聞き入る文化を広げる
創業10周年を迎えた株式会社オトバンクの創業者、会長の上田渉さん。オーディオブックによって新しい読書のかたちを提案し、文字を読むことが困難な人たちや忙しくて時間のない人にも、読書を楽しめるよう普及活動をおこなっています。その元になった自らの音声学習の経験や、祖父への想いとは。「聞き入る文化」を広めたいと願う上田さんの想いを伺ってきました。
ママチャリにまたがって
――2012年から株式会社オトバンクの会長職に就かれています。
上田渉氏: 創業当時からずっと、著者さまや出版社さまも含めて、世の中にオーディオブックを啓蒙する活動をしています。弊社は2004年の創業ですが、日本でオーディオブックが普及し始め「朗読」「耳で読む本」と理解していただけるようになったのは、創業して五年くらい経ったころだと思います。それまでにもカセットブックやCDブックなどがありましたが、出版社の中でオーディオブックの認知度はそんなに高くありませんでした。
最初はアポもない会社を「トントン」とノックするところから始まりました。創業当時はまだ学生だったので「変な学生が来た」というような感じになって、中に入れてくれないことのほうが多かったですね(笑)。神保町には出版社がたくさんあったので、電話するより回ったほうが早かったのです。今でもママチャリで移動していて、行ったことがないところを見つけては、お邪魔しています。外に出て、出版社の方と話して現場にいるほうが、いろいろな発想やアイデアが生まれるので。お陰様で、今は多くの方に知っていただけるようになりました。
――こちらには、専用のスタジオがありますね。
上田渉氏: このスタジオで声優の方や役者の方が朗読し、それを編集してオーディオブックにしています。コンピューターの合成音声も悪くないのですが、どうしても違和感が残るため聴いていて疲れてしまいます。やはり疲れないことが重要なので、人が朗読するほうがクオリティが高いし、聴いていて心地よいんです。感情表現が求められる文芸作品などは、特にそうですね。
また、キャラクターごとに役者の方を割り当てるというケースもあります。例えば、『海賊とよばれた男』は全部で29時間の超大作で、非常に男臭い本です。ですから渋みがあり、重厚感を感じられる声をしている人がよかった。そこで主役をお願いしたのが俳優の中村雅俊さん。さらに主人公の大恩人の役を俳優の國村隼さん、ナレーターをニッポン放送の上柳昌彦さんと、多くの方々に関わっていただきました。
好奇心を満たしてくれた読書
――上田さんは常々「聞き入る文化」を広げたいとおっしゃっています。
上田渉氏: もともと感じていた現状への疑問や、挫折とその打開策の試行錯誤が今に繋がっているのだと思います。昔から、普通の人であれば嫌がることなどを面白がる子どもでした。小学生の頃、中学受験のために通っていた塾が横浜駅にあったのですが、そこのダイヤモンド地下街(現在はザ・ダイヤモンド)で、夜な夜な塾の友だちと鬼ごっこをして遊んでいました。あるとき、動かない大きなドブネズミを見つけ、持って帰ろうと手でつかんだところ「ガブッ」とかまれて、そのまま破傷風の注射を打ちに……。親からは、「普通、動かないネズミがいたら、死にかけているか病気かと思わないのか!」と怒られました(笑)。猫や犬やネズミなど、とにかく小さい動物全般に可愛らしさを感じていたので、違和感なくそういうことをしてしまう子どもでした。またその塾では、先生がワープロの「書院」で手作りしたシールが成績に応じて貰えていたんです。ノートの表紙などに「バンッ」と張りつけるのが楽しくて、それだけのために勉強していましたね(笑)。
――周りが見えなくなるほど、のめり込んでしまうんですね。
上田渉氏: 読書も熱中すると止まらないんです。図書館を制覇しようと思っていたので、岩波少年文庫はほぼ読みました。ポプラ社の『少年探偵団』や『怪盗ルパン』、『海底二万里』など。
また当時、宇宙飛行士か学者になりたくて「超ひも理論」などが書かれた、割と大人向けの科学書のようなものを読んだり、科学雑誌『Newton』を毎号買っては意味も分からず読んでいました。児童文学も好きで、岩波書店の『モモ』、『はてしない物語』、『ナルニア国ものがたり』や『ゲド戦記』、それからムーミンや『ファーブル昆虫記』、『シートン動物記』など当時の児童文学、海外翻訳の本を読みあさっていました。
ビジョンを見いだし 偏差値30から東大へ
