大絶賛されている本よりは、「意見が割れる本」こそおもしろい
――杉江さんは主にミステリー書評家としてご活躍ですが、日々たくさんの本を読んでいらっしゃると思います。お仕事としてですが、平均どのくらい本を読まれるんですか?
杉江松恋氏: その質問、よくされるんです(笑)。でも、実はちゃんと数えたことはあまりないんですよ。プライベートで娯楽としても本を読むのは大好きなので、かなりの数になっているとは思うんですけど。たとえば、今日一日のことで言うなら、朝から夕方まで本を読んでいたんですが、全部で5冊ぐらい読みました。もちろん、本を読む以外に、原稿を書いたり、取材をしたり、人と会ったりもすることもあるので、毎日こんなに読んでいるわけではないのですが。
――そんな短時間で5冊も読まれているんですか! 所要時間でいうと1冊1~2時間ですね。月数十冊は軽く読まれているということですね…。ちなみに、本はどうやって選ばれるんですか?
杉江松恋氏: 基本的に、僕は自分で書く書評の本は自分で選ぶことが多いのですが、あまり読む本が偏らないように心がけています。もちろん、「チームバチスタ」シリーズの海堂 尊さんなど、ミステリーの王道とされる本にも全部目は通しますけど。選び方としては、まずAmazonの「おすすめリスト」はよく利用します。あそこにあがってくるものは、基本的に自分が意識していなかった本や知らなかった本が上がってくることが多いので、自分がこれまで関心がなかった本などに出会うきっかけになるんです。
――お気に入りリストに上がってきた本を片っ端から読んでいかれるのでしょうか。Amazonのレビューは参考になさいますか?
杉江松恋氏: レビュー自体は参考にしていませんね。ただ、気をつけているのが「星の数」です。星の数がバラけているものほど、面白い本が多いのではないかと個人的には思っているんですよ。たとえば、星5個と1個がたくさんある本とか。星の数が安定している本は、常に一定の購読者がついている人である可能性が高い。そういう購読者は、その作家さん自体のファンであることが多いので、どんな作品であっても基本的に悪い評価をつけにくいですから。一方、星がバラけている本は、裏を返せば、賛否両論を巻き起こしているわけですから、なにかしら読者に刺さるポイントがある本ということになる。
以前、その方式で見つけた本で、覆面自腹レストラン評論家の友里征耶さんという方が書かれた『シェフ、板長を斬る 悪口雑言集―東京のレストラン、料理店』という本があるんです。これは、一般の料理評論家は癒着があるから、そういった馴れ合いみたいなものをなくして、ただ味とサービスなどについてだけシビアに観察した本を出したいというコンセプトで生まれたらしいんですね。この本に関しては、さっきいったように、見事に星がバラバラでした。レビュー自体も、絶賛している人もいれば、ののしっている人もいる。それを見たときに「これは絶対におもしろいだろう!」と思って読んだんですよ。そしたら、案の定おもしろかった(笑)。
本屋での本選びは、テレビのザッピングのように「飛ばし読み」が鉄則
――では、ネット以外では本は買われないんですか?
杉江松恋氏: そうでもないんです。というのも、Amazonにはひとつ弱点があって、「みんなが読んでいる本」「評価が書かれている本」じゃないと、おすすめにはあがってこないんですね。だから、誰もまだあまり読んでいなくて、埋もれてしまっている本に関しては、発掘できない。そういうときは、本屋に足を運んで、中身を観てから本を買います。
――やはり、帯やポップとかを参考にされるんですか?
