自分で目指すものは自分で突き詰めていくしかない
カノウユミコ氏: 大学では、心理捜査官になりたくて、東京で心理学を学んでいました。犯罪心理学に興味を持っていたので、精神分析を専攻していました。ところが、大学の勉強ではあき足らず、独学を始めます。やはり、自分で目指すものは自分で突き詰めていくしかない、ということを大学では学んだように思います。誰かが突き詰めたものを学ぶのではなく、教わろうというのがそもそも間違いだということに気がつきました。そうやって、すべての事象を反面教師にしていました。
また大学時代は、20冊ぐらい借りてきては、いっきに読んでいました。何かを知りたければ、読書に走り、体系化していました。とにかく頭に溜め込んでいました。
それがすごい蓄積になっていました。
人を通して、だんだん自分が分かってきて、飽和状態になって、ようやく書くようになったのは、30代になってからでした。30冊以上出していますが、多い時で年間11冊を出したこともありますが、そのとき雑誌の連載や料理教室、お店などで年間1000以上のレシピを生み出していましたが、自分の中で一杯貯まっていると、いくらでも蛇口をひねって水がでてくるように、いくらでも出てきます。
――発想に至るまでの素振り、鍛錬を、読書の時点でなされていたのですね。
カノウユミコ氏: 考える状態でアウトプットするのは難しい。考えた後にひらめくという感じです。思いついたことをすぐに書き留めておきたいので、あちこちにメモ帳を置いています。電車のなかだとか、ひどい時はレシートに口紅で書いて…お風呂やトイレ、ベッドルームにも。忘れてしまうので……(笑)。
自分ごとの人生を生きよう
カノウユミコ氏: 二十代の頃は、東洋医学の側面から人間の治療について研究していました。この時もありとあらゆる書物を読みあさりました。大学院の時に結婚したのですが、そこでいったん子育てに専念することになりました。そうだ!子育てについて研究していなかった!と(笑)。
――なんでも自分ごとにしちゃえば、捉え方も変わってきますね。
カノウユミコ氏: なんにでも追求することで楽しめてします。人生が私に命題を与えて、それに応えていくという感じです。生物には本能的に産む力があるんだという考えにたどり着いたので、与えられた知識を排除して、本来どうなのかを考えると、どの動物も病院で生んでいないと気づきました(笑)。変な知識は直感的な、本質的なものを知ることを妨げる。勉強も大切だけれども、外すことも大切なんです。そんなわけで助産婦さんの所に行って、促進剤なしで三日間かけて産みました。体の神秘を感じましたね。
だからなのか産まれてからは、子どものしたいことがわかっちゃうようになったので、泣かせることはなかったですね。症状を止めるのは、人間の治す能力を阻害することなので、むやみに病院も行かず、自然療法で治していましたね。
料理を仕事に 取り組みは全力投球で
カノウユミコ氏: その後離婚して母子家庭になり、経済的に路頭に迷ってしまいました。それまで、アルバイト以外に就職したこともなく、社会とまともに接したことがありませんでした。社長の考えが反映された場所で、社員は皆、その考えに向かって進む。私には無理だったので……(笑)、子どもの頃から、働くなら社長になろうと思っていました。大学の頃に一緒に住んでいた妹と、なぜだか理由は分かりませんが、「30歳になったら起業しよう!」という目標を掲げていましたので、会社を作る準備を始めました。
そのときも、ありとあらゆる本を読み込み勉強しました。どの本にも、好きなことをやるようにと書かれていました。そこで自分の好きなこと、小さい頃からやっていた「料理」を仕事にすることにしました。妹も食関係の勉強を大学でしていたので、一緒に始めることにしました。
最初に始めたのが、天然酵母の創作総菜パン屋さんでした。今でこそ、当たり前になっていますが、当時はまだ珍しかったですね。起業する前から天然酵母には着目していて、家庭でも取り入れていました。当初考えていた総菜屋さんのアイディアも盛り込む形で、おやき(天然酵母の創作総菜パン)屋さんを、荻窪で始めました。
――はじめてお店を出すことに不安はありませんでしたか。
カノウユミコ氏: 最初はみんな素人です。分からないことは聞けばいい。どんな百科事典のような人物でも、最初はみんな素人です。私たちも、パン作りは探求を重ねていたので作る不安はありませんでしたが、それを目の前のお客様に届けるということに関して、初めてのことだったので、まわりの意見を聞きながら、手を震わせながら(笑)、作っていました。
著書一覧『 カノウユミコ 』