上田渉氏: そんな風な子どもでしたが、中高一貫の進学校に進んでから落ちこぼれてしまいます。毎日出される膨大な量の宿題をこなしてもシールはもらえないし(笑)、勉強する目的を見失ってしまいました。先生に勉強する意味を質問したところ、「勉強しないと大学に入れない、大学に入れないと就職できない、就職できないと食べていけない。だから勉強するんだよ」という答えが返ってきました。けっして先生だけが悪い訳ではないのですが、何か面白いとか目標を持てる答えが返ってきていたら頑張ったかもしれません。例えば「宇宙に行きたいです」と言った時に「それなら、こういうのが必要だよ」といった返事を得られたら、おそらくそのために必要な学習を始めたのではないでしょうか。
――ビジョンを見せてあげられることが大切だと。
上田渉氏: 子どもにビジョンを見せられない教育はダメだと思っています。そのころ高校の同級生は、当然みんな東大に行くと言っていました。なぜだろうと思い理由を聞いてみたら、「日本で一番の大学だから」とか「偏差値が一番高いから」とか。あとは「小遣いが増える」「プレステ2を買ってもらえる」とか。「何々になりたいから」という人は二人だけしかいませんでした。一人は「しんかい6500に乗りたいから、東海大学の海洋学部に行く」と。その後、実際に「しんかい6500」に乗っています。もう一人は「宇宙飛行士になりたい」と言って、アメリカへ留学しました。この二人は筋が通っていていいなと思いましたね。
――そんな中、上田さん自身も東大を目指すことになるわけですが。
上田渉氏: 学生なりに、自分も含めてですが若者のビジョンがないということに危機感を覚えて、子どもがビジョンを見つけられる教育が必要だと思っていました。教育改革をするには、教育のトップである文科省(旧文部省)でトップの文部次官になるか、政治家になるか。文部次官は50代なのでそこまで待てないし、ならば政治家になろうと考えました。「文科省の役人と対等に渡り合って議論するには」と考えた延長線上にあったのが、東大でした。
けれども偏差値が30くらいだったので、進路相談の時に「東大に行きます」と話したら、先生に「ふざけるな」と言われましたけどね(笑)。高校三年生の時、英語のSVOCの「S」が「主語」ということを知らなかったぐらいです。本試験の過去問を買ってきて、現代文の問題を見てみました。日本語のはずなのに、何が書いてあるかさっぱり分からなかった。これはなかなか辛いなと思いました。日本語で書かれているのだから、やりかたさえどうにかすれば理解できると思って、いろいろ試行錯誤していました。そのうち、声に出して読むと少し理解が進んだような気がしました。解説文や、単語の意味なども二度、三度と音読して、結局100回くらい音読したら、大体の意味がつかめるようになった気がしたのです。
――音声学習のスタートですね。
上田渉氏: ただ、100回も音読すると喉が嗄れて疲れてしまいます。声に出さなくても音読できないかと思って、意識的に頭の中で大きな声で朗読していました。予備校の授業も録音して何度も聴きました。そのうち「目で見るだけより聴覚を活用したほうが頭に入るらしいぞ」ということに気づき、そこに着目します。世界史の教科書なども、丸ごと全部何度も朗読しました。自分で解答を書いて音読。文字で書いて、朗読して、何度も聴いて覚えました。数学も言葉、言語なのでまずは読み込みます。数学でつまずくのは、記号の読み方で失敗するケースが多い。微分の式が読めなくなったり、先生によっても読み方が違ったり、混乱してしまうのが上手くいかない原因の一つ。とにかく全教科、偶然発見した音声学習で、ひたすらやっていましたね。
教育と祖父への想いがつながる
――音声学習の結果、見事希望を叶えます。
上田渉氏: 受験勉強で、高三、一浪、二浪とやってきて知識にすごく飢えていました。東大には一線の研究者がたくさんいましたので、研究室に突撃しては質問しまくっていました(笑)。柏にスーパーカミオカンデの小柴昌俊さんらが当時所属していた宇宙線研究所があってそこの講義を聞いたり、ロボット工学のエースの先生がおこなう講義をひと通り受けたりしていました。
