本質を追究した先にある発見を 喜びに変える
「常に本気の真剣勝負」――物事の本質を追究し、得た知識は解放する。その手を緩めることなく、常に前のめりのスタンスで活躍する野菜料理研究家のカノウユミコさん。その原点は、自然豊かな郷土で育まれました。カノウさんの挑戦の歩みを辿りながら、その想いを伺ってきました。
食べられる芸術 消えていく芸術
――主宰する「アトリエ・カノウ」の野菜料理教室はエプロン不要とうかがいました。
カノウユミコ氏: 3年くらい前までは、精進懐石のお店を祐天寺でやっていまして、そのときはお店の厨房でやっていました。今はここ杉並区でやっています。私のデモンストレーションを、生徒さんが取り囲んで、直に見ながら、お料理のはじめから終わりまでをじっくりと見て頂きます。出来上がったお料理は、そのままお昼ご飯として食べてもらいます。調理実習をしないのは、「私をちゃんと見てください」という思いからで、匂いも嗅いで、途中経過で味見をしたり、使用している調味料を味見したり、と実際に体験してもらうことに重点を置いているからです。
実習の場合ですと作ることに、追いつくことに必死になってしまいがちですが、工程をじっくり最初から最後まで見て頂くことが大切で、ここでは工程をじっくり観察してもらって、家庭に持ち帰ってもらうようにしています。
――「家庭でも簡単にできる」というのが、みそです。
カノウユミコ氏: 料理教室というと、レシピを再現することが最大の目標、先生と同じようにする、教えられた通りに再現することに注力されがちですが、ここでは百様百通りのやり方を容認しています。料理の背骨の部分、エッセンスを伝えています。この引き出しを増やす事によって、各々の料理の世界を広げるということが、私たちの料理教室の目標です。
私は、音楽や絵と同様に料理も芸術だと思っています。それが健康や心の豊かさにつながっていく「食べられる芸術」と呼んでいる所以です。「料理」を日々の作業としてではなく、芸術、アートとして捉えることが出来れば、毎日をもっとクリエイティブに生きることができます。絵画で言うと、絵の具の画材を教えて、描き方を教えているような感じです。目の前にある一期一会の食材に感謝して、食材に語りかけ、想像力を最大限発揮する。それが他人の喜びや健康につながる……料理とはとても素晴らしい創作作業なのです。
――消えていくものに命をかける……。
カノウユミコ氏: 食材は消えてなくなります。この芸術は残りません。一瞬一瞬の喜び、そして消えて誰かのエネルギーになる。力を注いで、また白紙に戻る。香りも美味しさも消えてしまうんです。その儚さに魅力を感じています。ゼロになってまた新たな喜びを見いだしていく。ワンパターンに陥ると、つらいきついという家事になってしまいます。生み出すことの喜びを味わえば、きっと変わります。
里山が育んだ世界観
――カノウさんの表情からも、イキイキとした喜びがうかがえます。
カノウユミコ氏: 何かに興味を持てば、それをとことん探求していくことに喜びを感じていて、私の場合、料理はそのなかのひとつでした。私の出身は、鳥取県の小さな田舎町で実家は専業農家でした。うちは長寿家系で、祖父母や曾祖父母も一緒に、四世代が一緒に住んでいました。私たちは二人姉妹でしたが、明治生まれの人間に育てられました。
家では、季節の伝統行事を大切にしていて、正月には家族総出となって薪で餅米を蒸かしていました。曾祖父は農業の他にきこりもしていて、ウチにある臼や杵(きね)はすべて手作りでした。毎年夫婦単位で、お餅をつくのですが、世代が上になるほど、餅が踊ったように、やわらかな美味しいお餅になっていくんです。夫婦の息が合うってこういうことなのかと、お餅から学びました(笑)。
しめ縄も、自分たちで作っていました。お供え餅も自分たちで作っていました。鳥取砂丘、北条砂丘、とあって、ウチも砂丘になっていました。家の前の道も砂だったんですよ。それが砂利になり、コンクリートになり、アスファルトになるに従って、生活もどんどん変化していきました。畑も緩やかだったあぜ道は区画整理されていって……。
――畑も牧歌的なものから、どんどん生産工場的になって……。
カノウユミコ氏: 豊かな里山風景が失われていくことに、子ども心に不安を覚え、悲しさと恐怖を感じました。最初は当たり前の生活で、むしろテレビで流れる都会のように「消費する生活」に憧れていました。おやつもふかしいもや、大学芋だったのがスーパーで売っているモノに変化して、けれどもそれが「豊か」になるという風潮もあって……、大量生産、大量消費社会に突入していく違和感を感じていました。
――自然のサイクルの中に人間がいたのですね。
カノウユミコ氏: お風呂も五右衛門風呂で、私が火の担当で、案配を考えていました。その頃の将来の夢は、学者。興味を持つと、なんでも分析したりして、どんどん本質を突き詰めたくなる性格はその頃からですね(笑)。自分がしたい研究を邪魔されてしまう学校は、正直おっくうでした(笑)。
近所にある小さな書店などでは、一番難しい参考書を買ってきては、読み込んでいました。料理本に関しても、専門書を読み込んでいました。そういったハードカバーの本は、子どものおこずかいでは買えなかったので、毎日書店に通っては丸暗記していました。スイスの製菓学校のテキストの翻訳版も、手に入れた時にはすべて覚えていました(笑)。ネットもPCもない時代でしたが、人間や地球環境、社会、経済や哲学と興味の幅がどんどん広がっていきました。「料理」は、その興味のひとつでした。