「テニスで一番になる」一所懸命の挑戦と喜び
浜口隆則氏: 早速、きっかけとなった身体力学の先生が顧問を務めていたテニス部に入部しました。「このテニスを一所懸命やってみよう」と決意し、初心者でしたがインカレに出場するという目標を掲げました。それまで努力したことのない人間だったので、最初のころは努力することがキツくて……ボール拾いばかりの「練習」が、とにかくイヤでした。
――まずは、何事も下積みから……。
浜口隆則氏: 普通はそうなるのですが、私の悪いクセが出てしまって……「下手な人間ほど練習しなければならないのに、なぜかボール拾いをさせられるのだ。これは合理的じゃない」と思っていました(笑)。
とはいえ、一度決意したことですので、そうした「邪念」を拭い、とにかく早くテニスコートに立てるように練習に励みました。試合で勝利を収め始め、1年の秋ごろにはレギュラーの最後尾に名を連ね、2年生でテニス部のエースになりました。
最後の大会では、決勝で破れてしまい、結果としてインカレに出場するという目標は達成できませんでした。ショックでしたが、この経験で一所懸命に頑張ることの喜び、「みずから動いて生きている」喜びを味わうことが出来ました。
さらなる学びを求めてアメリカへ
国や社会への貢献意識の芽生え
浜口隆則氏: テニスを一所懸命取り組んだことで「生きる喜び」を覚えた私は、今度は「一生に一度でいいから死ぬほど勉強をしたい」と思うようになりました。どうせやるなら徹底的にと、海外へ留学することにしました。
実は、大学の前半のころ、父が新たにはじめた事業が失敗しており、学費や生活費をテニスコーチのアルバイトで賄っていた私に、金銭的な余裕はあまりありませんでした。それで1年間は英語を学びつつ、テニススクールのコーチのほか、塾の先生、家庭教師、警備員のアルバイトをして留学費用を貯めました。
留学先は「学費が安い」という理由で、ニューヨーク州立大学を選びました。語学学校に通うという前提で合格し、英語を勉強するクラスに籍を置きました。必死になって語学力を磨きつつ、せっかくだから生きた英語を学びたいと、テニスをしながら現地の人たちと交流もしていました。語学学校は1年間の予定でしたが、試験にパスしたおかげで4カ月で修了し、大学の講義を受けられるようになりました。
――アメリカでの大学生活はいかがでしたか。
浜口隆則氏: アメリカの大学は本当に柔軟で、1学期間の成績がある基準以上であれば成績優秀者のリストに載せられます。そのリストに載ることができると、学部長と面談をして、本来取得できる単位上限をどんどん上積みして、早く卒業が出来るシステムでした。ひたすら勉強に目が向いていた私は、最初の1学期目でそのリストに載ることができました。単位上限を増やすべく学部長と面談に臨んだのですが、なんと私の前に座っていたのは、語学学校時代テニスで知り合ったおじさんでした(笑)。
リフレッシュでやっていたテニスが、こんなところで繋がるとは偶然でしたが、行動にムダはないと感じた出来事でしたね。もちろん、それだけで合否が判定されることはありませんが、精神的にもだいぶやわらぎました。実際、60分間の面談はテニスの話で盛り上がりましたから(笑)。そうして希望する単位をどんどん取得できるようになり、1年9カ月でニューヨーク州立大学の経営学部を卒業することができました。
このころに、『Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country』という、故J・F・ケネディ大統領の言葉に出逢いました。――国が自分に何をしてくれるかを問うのではなく、 国に対して自分に何ができるかを問いなさい。当時は学生で、国や社会に貢献できる力はありませんでした。 しかし「国や社会から何かをしてもらうことに期待する人間ではなく、 国や社会に自分が何ができるかを考えて実行できる人間になりたい」と強く想うようになりました。この想いが、その後の就職、起業と深く繋がっていくことになりました。