福岡伸一

Profile

1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学研究員、京都大学助教授等を経て、現職。サントリー学芸賞を受賞しベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』,『動的平衡』など、「生命とは何か」を分かりやすく解説した著作を数多く著す。他に、『できそこないの男たち』,『世界は分けてもわからない』,『動的平衡2』,『せいめいのはなし』等。最新刊に『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』,『生命と記憶のパラドクス』。また、フェルメールの全作品を巡る旅を綴った『フェルメール 光の王国』を上梓するなど、フェルメール好きとしても知られ、「フェルメール・センター銀座」の館長もつとめる。

Book Information

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本で一番大事なのは「テキスト」です


――では電子書籍関連のご質問をさせて頂きます。プライベートも含め、現在電子書籍はご利用されていますか。


福岡伸一氏: そうですね。一応iPadを持っていまして、何冊か買いました。でも、今のところ英語で買うケースのほうが多いかな。古い小説で版権が切れてしまったものが自由に読める「青空文庫」とかは、多少読むこともありますね。

――電子書籍の利用シーンとしては移動の時などですか。


福岡伸一氏: そうですね。英語の本は分厚くて重い本が多いので、電子書籍だと軽くて便利ですね。あとは、本の中にわからない単語があると、辞書を使わないといけないと思うんですが、電子化されてると自分ですぐに検索できるので、こうした苦労が一切ないんですよね。

もちろん、紙の本に愛着はあるんです。でも、私の場合、仕事柄、かなり大量の本を必要とするし、常に色んなものを読まなくちゃいけない。しかも自分の蔵書の本棚って図書館の日本十進分類みたいにきれいに整理されている訳じゃないから、「あの本、どこにあったっけ?」などと探していくのが本当に手間がかかるんですよ。

また文章中で引用しなきゃいけないみたいな時は、やっぱり原文が探し当てられないといけないし、ときには、「この言葉は誰のどれだったっけ?」とうろ覚えだったりすると、ものすごい時間をかけて本を探さないといけないんですよね。

だから、書籍のテキストデータが電子化されていれば、一言、単語や言い回しとかを入力すれば、その文章がすぐに出てきてくれますよね。あるいは、わからない単語があれば、すぐに辞書が引けて、英語でも日本語でも意味がわかる。こうした利便性は、やっぱり電子書籍の圧倒的な強みだと思います。だから、iPadでもKindleでも、一台の電子書籍端末の中に、自分の蔵書が丸ごと入っているなんて、そんな便利なことはないと思いますけどね。

あとは、本はとてもかさばるし重い。私自身、アメリカに行ったり来たりと、引っ越しを何度もしているんですが、その都度、本と格闘していますよ。本棚に入っている時はいいんですけれど、段ボールに詰めると何箱にもなってしまって、非常に重たくなってしまう。また、その本を新しい本棚に入れようとすると、うまく納まらなかったりするんですよ(笑)。

すると、また一から配列をやり直さなくちゃいけないので、いざ本が必要なときに「あの本はどこだったっけ?」と、一冊ずつ端から探さないといけなくなってしまう。本は好きなんですが、それはちょっと勘弁してもらいたいですね。

――あとは、電子書籍の場合、本を置く場所が取られないですね。


福岡伸一氏: そうですよ。本はずっと増えて行きますし、なかなか捨てられないですしね。本のためにより広いマンションに住み替えている人を知っていますが、大変だと思います。そういう方は本当に蔵書家だから、電子化に反対の方が多いようですが。それはそれでいいんですけども、本はやはりテキストが大事だから、検索や調査の利便性という観点からみると、電子化された書籍も有用だと私は思っていますけどね。

電子書籍は、紙の本を「映画」に生まれ変わらせるかもしれない


――今後電子書籍がもっと普及していって、読み手、書き手はどういったことが変わると思いますか。


福岡伸一氏: 今は大学で教えていると、紙の辞書持っている生徒は1人もいません。昔、私たちの時代は分厚い研究社の英和辞典などを一生懸命引いていましたけれども、今はみんな電子辞書で、パーっと検索してしまいます(笑)。それはそれで味気ないなとも思うのですが、それが彼ら彼女らにとっては生まれた時に目の前にあった辞書な訳ですよね。