杉江松恋氏: うーん、最近はあまり帯は参考にしていません。基本的に、どんな作品でも「●●氏絶賛!!」という帯がついていますからね。有名な人にいかに褒めてもらうかが重要になっているので、読者としてはあまり参考にはしていませんね。
僕がよくやるのは、表紙などで気になった本を手にとって、ぱらぱらと見開きを数十ページずつ飛ばし読みするという買い方です。そこで、文章をちょっと読んでみて、読みやすかったり、なにか「お、これはおもしろいかも」と思ったら、買ってみます。数十ページずつ飛ばし読みしてみても、なんだかおもしろそうだとか、読みやすいと思える本は相性がいい。テレビのザッピングをイメージしてもらうとわかりやすいと思います。あと、これは完全に感覚的な話なんですが、中身をぱらぱら読んでいると、相性の本は絶対に、僕を「誘って」きますから(笑)。そういう「誘ってくる本」を読みたいと思うんですよね。
書評家を選ぶときは、一年前の書評を参考にしてみよう
――「読書は好きだけど、そんなにたくさんの本は読めない」という人は多いと思います。そういった読者は、思わずベストセラー本ばかり読んでしまいがちなのですが、そこまでたくさんの本を読む時間がないけれども、「自分に合った本を選ぶ方法」のようなものはあるんでしょうか?
杉江松恋氏: 自分に合った書評家を見つけて、その人のすすめている本を読むというのは、とても有効な方法だと思います。その書評家の探し方なのですが、たとえば、ミステリーでいえば毎年発表されている「このミステリーがすごい!」なんかを参考にするといいですね。
でも、ただその年発売されたものを読んで、そこですすめられているものを読む…という方法よりは、一年前に発売された「このミス」を読んでみて、そのなかで自分が読んだことのある作品を、その書評家がどう書いているかを読んでみるんです。もしも、自分が思ったことと似たようなことが書いてあれば、きっとその人は自分の感性に合う書評家なわけですよね。でも、もっとも、次第にその人と自分の感性が合わなくなっていくこともあるので、その人の言っていることと自分が合わなくなってきたらあまり信じなくてもいいと思います。
よく書評家の人と話をするんですが、「本の良し悪し」というよりは、本来自分がもっている基準に対しての良し悪しであって、万人が同じ感想を抱くことなんて到底ありえないわけです。つまり、誰だって自分基準でしか言えない。そして、その基準に合わない本については、どんな本だっておもしろくないんです。
――どんなに名作のミステリーでも、たとえば、「青春時代のせつない恋愛小説が大好き」という人が読んだら「おもしろくない」と思う可能性が高いわけですしね。ちなみに本を読まれるときは、どうやって読まれるんですか?
杉江松恋氏: 僕は、とにかくフセンをはりますね。気になった文章、「ここはなにかの伏線だろう」と思った部分など、気になるところはどんどんフセンをはっていきます。後々読んでみると「なんでここにつけたんだろう?」と思うところもあるんですけど、それでもかまわないからどんどんはっていきます。
あとはね、本を読むときは同時に3冊ぐらいずつ、一緒に平行しながら読むようにしているんです。
――小説を、同時並行で読むんですか! 小説、特にミステリーの場合は、結末が気になるので、どうしても一気にぐっと読みたくなってしまいますが……。
杉江松恋氏: 娯楽で読むならもちろんそういう読み方でもいいと思うんです。でも、僕は仕事で読むことが多いせいだと思うんですが、あまり一気食いはしないようにしているんです。給食の食べ方は「3点食い」ってあるでしょう? あの、牛乳、ごはん、おかず…っていう。あれと一緒ですね。
というのも、ぐいぐい読むと、ついストーリーに入れ込み過ぎちゃうからなんですね。あと、本当におもしろい小説は、一気に読まずにちょっとずつ読んでも面白いものですから。しばらくブランクがあってから読み直した本が、もしもおもしろくなかったら、それまでの本だったんだなと思って読むのをやめることもあります。
小説を読むときは「焼き魚」を食べるように、じっくり読め!
