多角的な視点が道を拓く
須﨑動物病院の院長を務める須﨑恭彦さん。「薬に頼らず体質改善」をモットーに、食事療法などを中心とした治療をおこなっており、その想いとノウハウを全国の方に届けるため、多くの本を執筆されています。そんな須﨑さんも多くの試行錯誤を重ねて今にいたります。自分にとって最適な解とは。あきらめないことで道を拓いてきた、須﨑さんの想いを伺ってきました。
道は一つではない
――こちらの須﨑動物病院では、薬に頼らない体質改善や薬、ワクチンなし、手術もしないという形をとられています。
須﨑恭彦氏: 対症療法ではなく、原因療法をおこなっています。ぼくはこの治療法を始めるまで、症状は薬でコントロールできると思っていました。ですが、投薬を止めると数日で再発したり、薬を飲むことによる別の問題がでてきたりと、結局望み通りにならないこともあることを、目の当たりにしました。そのため、それ以外の治療法がないかと考えるようになり、食事療法や原因療法にたどり着きました。
今まで21冊の本を出していますが、食事療法や原因療法を望む全国の方々に読んで頂いています。「症状の原因はよく分からないけれど、とりあえずこの薬を飲めば症状は落ち着く」というような対症療法に疑問を持つ方は、全国に少なからずいらっしゃるようです。そんな背景もあって、移動診療所を、これまで大阪、山口、福岡の三箇所でおこなってきました。今年からは、中京エリアや北海道エリアの方から熱望があって、名古屋や、札幌でも行うようになりました。
手詰まりになった時に「違う選択肢」を豊富に提示できるような動物病院があったらいいな、というのも、この病院を作った理由の一つです。ぼくの病院では、できるだけ早い段階で新しい視点を取り入れ、試行錯誤しながら行動するようにしています。例えば、今では普通に行われる動物の口内ケア、つい8年前には同業者から「良からぬ金儲け」などと非難されたこともありました。
――今まで続けてこられたのは。
須﨑恭彦氏: それは、ぼくの本を通じて出会った飼い主さんたちの存在です。飼い主のみなさんは、本に書いている考え方に共感し、ぼくの病院へ助けを求めてやってくるのです。「他の病院で打つ手がないので、何でもいいからここでやってくれ」という話になって、できる限りの改善方法を提案します。手詰まりなケースもいっぱいありますが、ぼくの考え方を信じ、付いて来てくださるのです。そのような飼い主さんたちのお陰で、ぼく自身も色々なことに挑戦させていただきましたし、経験させてもらいました。僕の知識や経験を元に、様々な立場の飼い主さんに対して、より良い解決策を提示できたらいいなという思いで、治療をしています。
「人と違うことを」胸に残る父の言葉
――この道へ進もうと思われたのは。
須﨑恭彦氏: 父親の教育方針の影響が大きいと思います。父親は高校の生物の教員で、生活指導係とか、学年主任などを担当していたのですが、「人と違うことをやりなさい。」という教育を小さい頃からされていました。「人と同じだったらお前の存在意義はない。漢字が分からない時、お前に聞くより辞書を開いたほうが早いだろう。でも、お前しか知らないこと、出来ないことがあった場合、お前が必要になる。だから人と違うことをやりなさい。」と。「ただし、人と違うことが見つからなかったら、四の五の言わずに人と同じことをやれ。その代わりその分野で、ピカイチのクオリティーを持つ人間になれ。そのどちらしかない。」という考え方です。ですが、子どものころは“人と違うこと”というのがどういったことなのか分からなかったため、将来の夢が何も浮かんできませんでした。そのため、とにかく色々なことをやりましたね。ですので、人から見ると、「言うことやることすぐコロコロ変わる」という感じに見えていたのではないかと思いますが、自分なりに一生懸命“人と違うこと”について模索していたのです。
高校生の頃、図書館で『獣医師になるには』という本を見つけました。僕の身近なところでは、動物病院を見たことがなかったので、「これは人と違う!」と思い、獣医師を目指そうと思うようになりました。そうして一度受験したのですが落ちて浪人。その後再度挑戦して東京の大学へ行きました。ですが、東京には獣医師がたくさんいるということが分かって……(笑)。
また何をしたらいいか分からなくなりました。それで、とにかく色々なことを経験しようと、たくさんのアルバイトをしました。家庭教師や塾講師、横浜の老舗中華料理店や結婚式場、銀座のしゃぶしゃぶ店での配膳、ガードマンなどもしていました。ですが、結局そこで答えは見つかりませんでした。どうしようもないということで、大学院に進学したら何か見つかるのではないかと考えました。やるんだったらとことんという思いがあったので、当時では、おそらく日本でトップクラスに厳しかったであろう研究室に入りました。
――どんな研究室だったのですか。
須﨑恭彦氏: まず「4年間、研究だけに没頭しろ」と言われました。また、学会発表の持ち時間は8分なのですが、その準備でも、「学会の8分は7分58秒でもないし、8分2秒でもない。8分だ」と言われていました。「原稿を全部暗記して、臨機応変に時間をピシッと合わせるというのがプロだ」と。僕は学生ですよ(笑)。それに、練習会で上手くいかないと、すごく怒られました。当時は、とても精神的に辛く感じておりましたが、振り返ってみれば、あの時に学んだ「どうせやるなら、やっつけ仕事でごまかすのではなく、限られた時間の中で、世界基準のクオリティーで取り組め!」という教えが、本当に私の役に立っています。
著書一覧『 須﨑恭彦 』