)。
小学校最後の年に、「生涯で作る最後のプラモデルなのだ」と自分に言い聞かせ、親にもそうねだり、『ランボルギーニ・カウンタック』というスーパーカーを買ってもらいました。細かくて部品点数が多くて作るのは大変でしたが、最後なので自分にとっては高価なものを、と思ったのです(笑)。
――マンガとプラモデルに決別したあとは……。
井上寿一氏: 中学に入り、小学生の頃勉強していなかった僕が、唯一みんなと同じスタートラインにたてた科目が、英語。成績が良くなり「豚もおだてりゃ木に登る」のような気になって、他の成績も上がってきました。戸山高校に進みましたが、生徒の自主性を極端に重んじた学校で、入学式も卒業式も生徒主体。高校3年時には夏休みを全部つぶして、秋の文化祭に向けて燃えていました。文化祭は、1年の時は展示で、2年の時は演劇、3年の時は8mm映画。文化祭の前は、準備のために学校に泊まり込んだりしていました。
著書一覧『 井上寿一 』