――小説を読むときに、単にストーリーだけではなくて、「もっとこうしたら読み方がおもしろくなる」という読み方があったら教えて下さい。
杉江松恋氏: まず、読み慣れてくると、どんな文章にもリズムやテンポみたいなものがあることに気付くと思います。文章の密度のようなものですね。「ここは早く読ませようとしている」「ここはゆっくり読ませようとしているな」という部分。普通は作家の意図通りにぐいぐい読むところはすぐ読んでしまうし、ゆっくり読ませようとするところはじっくり文字を追いながら読んでいると思います。
でも、その作者の意図に気付いたら「なんでここは早く読ませようとしているんだろう」と考えてみたり、「ここは早く読ませようとしているみたいだけど、でもなにかおもしろいことが隠されているんじゃないか」と思ってみたり。あとは、その作者の文章の癖みたいなものを探してみたり。焼き魚や煮魚を食べるときに、ほぐれやすい身だけ食べてももちろんおいしいんですけど、でも、骨の間についている身や、頭の骨に隠れている頬肉までしっかり食べるともっとおいしい。それと一緒ですね。
おもしろいと思える小説に出会ったら、「どうしてこの部分を読むと自分はこんなに感情が揺さぶられるんだろう」と考えてみるんです。たとえば恋愛小説を読んでみて、なんだかウキウキしたりすることもあると思うんですね。そしたら「どうしてこの部分を読むと、自分はウキウキするんだろう」「楽しく感じるんだろう」と考えてみる。そうすると「あぁ、こういうキーワードに自分は弱いんだな」とか「こういうシチュエーションが好きなんだな」とわかるわけです。
あと、誰にでも「自分の好きなタイプの小説」というものがあると思うんです。たとえば、恋愛小説だったら「不倫モノ惹かれる」とか「高校生と中年の年の差モノに惹かれる」とか。「どうして自分がこういう系統の作品に惹かれるんだろう」と考えてみると、実は自分が登場人物に感情移入しているんだということがわかるかもしれない。そして、実は自分は男だけど、女性のほうに感情移入しているんだ、ということに気付くかもしれない。そうやって小説を読むということは、ある意味、自己分析に近いかもしれません。こうした自分の反応を観るのが、とてもおもしろいんじゃないでしょうか。
――杉江さんが小説を読むときに、「これは好きだな」と思う傾向を教えて下さい。
杉江松恋氏: 行間を読む…というのとはちょっと違うんですが、ストーリーのなかにある、ほんのちょっとの些細な出来事のおもしろさがある作品が好きですね。たとえば、豊臣秀吉の生涯を語るときに、「豊臣秀吉は昔は農民でした。でも偉くなりました!」で終わってしまったら、おもしろくないわけです。もっと、彼が織田信長の部下として可愛がられて、かたき討ちをして、天下をとって…という細かい細部の部分を再現されたほうがおもしろいわけです。
――そういう視点から見て、最近おもしろかった本はありますか?
杉江松恋氏: たとえば、小池真理子さんの『二重生活』とか。あらすじ自体は、「大学教授にそそのかされた大学院生の女の子が、近所の男を尾行する」という話で、別に殺人事件も大爆発も怒らない。特に最終的になにかがおこるわけでもないんですけど、まず「なんで男を尾行するんだよ!」という些細なことから始まって、「なんでこんなことをしているんだろうな」と振り返って考えてみると、どんどんその小説がおもしろくなってくる。
さらに、やっぱり書き手の小池さんの筆力というべきなのか、何気ないワンシーンでも、すごくいろいろと工夫がこらされている。たとえば、肘をつくとか耳をかくとか小さな日常の癖や、食べ物の食べ方ひとつなど、些細な動作ひとつから、なんとなく登場人物の背景というか人生が見えてきたりするんですよね。そういう点に触れたときは、「いい作品だな」と思います。
自分のなかで再構築が生まれる本が、自分にとっての面白い本
――いまは、映画やテレビ、ネットなどさまざまなメディアがありますが、そのなかでも杉江さんが「本が好き」だと思う理由を教えて下さい。
