“Shoot anywhere you want and call it a target.”
日本IBM、筑波大学大学院講師を経て、英語研修サービス有限会社代表としてビジネス英語教育に携わる、浅見ベートーベンさん。趣味である野鳥鑑賞をもとにした本も執筆されています。底抜けのパワーと明るさで人気を博す浅見さんの想いを、ユーモアを交えたっぷりと伺ってきました。
赤羽育ちのやんちゃ坊主
――様々な形で英語教育に携わっています。
浅見ベートーベン氏: 私の古巣でもあるIBMの社員の方に、TOEICや英語のプレゼンテーションについてビジネス英語研修を実施しています。私も持っている通訳案内士の国家試験では、最近、TOEICが 840点以上(満点990)だと英語免除になりました。普通のTOEICでは発音が計られないので、英語免除されるような高得点取得者でも発音の問題を抱えています。やっぱり発音があまり良くないと、「次からあのガイドさんやめて」ということもあったりするそうで(笑)、ガイドさん向けに教えたりもしています。今でこそ発音などを教えていますが、私も苦労しました。
――(プロフィールに)生まれが長野で赤羽育ち、とありますね。
浅見ベートーベン氏: 父親はアメリカ人で、ケンタッキーと似ているということから旧軽井沢に土地と家を買いました。父は通信兵で、モールス信号をパイロットなどに教えていました。戦争の後半は、アメリカ軍のパイロットになったインド人やパキスタン人、フィリピン人にも教えていたそうです。戦争で勝ったら抑えるのは放送局と港。愛宕山を抑えて、カービン銃を持ちながら仕事をしていたそうです。父親は、かなり日本が好きで、富士山に二回登っています。アメリカに帰った後も、テネシーにあるリンカーンメモリアルユニバーシティで日本語をとったので、日本語で手紙が来ていました。
――では、浅見さんも英語が話せる優等生で……。
浅見ベートーベン氏: とんでもない、毎日喧嘩ですよ(笑)。外見はアメリカ人そのものだけど、実は日本語しかしゃべれなくて……(笑)。時代が時代でしたので、見た目のせいで全く知らない人に石をぶつけられたりもしました。私は昔から負けん気が強く「このやろう」という気持ちでずいぶんと無茶をしていました。逆上がりをやろうとして落ちてしまって、救急車で運ばれたこともあります。荒川でおぼれそうになって、水泳部長の“えいちゃん”に助けてもらったのが、小学5年の頃だったかな。
生きているのが不思議なくらい(笑)。外が大好きで、昆虫採集とか、塩だけ持っていって畑になっているキュウリを食べたり、ドジョウをとったり。読書といえば、『鉄腕アトム』や『イガグリくん』という柔道マンガや『矢車剣之助』『鉄人28号』など。『産経新聞』に連載していた山川惣治の『少年ケニヤ』など、マンガばかり読んでいました。男の子とは喧嘩しましたが、女の人たちはものすごく優しくしてくれました (笑)。
“英語の秘訣”を同級生から教わる
――野性な感じがしますね(笑)。
浅見ベートーベン氏: 割と勉強もしてたんですよ(笑)。中学の頃はクラスで二番ぐらいだったかな。三年になって西荻窪の学校に転校したのですが、そこが勉強ができる学校で、皆優秀な生徒ばかり。その頃の友人に英語習得の秘訣を教わりました。「辞書に書いてある順番まで、全部覚えるんだ」と。そういう友人に刺激を受けて、東海大付属高校に進んで、一生懸命勉強をしました。
叔父が本好きで、叔父の部屋は四畳半でしたが、そこには夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外、幸田露伴など、日本の古典、小説がたくさんありました。それを読んで国語が好きになりまして、「国学院へ行こうかな」とも思いました。ちょうどその頃、東京オリンピックが近づいていて、「外人が来るから、英語がいいかな」ということで、中三から米軍の放送を聴き始めました。AMの810、Far East Network(現AFN、American Forces Network)を聴いていても、初めは天気予報しかわからなかったのが、“門前の小僧習わぬ経を読む”で(笑)。徐々にわかるようになりました。
――その甲斐あって、IBMに職を得て、明大の商学部にも進まれます。
浅見ベートーベン氏: IBMに就職していたので、夜学で通いました。IBMでは国際調達室というところで、日本で色々な部品を購入して、テストをした上で、海外のIBMの工場や研究所に送っていました。周りには外国人がたくさんいて、100人のうち20人ぐらいは外国人。朝から晩まで英語で話したり、時には一緒に出張したりしているうちに、だんだんと会話もできるようになりました。初めてのことばかりで、どうやっていいのかもわかりませんでしたが、みなさん、すごくイケイケだったので、面白かったですよ。
著書一覧『 浅見ベートーベン 』