また現実世界とリンクしたことがやりたくて、いろいろな活動を立ち上げました。政治の世界を知る活動としては、元民主党の鈴木寛さんに土曜学校の校長先生になっていただき、土曜日に子どもを集めて、教育にかなり向き合ってやっていました。また、政治家の秘書みたいなことをやったりもしました。こうした活動の結果、政治から教育を変えるのは極めて難しく、また現場が大切なのだと感じました。子どもから言われる何気ない一言に対する先生の回答だったり、親の関わりであったり。政治から環境を作ることはできても、それを生かすのは現場の人。政策だけでは変えられない。では自分がやりたいこと、自分にこそできることはなんなのだろう。試行錯誤をしながら、否が応でも自分に向き合うなかで思い至ったのが、緑内障で失明して二十年間不自由をしいられていた祖父の存在でした。
祖父は、私が大学に入る前に亡くなったのですが、可愛がってもらったのに何も恩返しができなかったという想いがありました。
――ご自身の経験と、ご祖父への想いがつながります。
上田渉氏: 最初に考えたのは、目の不自由な方に向けて朗読をするNPOを立ち上げる事でした。盲学校や市が運営する施設、文科省に行って話を聞いた結果、日本は視覚障害者に対する支援が極めて薄いと感じました。生まれながらに視力のない人は、手の感覚を鍛えながら点字を学びますが、事故や病気で視力を失った人は、手の感覚を研ぎすますことに慣れておらず覚えることが難しいといいます。音声で、耳で本を読むことができれば目の不自由な人も本を楽しむことができる。読書のバリアフリーをオーディオブックによって達成していこうという思いに至り、オトバンクを創業することになりました。
「聞き入る文化」を広めたい
――音声学習の効能が記された最初の本『脳が良くなる耳勉強法』を出版されたのは。
上田渉氏: ディスカヴァー・トゥエンティワン社長の干場弓子さんに「本を書きましょう」と言っていただいたのがきっかけです。オーディオブックの良さをいろいろな人に知ってほしいという思いで書き始めましたが、文献を調べたり、研究していくうちに私自身もっと知りたいという思いも強くなっていきました。出版後、多くの人にオーディオブックを認知いただき、また「耳勉強法」についても、脳にある程度の効能があることが科学的に立証されていると理解が広まり、各出版社がオーディオブックへ参加するという流れが出来てきました。
――「聞き入る文化」が広がっています。
上田渉氏: 私自身も、耳で読むほうが分かりやすいのでほぼオーディオブックで本を“聴いて”います。スマホで遊ぶ時も、仕事をする時も目や手は使いますが、耳はそれほど使っていないですよね。耳は隙間時間に使えるのが一番のポイントです。例えばランニング中に聴くと、効率的に本が読めます。LINEやメールをしている時でも、オーディオブックを聴くことはできます。忙しいと本を読む時間がどんどんなくなっていきますけれど、本を読む量を減らしたくないですよね。目で読む場合は、水晶体を調節したり、眼球を動かしたり、筋肉運動なので疲れますが、耳は聴くだけ。普通の音量であれば、受動的なので楽で疲れません。
今の私のお薦めは『嫌われる勇気』(岸見一郎さんと古賀史健さんの共著)。哲人役と青年役の二人の対話によって、アドラーの教えがわかる内容になっています。会話をそのまま音にできるので、文字を読むより分かりやすいです。
私自身にとって本は周りにあって当たり前の存在で、常に本に囲まれている気がします。読書にはいろいろな姿があって、学ぶこともできるし、楽しむこともできます。先生でもあるし友だちでもあります。私は34年間しか生きていませんが、読書によって人様の経験を自分で追体験して、経験値に転換することができる本は素晴らしい。ノンフィクションや失敗学の本はすごくためになります。最近、「失敗」という字が題名に入っているものは迷わず手に取ってしまいますね(笑)。
まだまだ世の中にはこうした素晴らしい本でも、オーディオブックになっていないものはたくさんあります。今年の4月6日には新潮社や小学館、講談社など出版社16社による「日本オーディオブック協議会」を設立し、弊社は事務局として、また私自身も常任理事として参加させていただくことになりました。これによりまた、市場自体も大きく伸長していくでしょう。これからももっと多くの人々に「聞き入る文化」を広げる、目が不自由な人の究極のバリアフリーを達成していく、出版文化を盛り上げる。この三つをただひたすらやり抜きたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 上田渉 』