杉江松恋氏: 一番には、「紙」というものは、自分で進行がコントロールできるメディアだからだと思います。映画やテレビはすでに尺が決まっていて、時間の経過に自分が身をゆだねるメディアだと思うんです。でも、本の場合は、好きなスピードで活字を追えるし、間に好きなことをしてもいい。いろんな娯楽の中で、自分でここまで時間を細分化してコントロールできるメディアは少ないんじゃないでしょうか。
小説でもなんでも、本は文章から読者が自分で読み取って、それを頭で再現して、自分なりのストーリーを組み立てなおすメディアですよね。ストーリーの再構成が鮮やかにできる本こそがおもしろい本だと思っていて。それは、観念的なことかもしれないし、ストーリー自体のおもしろさかもしれないけれども。
たとえば、あの結婚詐欺事件の木嶋佳苗に関するノンフィクション本が、ここ数か月で何冊も出ていますよね。ある人は木嶋の立場に立ってあの事件を分析しているし、ある人は「なんでこんなことをしたんだろう?」と謎を抱きながら、木嶋の姿を再現している。あれは、きっと本によって、読み手の人が彼女に対して抱く感想がまったくかわってくるはずです。こんな風に、自分の頭の中で物語を構成できるのがおもしろさ。どんなストーリーラインができていくかを楽しむことは、映画やテレビのように映像がついているものでは再現できないと思います。
自分の読んできた作家が、ぐいぐい力をつけてきているのを見るのがうれしい
――そんなたくさん本を読まれている杉江さんが、最近気になっている作家さんを教えて下さい。
杉江松恋氏: 最近、気になっている作家は、まず一人は『鍵のない夢を見る』で、直木賞を取った辻村深月さんですね。彼女の初期作品には登場人物が類型的で会話だけだと識別が難しいというような欠点もあったんです。最新作は、泥棒、放火、誘拐などの「犯罪」をテーマにした短編をまとめた作品なのですが、本当に「いじわる」な人間観察ができるようになってきていて(笑)。とてもよくかけていましたね。あれを読んだら「本当に男ってバカだな」とか、「女の人はどうして騙されてしまうんだろう」って、とても痛感しました。
あとは、初野 晴さん。この方は、2002年に『水の時計』という作品で、横溝正史ミステリ大賞を受賞した人です。高校の吹奏楽部を舞台にした連作(『退出ゲーム』他)を書き続けていて、いままで4作ぐらいでているんです。とにかくうまいですね! 兼業作家だったので、これまでそれほど作品数は多くなかったみたいですけど、最近はペースをあげつつあるので、とても楽しみにしています。
あとは、村田沙耶香さんも好きですね。孤独な女の子の視点を独創的な手法で描いた小説がとても魅力的です。あと、いじわるな女性を描くという意味では、綿矢りささんの『かわいそうだね?』なんかも好きです。
電子書籍には「雑誌の部分配信」をやってほしい
――本当に日々いろんな本を読んでいらっしゃるので、きっと蔵書をたくさんお持ちだと思うのですが、それらはどうやって収納なさっているんですか?
杉江松恋氏: 家の書棚が開架式の本棚になっているので、そのなかに本を詰め込んでいます。そこに入りきらなかったものは、20冊ずつぐらい箱の中に貯めて、そして貯まったら捨てます。
――捨ててしまうんですか! 自炊して電子化なさったりはしないんですか?
杉江松恋氏: 正直、いまは手間を惜しんでいますね。いまは、スキャンひとつもかなり早いと言う話は来ているんですが。ただ、その手間があるなら、別の本を読みたい。そして、また捨ててしまった本でも、欲しくなったら買いなおすか、もしくは図書館で借りてしまいます。
だからね、僕の本棚ってあまりおもしろくないんですよ。というのも、常に資料とかで使うから、捨てる暇もなくて、図書館でも借りにくい宮部みゆきさんや東野圭吾さんのように「売れっ子作家」の本ばかりだから(笑)。
でもね、著者にとって一番良い読者は「本を捨てる読者だ」だと思うんです。本を捨ててくれれば、多分、読みたくなったらまた本を買ってくれる。だからこそ本は増刷するんじゃないですか。だから、著者にとって「本を捨てる」というのはとてもうれしい行為のはずなんですよ。
――杉江さんご自身は、電子書籍自体は使われていますか?
