「ありがとう」を喜びに 人生を生きぬく
「的確かつ適時に質の高いリーガルサービスを提供する」――福間智人法律事務所の代表を務める福間智人さん。福間さんのキャリアは、人気予備校講師からはじまりました。「予備校講師も弁護士も直接顔を向き合える仕事」だと言う福間さんに、「ありがとう」と言われ続ける仕事、生きることへの向き合い方について伺ってきました。
心を大切に、直接向き合う仕事
――事務所のウェブサイトに「心を大切に」とあります。
福間智人氏: 弁護士として各クライアントへリーガルサービスを提供するのが私の仕事です。クライアントは9割以上が法人で、上場非上場を問わず株式会社、その他医療法人等の各種法人です。これらはすべて人のご縁、紹介で成り立っています。事務所の開設は平成23年なので、今年(平成28年)で丸5年になります。
「ありがとう」と言って頂ける仕事を続けたい。例えば裁判で勝てば、もちろん「ありがとう」なのですが、事案によってはうまくいかないことだってあります。ただ、争いごとというのは、一方が100正しくて一方が正しさ0というのではないのです。それでは裁判にもなりません。リーガルサービスの提供にあたり、途中経過の中でもクライアントに納得して頂くこと、それが心を大切にすることだと思っています。
――直接「ありがとう」と言われる仕事。
福間智人氏: 予備校の講師を務めていた時と仕事内容は全く異なりますが、「ありがとう」と直接言ってもらえる、顔が見えるという点では同じです。一方で、やはりどちらも「結果」が大切で、それを無くして論をぶっても信頼には繋がりません。結果を出すのと同時に、その過程も大切にする。こうした想いを持って取り組んでいます。それはもしかしたら、別の仕事を選んでいたとしても同じだったかもしれません。
自由への準備期間
福間智人氏: そもそも私は予備校講師になることも、ましてや弁護士になることも考えていませんでした。両親はともに高校の国語教師をしていましたが、特段教育に対して厳しいということもありませんでした。
ただ、家は壁中本棚のような感じで、『夏目漱石全集』をはじめ『〜全集』とつくものは、すべて揃っている環境でした。国語の先生らしく『古事記』や『古今和歌集』といったものもありました。父は、国語辞典を「あ」から通読したりしていました。図書館によく連れて行かれたので、本は身近な存在でした。
小さい頃、母が毎晩寝る前に、姉と私に絵本を読み聞かせてくれていました。小学校に上がるくらいまででしょうか。私の“読書”の原体験は、母の読み聞かせでした。強く印象に残っています。
中学までは塾にも行かず地元の公立に通っていましたが、受験期に友人に誘われ奈良の進学校である東大寺学園を受けることになりました。私立は学費も高いので、私としては地元の天王寺高校に進むつもりでしたが、周りの強い薦めもあり、親と相談して「大学受験時に浪人しない」という約束で、通うことにしました。
――高校生活はいかがでしたか。
福間智人氏: 友人は似た者同士の集まりという感じで、男子校でしたし楽しくやっていました。ただ、毎日通学するには遠くて遠くて……。当時、大阪の西の端、南港に住んでいましたが、そこから東の奈良まで片道2時間くらいかけて通っていました。
この通学体験が、のちの進路選択にも大きく影響しました。というのも、生徒の大半は、やはり関西なので東大ではなく京大を第一目標に据えるわけですが、京都だと大阪から通学できてしまう距離にあります。長時間の通学に参っていましたし、親元を離れてのひとり暮らしにも興味がありました。
「東大だったら親も許してくれるだろう」と、それまで一度も行ったことのなかった東京に行くことにしたのです。大学受験が初めての東京で、渋谷に降りた時の人の多さに驚きました。それまで、大阪も東京も同じようなものだろうと思っていたので、「全然ちゃうやん」と……(笑)。