「はずみ」を進み、つなげていく
――そうした周りの理解と協力もあって、医者の道へと進まれます。
茨木保氏: ぼくの人生の節目には、そうした周囲の協力があって、その時に遭遇したいくつもの「はずみ」で進んできたように思います。奈良県立医科大学時代は水泳部に入っていて、飲み会があれば裸踊りしているような、のほほんとした学生でした。卒業後に産婦人科を選んだのは、教授も雰囲気も和やかそうだなという、これまたのほほんとした理由からで、その後、京大で産婦人科とは直接関係のない発がん性物質の研究や遺伝子、ウイルスの研究へと続く道を進んだのも、いくつもの「はずみ」で進んだ結果でした。
初めて自分の漫画が世に出ることになったのは、その京大のウイルス研究所にいたころでした。このときも偶然が重なりました。それまで幾度か投稿はしていましたが受賞までは至らず、プロの編集者に直接意見を伺いたくて出版社への持ち込みを決心したのです。最初は別の出版社に伺う予定でした。ところがアポをとっていた時刻よりも早く着いてしまい「せっかくだし集英社にも行ってみよう」と、ダメもとで電話をかけてみたらアポがとれ見て頂くことに。編集者の方の反応も良く、結果それがデビュー作となりました。『週刊ヤングジャンプ』増刊号での、SF短編『遠い手紙』です。
その後、一緒に本を作ったことのある大和成和病院の心臓外科のチーフをしていた先生から「婦人科のスタッフを募集している。こっちは出版社も近いから、来ないか。」とお声をかけていただいたことがきっかけで、関西を離れこちらにやって来ました。
こちらに来た当初は、学術書や専門書のイラストを描いていました。小学館から発売されていた看護婦さん向けの『エキスパートナース』でイラストを描いていたことで、同じ発売元である『週刊ヤングサンデー』での『 Dr.コトー診療所』の監修者へと繋がりました。『Dr.コトー診療所』では、作者の山田貴敏先生と、オペの展開やセリフまわしなど、描きたい方向とすりあわせながら監修させて頂きました。ぼくが監修となっていますが、色々な先生と相談して知恵を出しあって出来たものでした。
自分にしか描けない漫画を届けたい
――「はずみ」を着実につなげてこられます。
茨木保氏: 「はずみ」の先にある経験、感じたことを描いてきました。医者向けの『週刊日本医事新報』の連載では、編集者や読者の声に耳を傾けながらも、自分でないと描けない、賛否両論ある内容を伝えたいという気持ちで取り組んでいます。
編集者とは表現も工夫しながら、時にはバッサリ削られながらも、喧々諤々やっています。連載を単行本に収録する時に、担当の編集者から「これは不適切だからやめましょう」と言われた部分も、他の編集者だと大丈夫というように、OKとNGの基準も曖昧になりがちですが、なんとなくの「言葉狩り」はではなく、しっかりと納得できる「的確なダメだし」は非常にありがたいですね。
「作家の書きたいものを書かせてあげよう」という編集者もいれば「自分の書かせたいもの」と色々な人がいますが、編集者はみな最初の読者であり、共同制作者です。信頼できる編集者には、多少耳に痛い事を言われても納得できます。編集者というフィルターの良し悪しで、本も大きく変わってきます。「この編集者がいなかったら、この本はできなかった」という本も少なくありません。意見がきちんと交換できる信頼関係の中で、出来上がった良い作品を届けたいと思っています。
――作者と編集者の想いが、本には託されているのですね。
茨木保氏: ある時、手塚治虫さんが小松左京さんに「朝から晩まで漫画を描いて、家族との時間もままならない。自分の時間がなくなっていくような気がする。ぼくのなくした時間はどこに行くんだろう」と言われたそうです。それに対して小松さんは「あなたの時間は、読者に行くんですよ」と応えると、手塚さんはほっとしたような顔をしたそうです。
自分の時間が、誰かの喜びに繋がっている。そのなかで「自分じゃないと」というものを描くのがぼくの存在証明、自分が生きて仕事していることの、ひとつの意味のような気がしています。自分ではない別の誰かができそうな仕事に時間を割いていいのかという想いは、年々強くなっています。だから「これは茨木さんにしかできない」などと編集者に言われると、のってしまいますね(笑)。
――先生にしか描けない『がんばれ!猫山先生』も連載から10年が経ちます。
茨木保氏: 『がんばれ!猫山先生』は単行本が4巻まで出ていますが、これを20年、30年と続いていきたいと思います。どこまでやれるか、期間だけでなく内容でも挑戦したいですね。主人公はテレビやメジャー誌で取り上げられるような天才外科医や熱血な青年医師とは真逆の、あくまで凡庸な人間です。これからも「凄い人」の話だけでなく、そうした平凡を絵に描いたようなスケールの小さい人間が、悩み葛藤し、解決していく等身大の姿を描いていきたいと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 茨木保 』