オープンアーキテクチャーで、人類の進歩を加速度的に進歩させる
――「オープンアーキテクチャー」の発想が、世界的な広まりに大きく貢献していると思います。
坂村健氏: 「TRON」はタダだったんですよ(笑)。プロジェクトを始めた84年の段階からのぶれない哲学です。「コンピュータが入って、こういう機械がどんどん出てきたらこうなるな」と思っても、その全部を自分で作るのは大変。だからOSだけでもタダにすればそのOSの上に、誰かが足りないソフトを作ってくれる。そうすれば、自分が描いていた未来が早くくることになる。ものを作るためには、TRON以外にもやらなくてはいけないことがたくさんあります。そもそも個々の機器は作らないといけないし、機能やアプリケーションなど全部をやるのは1人でやるのは無理だし、お金もかかる。いくらいても、人が足りないのです。
――それで、OSをタダにしちゃおうと(笑)。
坂村健氏: 自分が生きている間に加速度的に人類の技術を進歩させたいのです。常々「賢いモノを駆使した世界を見てから死にたい」と言っています(笑)。だから、どんどんオープンにしています。タダにしたことによって色々な人がいろいろなものをTRONを使って作ってくれたから、すごく効率がよかった。TRONを使って色々なものを作ってくれた人たちがいたから、こういう便利な世の中になったのだと思います。
アポロの月面着陸で感じた「コンピュータは偉大だ」という想い
――その想いの源となる、先生とコンピュータとの出会いはどのようなものでしたか。
坂村健氏: 「コンピュータは偉大だ」と思ったのは、高校生の終わり頃に、アポロが月に行った時です。宇宙についての謎は21世紀の今でもまだ解明されていませんが、少なくとも20世紀以降は「とにかく宇宙は広い」ということをくらいは、みんなわかっていました。そういう未知の場所に人類が出た時代でした。そのアポロを飛ばしていたのが、今から見ると非力ですが当時最先端のコンピュータだったのです。人類は、力がないからブルドーザーのようなものを作ったし、速く走れないから、ジェット機も作りました。それで1つ残っていたのは頭。考えることを増幅できるような機械があれば面白いと考え、コンピュータをやろうと決めました。
当時はまだコンピュータの黎明期で、軌道計算をするとか在庫管理をするとか数を扱う「電子計算機」の域を出ず、知的な活動のサポートというような時代ではありませんでした。みんながコンピュータを使って文字を書くという時代でもなかったし、コンピュータもまだ大きかったので、それが機械の中に入るという時代ではありませんでした。あまりみんながやってなかった事もあって、私はそこに興味を持ったのです。
子どもの頃から好きだったSF小説も、この道に進む大きな要因になったと思います。科学や技術自体の興味だけではなくて、社会制度や変革、どうやって人類は発展していくのか、人類の未来についても興味が広がっていました。SFというのは思考実験をする小説ですから、嫌いではありませんでした。今から20年以上前に、『電脳都市』という本を書きました。その本は、コンピュータ科学者として、SFに出てくるものは、本当か嘘かというのを真面目に論じたものとなっています(笑)。
――『痛快!コンピュータ学』は、文系にも読みやすいものでした。
坂村健氏: 教科書にもなったりしていると聞くと、嬉しいですね。文庫になって、今でも毎年増刷しています。基礎原理のことを書いたから、10年前も20年前もあまり変わらないんです。古くなるハウツーではなく基本原理、ベースの部分が書いてあるので色褪せません。
――『毛沢東の赤ワイン』では、そういった先生の思考が良く表れていると感じました。
坂村健氏: 交渉術とか、どう考えているとか、どうやって人に広げているのかということが書かれています。自分が昔書いた本を読んで「若いときの自分は良いこと言っている」などと感心していたら、女房から「自分の書いたものに感心するって。何を言ってるの」とあきれられています。(笑)。
著書一覧『 坂村健 』