杉江松恋氏: ブックスキャンさんのことは、「自炊代行をするサービスがある」ということは、なんとなく知っていたんですが、今回ので初めて知りました。
電子書籍自体は、初期のころは、かなり意図的にたくさんいろんなバージョンのものを読んでいましたね。iPadにいろいろと入れて読んだんですけど、正直、いまのところは「あまり読みやすくないな」と思っているところです。なぜなら、さきほどもお話したように、僕は「本を読むときにフセンを貼る」のが好きだから。その作業ができないのは、ちょっとつらいですね。もちろん、最近はマーカーを引いたり、気になるところはチェックを付けたりする機能もあると伺ってますが、物理的にぱっとみてどこにフセンをはったかが確認できないのは、ちょっと僕のような本を読む人間にはまだ辛いですね。
――では、ほとんど電子書籍は使われていない状態でしょうか?
杉江松恋氏: うーん、そういうわけでもなくて、最近は「あまりそういうことを考えずに、読んでみようかな」とも思っていたりしているんです。僕はとにかくフセンを貼るのが大好きなわけですけど、そういう作業をなくす実験をしてみたりとか。自分の癖とはちょっと違う読み方をしてみたら、それはそれでおもしろいんじゃないかな、と思いまして。
ただ、やはり小説のように、じっくり、文章をひとつひとつ読むようなメディアにはあまり向いていないかもしれませんね。どちらかというと、そうやって立ち止まってじっくり読むものよりは、資料本のようにびゅんびゅん飛ばして読むものに向いていると思います。
あとは、雑誌ですよね。雑誌にはかなり電子書籍は向いているんじゃないかと思っています。いまでは「自炊」と言われていますが、実際、僕の雑誌の保存の仕方って、まさにあの通りで。データ化はしないんですけど、「後でここは資料として使えるな」「この連載はもしかしたら本になるかもしれないな」など、自分で気になったページや資料性のあるページだけ残して、あとは全部捨ててしまうんです。
電子書籍だと、きっとそうした「部分配信」みたいなことがきっと可能だと思うんですよね。モデルとしては、iTune Storeのアルバムスタイルみたいなものでしょうか。たとえば、オムニバスCDなら、バラ売りも可能だけど、12曲を単品で買うよりも全部まとめて買ってしまったほうが安い…みたいなね。
あとは、早くハードが決まってほしいです。いいハードがないと、いまのままでは自分では使いにくいな、と思っています。
批判するだけではなく、作家も版元も電子版だからこそのビジネススタイルを、今後は追求していくべき
――読者が部屋のスペースなどがなかったり、いつでもどこでも本を読みたいということで、本の自炊をする人も多いです。杉江さんご自身もたくさん本を出されていますが、読者が自分で購入した本を自炊することに関して、どう思われますか。
杉江松恋氏: 僕は、いいんじゃないかと思いますよ。僕自身の本も、全然自炊していただいて構いません。もちろん、それを誰かに転売したりとか、コピーを勝手に配布されたりするのは嫌ですけどね。
ただ、逆に、これは著者にとっては新しい挑戦だな、とも思います。データで残ってしまうので、先ほど言ったように「また本を買いなおす」という作業があまりおこなわれなくなる可能性がありますよね。そしたら、作家は「じゃあ、どうやったら何回も買ってくれる人になるのか」を考えることができる。単に「電子化されるのは嫌だ」と拒んでばかりでは、発展しませんし。
たとえば、人気の漫画が、何年かたって、「完全版」として、未収録の作品を入れたり、カラーのページを増やしたりして、出版しなおすのと一緒。版元や著者側も、「もう一度本を買いたくなる工夫」をしていくことが大事じゃないかな、と思います。
たとえば、実用書なんかだと、やりやすいんじゃないでしょうか。実用書は年が経つにつれて、情報がどんどん更新されていくわけですよね。電子版だったら簡単にバージョンアップできるから、「新情報」ということで新しい情報を常にアップしていったらいいと思うんですよね。僕は「改訂版」とか「増補版」とかあると結構買ってしまうタイプなので、このビジネススタイルはぜひとも実践してほしいですね。
取材場所:BIRIBIRI酒場
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 杉江松恋 』