「愛」と「罪」を知って
石井希尚氏: ぼくの姉は現在、ドイツでピアニストをやっていますが、ぼく自身も子どもの時からクラシックピアノを習っていました。近所に住んでいた、桐朋学園大学出身の、有名なレッスンプロに師事していました。レッスンの場には、N響や、クラシック業界の偉い人がたくさんいました。ロックに目覚めて、エレキギターを始めた12歳のころは、社会に対する思いや反動を音楽にぶつけていました。作曲家で俳優の内田良平さんから、詩を渡されて作曲の依頼を受けたこともあります。それは「ゴキブリ」という曲名で、コンテストで優勝しました。
ぼくの牧師としての活動のきっかけである神との出会いは、当時つきあっていた彼女の看病をする中で起こりました。当時、病気がちの彼女の入院費を稼ぐため、音楽でのデビューはいったん諦め、完全歩合のセールスの世界に入ることにしました。「名刺を見たら見込み客だと思え」と言われていたので、当時のぼくは名刺を見たり、人と会うと“11万1400円だ”と思っていました(笑)。そうやって「彼女のためだ」と働いていたら、あっという間にトップセールスマンに。20歳で月給が額面で100万円を超えるまでになりました。
――努力によって希望の光が見えてきました。
石井希尚氏: ところが彼女はまた入院して面会謝絶になりました。唯一信じることができたのは“自分の力”と“彼女の存在”だけでしたが、自分の力すら信じられなくなりトップセールスから、底辺へとまっさかさまに転がりました。
ある日、ぼくの変化に気づいた上司から呼ばれました。「男なら人前で泣くな。」という親父の教えを破るほど、落ち込むぼくに「祈り」を勧めてきました。ぼくはそれまで教会に行ったことも聖書を読んだこともなく、最初は半信半疑でしたが、目に見えない何かを本気で信じて、ぼくのために祈り続ける彼の姿を見て何かを感じました。「主イエスよ!今、心にきてください、アーメン」と彼の祈りに続いた時、自分の中に何かが降ってきたのを感じました。まさに“神との遭遇”で、一番神聖な体験でした。
その瞬間、親父のことや、学生運動以来の重荷や、彼女の病気のことなど、色々なことが全部、流れて、生まれ変わっていくのを感じました。さらに、奇跡は続きます。彼女の体が動くようになったという知らせが届きました。ちょうど祈っていた同時刻だったそうです。ところが神を信じた翌日に、彼女から破局を伝えられます。
教会で丁稚奉公を始めた翌年、彼女が亡くなったという知らせが届きました。遺影の下に座り、嗚咽しながら自分の「罪」を意識しました。「彼女を幸せにする」と言い続けていましたが、心のベールを一枚一枚剥いでいくと、それは“愛”ではなく“エゴ”だったのです。彼女の死を受け止めることにより、“キリストの十字架”の意味がハッキリとわかりました。本当の愛というのは、十字架の上でズタボロになりながらも呪いの言葉を一つもかけずに、「父よ、彼らを赦したまえ」と祈ったような、一点の曇りもない、ただ与えるだけの愛。キリストの命と引き換えに愛が現れたというのが、聖書のメッセージなのです。「神は人間を裁かない。許しているんだ。これが十字架の愛なのだな」ということをリアルに感じました。これを自分が世の中に伝えなければいけない、と強く思いました。
「愛」とはなにか。渡米して牧師になったぼくは、その問いと答え、聖書のメッセージを様々な形で、伝えることにしました。カウンセラーとして様々なメディアへ、発言を求められたり、また作家活動を通して、メッセージを伝えています。