一条真也

Profile

1963年、福岡県生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、大手広告代理店を経て、大手冠婚葬祭業 ㈱サンレーに入社。2001年に代表取締役社長に就任。数々のイノベーションによって業績をV字回復させる中、「天下布礼」の旗を掲げ、人間尊重思想を広めるべく作家活動にも情熱を注ぐ。膨大な読書量をベースにした博覧強記ぶりには定評がある。また、日本人の「こころ」の三本柱である神道・仏教・儒教を総合的に研究する「平成心学塾」を主宰。2008年、北陸大学客員教授に就任、「孔子研究」「ドラッカー研究」を教える。2012年、第2回「孔子文化賞」を稲盛和夫氏(稲盛財団理事長)と同時受賞する。

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装丁から垣間見える本の変化


――それでは、本自体が昔と変わったなと思われることはありますか?


一条真也氏: 以前は箱入りの本がありましたよね。私はそれが大好きでした。箱から出して、パラフィン紙みたいな物に巻かれていて、何重にもなっている…作り手の方々の、本に対する深い愛情を感じるのです。本というのはライターが文章を書いて、装丁家の人が装丁して、プロの編集者が編集して、アーティストが加わって、一つの作品としてこの世に生まれてくる。今はカバーもない「むき出しの本」もあるようですが、私ははっきり言って、これは本の体をなしていないと思っています。ところで、本の内容を深く理解した上でデザインを施してくれる装丁家の方々に感心させられることが多くあります。表紙を見て「ピンと来た。これは何か面白そうだな」とか「何だか、いい雰囲気だな」と思って買ったら、だいたい正解ですよ。逆に新書の場合、一大特徴は安いコストでいっぱい出せることですが、デザインはすべて同じ。私自身も新書を何冊か書いていますが、コストを抑えているために制限も割と多いのです。そういうのもあって、新書ばかりはびこるところは、あんまりいい本屋さんではないなと思っています。

教養は読書だけでは身に付かない


――最近読んだ本でおもしろかった本はありますか?


一条真也氏: 『すべては今日から』という児玉清さんの本です。前半部分は児玉清さんの書評があって、後半部分は日本人のマナーや礼儀の話が書いてある。例えば朝、飛行機の中で髭をそっている人がいたけど、「そんなはしたない事をして日本人も終わりだ」とか。若者が、笑う時に手を叩いている姿を見て「こんなのは猿がする事だ」とか(笑)。相手の言ったことが面白かったと表現するのに、人間はこんなことは絶対しちゃいけない。けれど今、そういうことが若者の間で横行しているのは情けないと。さらにオレオレ詐欺についても触れていて、オレオレ詐欺をする犯人は憎いけど、引っ掛かる人っていうのは、どうも「金さえ払えば全ての問題が解決するという思考の持ち主じゃないか。普段から本を読んでいる人はオレオレ詐欺には引っ掛からないと思う」と、そこまで明確に言っているのです。まさに「何のために人は本を読むのか」についてまで触れているのですよ。

こころの悲しみを癒す物語としての怪談とは


――今、どういった本を書こうと思っていらっしゃるか教えていただけますか?


一条真也氏: 誤解を招くといけないけど、幽霊をつくろうと思っています。先日、京都大学で開かれた東日本大震災の「こころの再生のシンポジウム」において、「東日本大震災とグリーフケアについて」という発表を行ってきました。私は、「京都大学こころの未来研究センター」の連携研究員としてグリーフワークを研究しているのです。実は、いま被災地で幽霊がもの凄く出現しているんですよ。がれきの下からうめき声がしていて掘ってみたら誰もいなかったとか、タクシーの運転手さんがびしょ濡れの人を乗せていて、しばらくしたら誰もいなかったとか。あと三陸の津波があった海の上を無数の人が歩いていたとかね。私は幽霊が実在する実在しないというのは別にして、幽霊という考え方そのものが、「死者に想いを馳せる」という文化の一つだと思うんです。亡くなった方たちは、恨みがあったのではないかとか、無念な想いがあったのではないかとか想像する。人間というのは幽霊を見る猿じゃないかと思っていて。

――そういったお話があるのですね。幽霊をつくるというのはどういったことなのでしょうか?


一条真也氏: 私の本業は冠婚葬祭なのですが…。葬儀には、遺影というものがありますね。その場にいない人の面影を置いているわけですから、これも一種の幽霊づくりと言えるでしょう。故人を偲ぶため、また故人の事を参列者に知っていただくために、「幽霊づくり」というのが一つのポイントになるのではないかと思うのです。本でいうと怪談ですね。江戸時代の『四谷怪談』や『雨月物語』、その100年後には小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの『怪談』が発表されました。不思議なことに怪談は100年おきにベストセラーが生まれています。そしてその直前には大地震とか飢饉が起こっているのです。

――怪談というのはどういった役割があるんでしょうか?


一条真也氏: 大きな災害があった後で、必ず怪談が流行するということは…葬儀と同じように、怪談は遺族や残された人たちの「悲しみを癒すための文化」ではなかったのかと思うのです。私は今、『グリーフケアとしての怪談』という本を書こうと思っています。グリーフケアというのは、遺族の悲しみを癒すことです。この本では、怪談の始まりといわれる神話にも触れることになります。例えば『古事記』では、黄泉の国でイザナギがイザナミを見て帰ってきたとか、ギリシャ神話ではオルフェウスが死後の世界で愛する妻の亡骸を見て帰ってきたなど…愛する人を亡くし、その変わり果てた姿にショックを受け帰ってきて、世界が変わったというような話が実に多いのです。つまり葬儀とは、残された人が悲しみのあまり心を病まないようにするための人類の営み、または大いなる知恵の産物だと思うのです。実は怪談も同じではないかと思えてきまして。

聖人の思想を学び、それを体現することへの挑戦


――最後になりますが、今後の取り組みとして、どんな事をされていきたいですか?




一条真也氏: 読書から学んだことを具現化していきたいと思っています。私は孔子とブッダという二人の聖人を最も尊敬しています。もしお二人が今の日本に生きていたなら、どのようなことを憂い、そして行動されるかを考えました。ちなみに孔子は人間関係の豊かさを追求された方です。ですから孔子は今の日本において「孤独死」を最も憂うことでしょう。また自ら行動を起こし、一人暮らしのお年寄りを集めて新たな人間関係づくりに励み、最終的には敬老社会の実現を目指すのではないでしょうか?このイメージから、私どもサンレーでは、お年寄りが集う「隣人祭り」を多数開催し、さらには一人暮らしのお年寄りに入っていただける日本一安い老人ホーム「隣人館」をオープンしたのです。続いてブッダは今の日本において「自殺の多さ」を最も憂うことでしょう。ちなみに自殺の最大の原因は「鬱」だと言われています。そしてそのきっかけで最も多いのは「配偶者を失ったとき」なのだそうです。ブッダが今の日本に生きていれば、死別の悲しみを乗り越えようとする「愛する人を亡くした人たち」へ寄り添い、その悲しみを少しでも癒す作業---つまり「グリーフケア」を行うことでしょう。我々は葬儀という価値ある事業を通じて、ご喪家に対し心を軽くすることができる一言を提供しつつ、心のケアを行っていきたいと思っています。さらにわが社では、グリーフケア・サポートのための自助グループ「月あかりの会」を運営しております。これは愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会なのです。まことに不遜ではありますが、読書から得た二人の聖人の思想を、今の社会にお役に立てるべくサンレーという企業を通じて形を与え、今後も具現化していきたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

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