若者は時代を映す鏡
博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーを務める若者文化研究家の原田曜平さん。専門は日中を中心としたアジアの若者研究で、多摩大学経営情報学部でも非常勤講師としてアジア・若者マーケット論を教えています。日本テレビ系列「ZIP!」に、 毎週金曜日レギュラー出演中。「学んだことを還元したい」という原田さんに、ご自身のこと、若者研究で見えてきた未来、想いを伺ってきました。
若者と作り上げる喜び
――「博報堂ブランドデザイン若者研究所」について伺います。
原田曜平氏: 公募で集まった200人くらいの高校生から若手社会人と、私たちが一緒になって研究を行っています。その知見を生かして商品開発やテレビCMを作っています。例えば、若者向けの緑茶を作ろうという依頼が企業からあった時に、200名の中から、条件に合う子を10数名集めてプロジェクトチームを作ります。そして、3ヵ月から長い時は1年以上、週に何回か集まって開発を進めます。若者の商品の現場を僕たちと一緒に研究してくれる彼ら「現場研究員」が主役になって活躍してくれています。
――活動期間が長期に及ぶこともあるのですね。
原田曜平氏: 「現場研究員」というのは、SNSの人数や友達の数が多い「ネットワーカー」で、学校外の活動に参加するくらい相当意識の高い優秀な若者ばかりです。もちろん学生なので学業が一番で、プライベートもあります。予定通りに進まないことも多々ありますが、それも含めての若者との付き合いということで、苦労もありますが刺激を受ける毎日です。その子たちの感性と、色々なエリア、階層の多様な意見をインタビューして集められたものを我々が分析して「こういうコンセプトでいこう」と進めていきます。
「おりこう」と「やんちゃ」のはざまで
――原田さんご自身が、こうした若者文化に興味を持つきっかけはなんだったのでしょう。
原田曜平氏: 直接的な要因とは言えないかもしれませんが、海外での経験と地元のやんちゃな感じと(笑)、こういうダブルスタンダードな環境で多くのことを考えていたのがきっかけの一つでもあります。小学6年の時に商社に勤めていた親父の転勤が決まり、オーストラリアのシドニーへ転校することになりました。
――急激な環境の変化ですね。
原田曜平氏: 下町から海外へ(笑)。親父には「外国に住まわせたい」という思いがあったようですが、その当時は嫌でしたね。
シドニーは大自然が身近にありスケールが大きくて、いい国でした。日本人学校に通っていたのですが、当時は日本経済が絶好調で、「日本語を含めた日本の教育を受けさせたい」という親の意向で、現地の子どもも多く通っていました。オーストラリアはハエが多いのですが、ある日、スクールバスに入ってきたハエを、クラスメートのすごくかわいいオーストラリア人の女の子が、平気で手で潰していたのを見て驚きました。「人によって、当たり前というものは違うんだな」と勉強になりましたね(笑)。
――多様な人々とのふれあいを通して学んでいったのですね。
原田曜平氏: 小さい時にサメに足をかまれて、ものすごい傷を持っている子もいましたし、靴の中に大きな毒グモがいて救急車で運ばれる子など、語ればキリがありません(笑)。学校に通う日本人の生徒も、色々な仕事や出身地の子がいて、「同じ日本でもずいぶんと違うものなのだな」と感じたものです。
中学2年生の終わり頃に帰国して、地元から離れた中野区の中野第3中学校という公立の帰国子女受け入れ学校に通うことになりました。中学校はロサンゼルスやクウェートから帰ってきた子や、クウェートでサダム・フセインに家族ごと捕まって解放された子とかいて、不思議な環境でしたね。
公立ですので、地元から進んできた子たちもいました。「帰国子女」ということもあり最初は目を付けられたのですが、色々あってヤンキーの子たちと仲良くなったのです。彼らの話は「誰を殴った」とか「タバコは何味がおいしい」とか(笑)、自分が生きてきた世界と違っていました。でもみんな温かくて、最初は「なんだよ、オーストラリアってどこよ」という感じでしたが、すぐに受け入れてくれました。卒業、受験の時期になるとヤンキーの子たちに「最近、お前マジで付き合い悪くない?」と言われながらも勉強することにしました。その頃の仲間とは、今でもたまに会ったりします。