“九”転び“十”起き、居場所を求め続けた日々
谷口祥子氏: 「なんとかしなくてはいけない」、と思っていた私は、あろうことか対人恐怖症のさなか、あえて転職活動をはじめたのです。当時コピーライターとして勤めていたデザイン会社はとても居心地がよかったのですが、「本当に自分を変えたい、このぬるま湯にいてはいけない」と思い、突如辞めることを決意します。
さすがに、対人恐怖症を抱えたままの転職活動は困難を極めました。9社落とされた末に、ようやく辿り着いたのは、真夜中1時の打ち合わせが当たり前の会社。人の視線を気にしている状況ではないほどの仕事量をこなしながら過ごした1年後、今度はあまりの激務に体を壊してしまって、退職することになりました。
その後しばらくはバンド活動をするなど、リハビリ生活を送っていたところ、ある日、知人から新規事業へのお誘いを頂きました。楽しい仕事ができそうだ!という期待ととともに入社したものの、わずか二ヶ月で事業の方向性が変わり、私の仕事はなくなってしまいました。
――自分の居場所を探し続けて……。
谷口祥子氏: 彷徨います(笑)。その後、その会社で出会った元上司から、携帯コンテンツ事業へ誘っていただき、渋谷のITベンチャーへ。その頃の私は「ここで私は一旗揚げてやる!うだつの上がらなかった対人恐怖症の私とはさよならだ!」と思っていました、33歳のころですね。
ところがまたもや私の期待は大きく裏切られます。何とスタートからわずか半年でITベンチャーが解散。やむをえずフリーランスとして働くことになったのです。
人の可能性を開花させるコーチングとの出会い
谷口祥子氏: 自分の生きる道を探し、彷徨い続けていたある日、日本にコーチングを導入した第一人者である本間正人氏のマンツーマンセッションを受けられることになりました。そこで、コピーライティングやIT系、占いやコンサルティング、カウンセリングなど自分が辿ってきたキャリアや学んできたことをお話ししました。「どれも中途半端で……」と伝えると、本間先生は「五つの柱があると思ったらどうかしら?」と言ってくださいました。私は目の前がパッと明るくなり、そんな風にセルフイメージを一瞬で変えてしまう本間先生の関わり方に感動して、コーチングを勉強することに決めました。
コーチングを始めるまで、母のことや対人恐怖症だった過去に蓋をしていて“人が好きな明るい人間”のフリをずっとし続けていましたが、「自分の弱みをさらけ出すということは、自分にとって不利なことではない」と思えるようになりました。すると、少しずつ気持ちが解放されて、まわりの人間関係もどんどん変わり、状況も好転していきました。
プロコーチとして起業するきっかけになった『日経新聞』首都圏版の「夢を形にING」でのご紹介も、そのように自分の意識が変わり、素晴らしい方とのご縁をいただいたことがきっかけでした。そこからプロコーチとして独立し、今に至ります。