一条真也

Profile

1963年、福岡県生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、大手広告代理店を経て、大手冠婚葬祭業 ㈱サンレーに入社。2001年に代表取締役社長に就任。数々のイノベーションによって業績をV字回復させる中、「天下布礼」の旗を掲げ、人間尊重思想を広めるべく作家活動にも情熱を注ぐ。膨大な読書量をベースにした博覧強記ぶりには定評がある。また、日本人の「こころ」の三本柱である神道・仏教・儒教を総合的に研究する「平成心学塾」を主宰。2008年、北陸大学客員教授に就任、「孔子研究」「ドラッカー研究」を教える。2012年、第2回「孔子文化賞」を稲盛和夫氏(稲盛財団理事長)と同時受賞する。

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古典を読めばリスクは少ない



作家活動のほか、大手冠婚葬祭会社の経営や、北陸大学の客員教授も務める一条真也さん。大変な読書家でもある一条さんは、基本的に1日1冊、年間365冊ほど読まれているとのこと。そんな一条さんに本の読み方や今後の電子書籍についてなど、いろいろとお話を伺ってみました。

いいな、と思う本はすぐ実践できる本


――早速ですが、一条さんはご多忙かと思いますが、朝一日の始まりはどのように過ごされていますか?


一条真也氏: 毎朝、欠かすことなく20分程度運動するようにしています。美木良介さんの『ロングブレス』っていう呼吸法の本がベストセラーになっていますが、これを実際に試しています。スッキリと目が覚めるし、脳に酸素も行き届くので非常に良いですよ。それからダンベルをやったり腹筋をやったりエアロバイクを漕いだりと、20分程度運動をする。最近読んだ『幸福の習慣』という本に、「毎朝20分運動したら、1日が非常にいきいきと行動的に過ごせる」と書いてありましたが、本当にそうでしたね。このように具体的なこと、特に即行動に移せる内容が書かれていることが「良い本」の条件のひとつだと思っています。

――一条さんのお仕事について伺ってよろしいですか?


一条真也氏: 株式会社サンレーの代表取締役社長を務め、各地で冠婚葬祭業を展開しています。加えて、ホテル業、最近では介護業をスタートしました。また北陸大学の客員教授として「孔子研究」と「ドラッカー研究」の授業を行っています。日本において儒教の思想を直接中国の学生に教えるのは私一人のようで…。平成24年には、孔子文化賞を頂きました。

――執筆活動も並行して行われていらっしゃるんですね。


一条真也氏: 現在連載中のものが新聞、雑誌、フリーペーパーなど月に8本、隔月をあわせると10本ぐらいです。さらに、ブログも書いています。特に書評ブログをよく書いており、一時は「毎日書評を書く男」として、ビックリ人間みたいに言われたこともあります(笑)。実際に、初読の本は、その日のうちに読んでその日のうちに書評を書いています。今でも既に書いた書評を50本ぐらいストックしているから、私が死んでも2ヶ月ぐらいはアップされ続けると思いますよ(笑)。

エネルギーの源は1日に1冊の読書


――そのバイタリティーはどこから湧いてくるのですか?


一条真也氏: ズバリ読書ですね。「忙しいから本を読む時間がない」なんて人もいるようですが、とんでもない話ですね。本を読むから効率的に時間を使えるんです。1日に2時間以上本を読まないと、逆に調子が狂ってしまいますよ。

――本を読まれるのは、ご自身の書斎や移動中とのことですが、何冊ぐらい持って行かれるのですか?




一条真也氏: 1日2冊は必ず持って行きます。2009年に『あらゆる本が面白く読める方法』という本を書いたのですが、当時は年間700冊ぐらい読んでいました。つまり10年間で7,000冊ほど読むペースを維持していたのですが・・・・・ここ数年、毎日書評を書くようになってからは、あえてペースを落としました。読む冊数を減らしても、書評をきっちり書き続けているのです。書評を書くことによって、読んだ本が完全に私の血肉になっていきます。普段は1日1冊、年間365冊のペースで、ただし出張の間は1日2冊以上。だから1週間の海外出張時は15冊~20冊持っていくわけです。海外出張の場合は基本的にコンパクトな文庫本か新書本に限っていますが、それでも重くてしょうがいないですよ。だから電子書籍がいいのかと言ったら、またそれにはいろいろ言いたいことがあるわけでね(笑)

朝の通勤時間こそ電子書籍の出番!


――以前、愛書家ではなくて愛読家だとおっしゃっていたと思いますが、電子書籍はいわゆる紙の書籍と比べて、どの点が良くて、どの点が物足りないとお考えですか?