今後たぶんiPadやiPhone、GALAXY、Kindleなどが生まれながらにある人にとっては、それがもうネイティブランゲージなんですね。自分が最初に出会う本がそういう形態ならば、その中で育っていくのは必然です。今、我々旧世代が持っているみたいな愛着はどんどん失われていくと思うし、きれいな装丁の本も文化財や伝統芸能のような立ち位置になるかもしれませんね。

でも、電子化されたことによってこれまでの本の楽しみ方が失われても、今度は電子版だからこそのいろんな新しい楽しみ方や面白がり方が生まれてくるんじゃないかと思います。

――本の読み方や立ち位置は変わるかもしれませんが、本自体の面白さは失われない…ということでしょうか。


福岡伸一氏: 先日、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで、『宮沢賢治が伝えること』という朗読劇があったんです。ラジオドラマみたいな劇仕立てになっていて、『注文の多い料理店』だったら二人の猟師と地の文を読む人に分かれて読み進めていく。しかも彼らの後ろに、マリンバを演奏する人がいて、ドラマが盛り上がってくると「ジャジャジャジャ~ン」と効果音がつく。つまり、狂言回しの役割をしてくれるんですよね。

言葉って、活字だと黙読するイメージが強いのですが、言葉は本来しゃべられるものですよね。本来は「語られるもの」としてあった訳だし、文学作品の多くも、「音」として伝えられていることも多いんです。言葉というものは、「文字」として視覚から入るものでもありますが、話し言葉として音でもやり取りできるんですよね。

ちなみに、私が観に行った回は小泉今日子さんが出演者の1人として朗読されていたのですが、すごくよかったです。電子書籍なら、自分が好きな女優さんが物語を読んでくれていたら聞きたいと思うだろうし、エッチな本だったら誰かがエッチに読んでくれた方がいいと思うし(笑)。単に本だったら本のままでしかなかったものを色んな形でコンテンツに転換できるようになってきているんじゃないかな、と感じていますね。

さらに、調べるとか検索するというのはもちろん、赤線を引いたり、抜き書きしたりも、電子書籍で今は簡単にできるようになっています。好きな言いまわしがある人は、ネット上で同じ本を読んだ人たちと意見交換したりもできる。もしくは、朗読や音楽を付けたり、場合によっては映像をつけられますよね。

こうした現象を見ると、紙の本が単にテキストファイルになって、EPUB形式になって電子化されたというだけではない、可変的なメディアの多様性という可能性を秘めていると思うんですよね。最終的には、もっと映画に近い娯楽になるんじゃないでしょうか。

――電子書籍はさまざまなものにリンクしているので、より多くのものと繋がっていけますね。


福岡伸一氏: 私がレーウェンフックを調べていたら、フェルメールに行きついたということは、結局これまで離れ離れだった関係を、繋いだということですよね。これは読書の楽しみでもあるので、そこに色んなリンクのオプションがあれば、自分で好きなものを繋いでいけばいいと思うんですよね。そのなかでこそ、自分のなかでの再発見がいろいろな形でおこるんじゃないでしょうか。

――福岡さんにとって本とはどういったものですか。


福岡伸一氏: 基本的には、私にとって、「本=先生」だと思います。ドリトル先生と同じように、人生にとって必要なことは、全部本が教えてくれたと思います。本当の学校の先生以上に、いろんなところに連れて行ってくれたし、色んな時間、色んな時代に連れて行ってくれた。そういう意味では、本当に言葉通りの意味での「先生」です。先に生きて、私を導いてくれた存在でしょうね。

――最後に、今後どんなことに取り組んでいきたいと思われますか。


福岡伸一氏: さきほどお話をしたように、フェルメール作品だけの美術館を作ったんですけれども、ここでは「絵には色んな楽しみ方があります」ということを実証しているんです。

『真珠の耳飾りの少女』という有名な絵が今、上野の東京都美術館に来日していますが、こうした本物を拝みに行くような見方ももちろんいいとは思うんです。でも、もっと自由に、楽しんでもらえる仕掛けをたくさんつくりたいと思ってます。たとえば、葛飾北斎で波と富士山が描かれた有名な絵がありますが、あの波が本当に動いてしまう…とか。そういうちょっととんでもないことをやって美術でも科学でも文学でも、楽しめるようにしたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

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