田原総一朗

Profile

1934年4月15日 近江商人の末裔として滋賀県彦根市に生まれる。テレビ東京のディレクターや映画監督の経験を経て、ジャーナリスト、評論家、ニュースキャスターとして活躍中。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか、「大隈塾」塾頭も務める。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。鋭い眼差しとは裏腹に政治経済はもちろんの事、バラエティ番組にも出演するなど幅広く活躍する。氏のtwitter上の発言も老若男女問わず社会現象になるほど強い影響力を持つ。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

――先ほどお話に出てきたtwitterによる宣伝も多いと思います。影響力のある個々人の口コミでしょうか。


田原総一朗氏: そうやって宣伝の方法が当然変わるでしょうね。今までは本の宣伝というのは、基本的には新聞媒体ですよ、あるいは雑誌媒体。紙で宣伝した。これは紙じゃないから、宣伝の方法がね、いろいろ変わってくるでしょうね。

――検索したキーワードから、『あなたが欲しいのはこういう本じゃないですか』っていうようなものも、一つの宣伝方法でしょうね。


田原総一朗氏: そうだよね。僕の場合とってもありがたがっているのは、ある本が欲しいと、こういう物が欲しいと、やっぱりインターネットを使うと、ずらっと出てきますよ、色々ね。これはとっても便利ですね。今までこういう本が欲しいっていう時に探すの大変だったんだよね。例えば『摂関政治』について書いた本ていうのは探すの大変だったけど、今インターネットで見ればいっぱい出てくる。そういう良さはありますね、便利だね。

――その中で出版社の強みはなんだと思いますか。


田原総一朗氏: やっぱり企画力じゃない。それから紙の本の欠陥は、書店で売ることだね。書店というのは面積が限られているじゃない。するとね、あまり長くは置けないという問題がありますね。だいたい売れる本なら置くだろうけど、普通は平均どのくらい置いてあるんだろう、書店に。1ヶ月かな、2ヶ月かな。それがね、電子書籍はいつまでも置けるよね、面積っていうのがないから。

――絶版でなかなか読めなくなることもないですよね。


田原総一朗氏: そう、これは大きな変化だよね。極端に言えば50年でも100年でも前の物が読めると。だから『売れる』という事もどう見るのかと。極端に言うと、今までは1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月ぐらいで何冊売れるかが勝負だった。それが年単位になるかもしれない。例えば単純に言うと1万冊以上売れるかどうかが一つの勝負だよね、紙の本は。で1万冊以上売れるなら、まあいいんじゃないかと。でも1万冊って、せいぜい3ヶ月か4ヶ月で見てるんだと思う。

――あと書店に置かれる期間にも影響されますね。


田原総一朗氏: まず3ヶ月。3ヶ月もないかもしれないね。それでこの電子書籍だったら置かなくていいわけだから。それが1年だとか2年だとかいう単位で売れるかという判断、つまり判断の基準が全く変わってくると思います。

――出版社のプロモーションも全く変わってきますね。長期的なスパンでも見れますし。出版業界って我々の知性を牽引してくれるというか、後天的な我々の設計図の1つのような存在ですよね。毎回新しい知識をインストールできるものかなと。


田原総一朗氏: 出版社、編集者の役割が変わるんじゃないかな。今まで出版社の編集者はいろいろあるけど、どちらかと言うと受動的な役割が多かったね。ライターならライター、作者なら作者をね、何人か掴んでいると。30人とか50人とか。それに何か書いてもらうと。じゃなくてもっと新しいライターをどう見つけていくかっていうのが出版社の役割かもしれないね。

――発掘したり、ですね。本というのはすごく重要な役割を果たしますよね、人間の形成において。


田原総一朗氏: そう思う。だから逆に言うと出版社の役割が大きくなってきて。これから生きられる出版社と、生きられない出版社が、はっきり分かれて来ると思う。非常に。そういう意味でもね、出版社の編集担当がね、だんだんフリー化するかもしれない。例えば編集者が、『こういうのはあの出版社がいいだろう、こういうのはこの出版社がいいだろう』という風に、むしろどういう出版社とも関係を持てるという編集者が増えるかもしれませんね。

――今でもよく名編集長という言葉がありますが、もっともっと自由な形になっていくんですね。


田原総一朗氏: そう思います。

――そんな我々にとって欠かせない『本』ですが、田原さん自身の『本』との関わりについてお伺いしたいと思います。幼少時代から学生時代まで、どんな本を読まれていましたか。