一条真也氏: 私は電子書籍も紙の書籍も両方必要だと思っています。私の著書もすでに5冊電子書籍になっていて、さらに『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考』、『世界をつくった八大聖人』、『最期のセレモニー』がもうすぐ電子書籍化されます。ちなみに私自身はリーダーは持っていますが、それほど活用はしていません。やっぱり紙の本の方が、なじむのが早いですね。そういえば東京では移動中の電車や地下鉄で電子書籍を読んでいる方を多く見かけます。一方で、紙の書籍は、じっくりとカフェなどで読んでいる方が多いような気がする。私はこれをみて「電子書籍は通勤用だな」と感じました。ビジネスマンにとって通勤および移動の時間は一日の大きなウエイトを占めるのですから、電子書籍のコンセプトを「通勤用」として明確化すれば面白いのではないかとも思っています。

――電車の中で読めて、仕事に使えるようなものが向いていますか?


一条真也氏: 私は経営者ですので、朝礼などで社員に向けてメッセージを伝える機会が多くあります。もちろん社長じゃなくても、いわゆるマネージャーといわれる人たちは、様々な場面でスピーチをする機会があるわけです。スピーチの時間はだいたい3分~5分程度ですが、実は「話さなきゃいけない」ということに、皆さん結構ストレスを感じているようです。ですから、まずは朝礼のスピーチで使える本がいいと思いますよ。私の本でいうと『孔子とドラッカー』。この本は、紙で222ページありますが、「仁」とか「礼」とか「夢」とか「志」とか、48のキーワードについて書かれています。それぞれのキーワードの内容は、4ページで終わる話になっています。これが音読してちょうど5分です。『龍馬とカエサル』も1つのテーマが2ページで終わる話になっていて、これも音読したらちょうど3分。だから5分スピーチ、3分スピーチに応用できるようになっているのですよ。

――3分とか5分というスピーチの時間を意識して書かれたのですか?


一条真也氏: いや、これは意識しなかった。後で気づいたのですよ。この本を書いた後に出版社の社長から、「これはスピーチで使える本ですね」って言われて気づいたのです。ちなみに『孔子とドラッカー』も『龍馬とカエサル』も電子書籍化されています(笑)

本との出会いを大切にする読み方を


――本はどちらで購入されているのでしょうか?


一条真也氏: 最近はAmazonで買うことが多いのですが、20代の頃はネットもなかったので、紀伊国屋だとか書泉グランデなどの大型書店に行って片っ端から買っていましたね。それと元々実家に本がいっぱいあったので、最低限私が興味あるようなものはありましたね。本好きとしては、非常に恵まれた環境にあったと思います。

――今でも書店にふらっと立ち寄ることはありますか?


一条真也氏: ありますよ。ネットのレコメンデーション・システムもいいけど、そこに引っ掛かってこないような本も多数あります。逆に書店にふらっと行って、なぜだか琴線に触れるような本もあります。例えばリーダーシップ関連の本だと200冊ほど読んだのですが…タイトルだけでは、一見全く関係ないようなものでも、実はリーダーシップに深く関わっている内容の本もある。やはり本というのは全て縁だから、実際に本屋に行って導かれるような出会いもありますよね。

――一条さんは本を必要な部分だけ読まれますか?それとも、最後まで読まれますか?


一条真也氏: 私は1回でも縁があった本は、最後まで読もうと思っています。読書論で、「本は最後まで読まなくていい。最初だけ読んだらどんどん捨てていい」と言う人もいますが、私はそれを恐ろしい考えだと思っています。何百万冊以上も本がある中で、自分の手元に来たということは奇跡的な縁ですよ。それを隅から隅まで読まなくてどうするのだと。この本が私の所に来たという事は、宇宙の意志みたいなものが働いていて何か意味があって来たと思うので、最後の1ページ、最後のあとがきの1行に自分にとって大事なことが書いてあるのではないかと考えているのですよ。

――今はどういった本を手に取られることが多いですか?


