まだ見ぬ世界へ
株式会社フレイムワーク・マネジメントの代表を務める経営コンサルタントの津田倫男さん。企業アドバイザーとして大手からベンチャー起業家まで、幅広く経営助言をする一方、最近ではアジア英語圏の大学の日本事務局も務め、銀行員のみならず社会人、学生に、アジアを視野に入れた異文化理解の重要性も説いています。「想いを大切に仕事に取り組んでほしい」という津田さんに、銀行業界のこと、本の可能性、伝えたい想いを伺ってきました。
“小さなお客さんを大切にする”という原点
――経営コンサルタント、企業アドバイザーのお仕事について伺います。
津田倫男氏: いくつか関わる会社があるのですが、「これは面白そうだな」という気持ちから始まり、それをどのようにして社会に役立つことと結びつけられるかを念頭において仕事をしています。理想を現実に落とし込むのではなく、現実を理想に近づけたいという想いを持っています。特殊な業務をするのに必要な能力、経験という意味においてはスペシャリストだと思っていますが、経営的な視点からジェネラルにものを見ることができないと、いい助言ができません。経営者と同じ目線も必要ですが、見落としていることに気付いて指摘したりと、アクセルやブレーキを踏みながら一緒に進んで行くという感じです。
――銀行員としてのキャリアと、現在のお仕事はどのように結ばれていくのでしょうか。
津田倫男氏: 実家は家具の小売業として、100年以上続いていました。“小さなお客さんを大切に”という想いは、この頃育まれて行ったのだと思います。私も家業を継ぐつもりだったのですが、1970年代の当時、五木寛之が書いていたシベリア鉄道などにも憧れていました。故郷は観光都市ですから外国人も多く来ます。彼らと話ができればと考え、NHKの『基礎英語』などのラジオ講座を聴いていました。毎朝六時に起きて、十五分間集中し五分間で復習する、ということを毎日繰り返していました。“継続は力なり”で、だんだん聞きとれるようになっていきました。これで自信もついた私は高校三年時に一年間、米カリフォルニア州に留学することになりました。
――身につけた英語を存分に発揮されたのですね。
津田倫男氏: ところが、最初はほとんど英語が聞きとれません(笑)。周りが次々と“英語耳”を取得する中で、焦っていましたが四ヶ月経った頃、英語で夢を見るようになってからは、慣れていきました。四六時中、英語漬けの状況の必要性を感じたことは、今の海外大学の事務局をやっていることにも繋がっています。ともあれ、留学したことにより「さらに広い世界を見てみたい」という想いはますます強くなりました。当時はインターネットもなく、世界を見るためにはまずは東京に、と一橋大学に進みました。「実学」を学びに行くつもりで、早くから進学先は決めていました。
――モノ作りの世界から、銀行員へと進まれたのは。
津田倫男氏: 当初、やはりモノづくりやサービス構築をする姿を将来像に描いていましたので、メーカーを中心に就職先を考えていました。その中で、たまたま銀行の人と話をする機会があり、業界で働いている人に興味が湧きました。やはり銀行業の根幹となるのも“人”なのです。窮屈な枠組みを嫌う私が、十四年間という長い間務めることができたのも、周りの“人”に魅せられたからこそでした。入行後は、早いうちから海外勤務もし、その後銀行業務の中でも極めて異例の業務である、企業買収などを担当していました。その経験が、今の経営コンサルタント、企業アドバイザーという仕事につながり、執筆にも活かされています。