田原総一朗氏: 僕はもともとね、作家になりたかったんですよね。だから高校・大学は小説ですよ、ほとんど。日本の作家もロシアの作家もフランスの作家も、もちろんアメリカの作家も。おそらくきっと、何百冊ぐらいか読んだと思う、外国の小説を。

――本を買われる時っていうのは、京都・大阪まで買いに行かれていたんですか。


田原総一朗氏: いやいや、当時は彦根(滋賀県彦根市)で買っていました。高校までが彦根ですからね。大学入ってからは東京ですが。

――学生時代までの間に読んだ本の中で、今でも田原さんの行動に影響を与えている本は何ですか。


田原総一朗氏: 例えば森鴎外なんていうのはね、僕は非常に影響を受けたと思うんですよね。彼はラジカルな物を書いていて、それで彼は軍医だったんですね。最終的に軍医官、軍医のトップにまであがるんですね。だから企業で言えばサラリーマン、あるいは公務員でもいいですね。それを続けながらラジカルな小説を書き続けたっていうのは、とっても僕はいいなと思ったんです。普通は、やっぱり生活をめちゃくちゃにして書くのが、割に作家なんですよ。

――何かそういうイメージはありますよね。


田原総一朗氏: 特に小説の作家はね。だけど鴎外は両方を立てたというかね。僕はテレビ東京のディレクターの時に、テレビでもやりたい事を何でもやっていましたから、『ドロップイン』という言い方をしていました、僕は。

――『ドロップイン』ですか。


田原総一朗氏: 普通『ドロップアウト』というじゃないですか、会社を辞めたりする事を。『ドロップイン』ていうのは、『中にいても手前勝手な事をやる、どこまでできるか』という事を言っていました。これは鴎外の影響だと思いますよ。会社の中にいながら手前勝手な事をどんどんやる。両方が出来る。これ結構面白かったですよ。2回逮捕されましたけどね。でオンエアもしましたよ。逮捕されながら。(笑)

――『もう何でもやっちゃえ』っていう感じですか。(笑)


田原総一朗氏: いや、やっぱりその視聴者に向かって今どういう物が必要かと。どういう物が見られるかと。だから僕は、テレビの番組というのはね3つの条件を満たしていれば、相当何でも出来ると思ってる。一つは視聴率が高いこと。二つ目、話題になること。三つ目、スポンサーが降りないこと。本も同じですよ。まず売れることでしょ。話題になることでしょ。それで出版社が『いやぁ、これはとってもウチでは出来ませんね』と言われない。これ全部重視されるんですよ。スポンサーが喜ぶような番組を作ったら視聴率とれません。で、また視聴率にあまりやると話題になりません。

――難しい問題ですね。ところで現在どれくらい本を読まれていますか。


田原総一朗氏: 今はちょっと忙しすぎるんで、必要な本を読んでいて、必要じゃない本を読む時間が今ないから、ちょっと残念だなって思っています。例えば今、月刊誌を7つやっています。中央公論で天皇の話ね。この摂関にもなるんだけど。で『潮』っていう雑誌と『Voice』っていう雑誌では、若者の対談をやっています。それから例えば紙にはならないけど、WEBで『日経ビジネス』と講談社の『現代ビジネス』の2つをやっていますね。『日経ビジネス』は隔週かな。それから『現代』は月1ですね。他にも『ポパイ』とかね。週刊誌は『週刊朝日』と『FLASH』と。

――それに加えて、さらにテレビもですよね。


田原総一朗氏: そう、だから必要な物は読みますが、必要じゃない物は読む時間がない。

――今どんな本を読まれているんですか。


田原総一朗氏: 今天皇について、具体的には平安時代をやっているんですけど、平安時代っていうのは摂関政治だって事なんで、世襲関白について書かれていたものを読んでいた。その次は今度は平清盛の時代になり、それから鎌倉になっていくと、そういった物を読んでいた。例えば清盛の時代について書いてある物で最近面白い物があって、こういう本はいっぱい買います。それこそ摂関政治だけでも30冊ぐらい買ったんですね。

著書一覧『 田原総一朗

この著者のタグ: 『ジャーナリスト』 『コミュニケーション』 『海外』 『ライター』 『出版業界』 『インターネット』 『紙』 『歴史』 『ビジネス』 『テレビ』 『新聞』 『人生』 『絶版』 『編集長』 『印税』 『雑誌』 『装丁』 『日本語』 『サラリーマン』 『リーダー』 『メリット』 『書き方』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
利用する(会員登録) すべての本・検索
ページトップに戻る