一条真也氏: 東日本大震災以降、必要とされているのは、いわゆる技術論とかノウハウ本ではないと思う。
「人はどう生きるか」など普遍的なメッセージが詰まった内容のものが求められていると思います。場合によっては電力のない世界でさえ今後は起こり得るわけですから。今こそ古典と呼ばれる、人類社会に寄り添って、脈々と読み受け継がれてきた思想が必要だと考えています。あえていえば、孔子やブッダ、ソクラテスやイエスといわれる世界の聖人の考えに集約されていくのだから…その方々の言葉を直に取り込んだ方が良いでしょう。その他にもプラトンやカエサルなど歴史的に評価を得えている賢人や英雄の言葉を知ることにまったくリスクはないわけだし。ちなみに私の本にも『世界一わかりやすい論語の授業』、『図解でわかる!ブッダの考え方』などがあります。特に『論語』の言葉は短いので、まさに電子書籍にはぴったりだと思いますよ。

豪快な本の買い方をする若者として有名に


――学生時代からずっと本を読まれていると思いますが、本屋さんでのエピソードを教えて下さい。


一条真也氏: 以前、小倉に金栄堂という大好きな書店がありました。ここは松本清張さんが「文藝春秋」の第一号を購入した場所としても知られているのですが。とてもユニークな書店で、幻想文学を広く扱っていて、美しい本も多かったですね。泉鏡花とか澁澤龍彥とか三島由紀夫などにどんどんはまり込んでいったのも金栄堂の影響でした。親父も足しげく通っていたので注文書を勝手に利用して、もちろん親父のつけで(笑)、まさに狂ったように本を買い込んでいました。その後、意気揚々と神保町に乗り込んでいきました。高校1年生の頃、神保町の立派な店構えの古書店で、店主に「このテーマの本を全部くれ」と言ったことがあります。驚いた店主から奥に連れていかれて「本当に金を持っているのか?」と聞かれましてね(笑)後で懇意になった店主から、過去に一人だけ私のような買い方をした青年がいたことを聞きました。その方は、天理教の息子さんで東大在籍中に神保町で本を買いまくって天理教の本部に送っていたそうです。その方が今の天理図書館を作ったとのこと。当時、神保町の書店の間では、その方以来の目利きの若者が現れたといって騒がれていたようです。単に本を大量に購入するのではなく、「これとこれとこれが欲しい」などと本を選んで買っていたことで、何か通じるところがあったようです。

――そういう意味では、近々、記念文庫的な物として公開しようとお考えですか?


一条真也氏: いずれはどんどん開放しようと思っています。現在、会社には私が選んだ本のライブラリーを作って、社員が自由に読めるようにしています。必要な部分には、すべて線も引いているので…。(一条さんがお持ちの書籍を開いて)変な言い方だけど、私は「世界一美しい赤線」を引こうと思っているのですよ(笑)



――本当に綺麗ですね。線を引かれる時は、何かルールがあるんですか? 


一条真也氏: 重要だと思った部分に線を引いておくと、2回目に読むのが軽くなる。さらに重要だと思ったら米印をつけて、またさらに重要だと思えば2つ米印を付ける。私の書評は、ほぼこの米印をつけた引用部分を紹介しています。斎藤孝さんの言う3色ボールペン法には賛成できないんです。後で仕事に使えると思ったら青線とか、引いているときにはそんな区別はないんですよ。心が動いたとか、そういうシンプルな理由で引けばいいと私は考えています。

書店は本来、本も人も厳選された、厳かな場所なんです。


――沢山本を読まれてきて、本や書店の歴史を肌に感じられているとは思いますが、昔と比べて、書店が変わったなという点はありますか?


一条真也氏: 以前は書店には結界みたいなものがあって、入るのにも少し後ろめたいような、いってみれば巣窟のようなイメージで。秘密結社ではないけど「今日は本屋さんに行くぞ!」みたいな決心も必要で、ワクワク感やドキドキ感を味わいながら通ったものです。現在の本屋さんは、ひと言でいうと明るくなりましたね。コミックと雑誌のスペースが増えたのも以前との違いですね。一見するとコンビニの書籍コーナーが広くなったようにも感じる。この流れのまま、まるでスーパーの惣菜売り場のような雰囲気にならないと良いなと思っています。今でも書泉グランデとか三省堂、紀伊国屋の中には、一部良いフロアが残っている書店もあるようですが。

――そういう意味では、本を意識した書店ならではのフロア作りって大事ですか?


一条真也氏: 大事ですね。三省堂のビジネス書売り場の店員さんは、ビジネス書について非常に詳しいですよね。ソムリエのように専門家みたいな人ばかりで。昔でいうと古本屋さんの頑固オヤジみたいなのがギロッと見て、初めて行くとドキドキするけど、本の事を聞いたら何でも知ってる。三省堂とか紀伊国屋が、なぜ一流の書店かというと、そういう専門家をフロアごとに配しているということですよね。

装丁から垣間見える本の変化


――それでは、本自体が昔と変わったなと思われることはありますか?


一条真也氏: 以前は箱入りの本がありましたよね。私はそれが大好きでした。箱から出して、パラフィン紙みたいな物に巻かれていて、何重にもなっている…作り手の方々の、本に対する深い愛情を感じるのです。本というのはライターが文章を書いて、装丁家の人が装丁して、プロの編集者が編集して、アーティストが加わって、一つの作品としてこの世に生まれてくる。今はカバーもない「むき出しの本」もあるようですが、私ははっきり言って、これは本の体をなしていないと思っています。ところで、本の内容を深く理解した上でデザインを施してくれる装丁家の方々に感心させられることが多くあります。表紙を見て「ピンと来た。これは何か面白そうだな」とか「何だか、いい雰囲気だな」と思って買ったら、だいたい正解ですよ。逆に新書の場合、一大特徴は安いコストでいっぱい出せることですが、デザインはすべて同じ。私自身も新書を何冊か書いていますが、コストを抑えているために制限も割と多いのです。そういうのもあって、新書ばかりはびこるところは、あんまりいい本屋さんではないなと思っています。

教養は読書だけでは身に付かない


――最近読んだ本でおもしろかった本はありますか?


一条真也氏: 『すべては今日から』という児玉清さんの本です。前半部分は児玉清さんの書評があって、後半部分は日本人のマナーや礼儀の話が書いてある。例えば朝、飛行機の中で髭をそっている人がいたけど、「そんなはしたない事をして日本人も終わりだ」とか。若者が、笑う時に手を叩いている姿を見て「こんなのは猿がする事だ」とか(笑)。相手の言ったことが面白かったと表現するのに、人間はこんなことは絶対しちゃいけない。けれど今、そういうことが若者の間で横行しているのは情けないと。さらにオレオレ詐欺についても触れていて、オレオレ詐欺をする犯人は憎いけど、引っ掛かる人っていうのは、どうも「金さえ払えば全ての問題が解決するという思考の持ち主じゃないか。普段から本を読んでいる人はオレオレ詐欺には引っ掛からないと思う」と、そこまで明確に言っているのです。まさに「何のために人は本を読むのか」についてまで触れているのですよ。

こころの悲しみを癒す物語としての怪談とは


――今、どういった本を書こうと思っていらっしゃるか教えていただけますか?


一条真也氏: 誤解を招くといけないけど、幽霊をつくろうと思っています。先日、京都大学で開かれた東日本大震災の「こころの再生のシンポジウム」において、「東日本大震災とグリーフケアについて」という発表を行ってきました。私は、「京都大学こころの未来研究センター」の連携研究員としてグリーフワークを研究しているのです。実は、いま被災地で幽霊がもの凄く出現しているんですよ。がれきの下からうめき声がしていて掘ってみたら誰もいなかったとか、タクシーの運転手さんがびしょ濡れの人を乗せていて、しばらくしたら誰もいなかったとか。あと三陸の津波があった海の上を無数の人が歩いていたとかね。私は幽霊が実在する実在しないというのは別にして、幽霊という考え方そのものが、「死者に想いを馳せる」という文化の一つだと思うんです。亡くなった方たちは、恨みがあったのではないかとか、無念な想いがあったのではないかとか想像する。人間というのは幽霊を見る猿じゃないかと思っていて。

――そういったお話があるのですね。幽霊をつくるというのはどういったことなのでしょうか?


一条真也氏: 私の本業は冠婚葬祭なのですが…。葬儀には、遺影というものがありますね。その場にいない人の面影を置いているわけですから、これも一種の幽霊づくりと言えるでしょう。故人を偲ぶため、また故人の事を参列者に知っていただくために、「幽霊づくり」というのが一つのポイントになるのではないかと思うのです。本でいうと怪談ですね。江戸時代の『四谷怪談』や『雨月物語』、その100年後には小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの『怪談』が発表されました。不思議なことに怪談は100年おきにベストセラーが生まれています。そしてその直前には大地震とか飢饉が起こっているのです。

――怪談というのはどういった役割があるんでしょうか?


一条真也氏: 大きな災害があった後で、必ず怪談が流行するということは…葬儀と同じように、怪談は遺族や残された人たちの「悲しみを癒すための文化」ではなかったのかと思うのです。私は今、『グリーフケアとしての怪談』という本を書こうと思っています。グリーフケアというのは、遺族の悲しみを癒すことです。この本では、怪談の始まりといわれる神話にも触れることになります。例えば『古事記』では、黄泉の国でイザナギがイザナミを見て帰ってきたとか、ギリシャ神話ではオルフェウスが死後の世界で愛する妻の亡骸を見て帰ってきたなど…愛する人を亡くし、その変わり果てた姿にショックを受け帰ってきて、世界が変わったというような話が実に多いのです。つまり葬儀とは、残された人が悲しみのあまり心を病まないようにするための人類の営み、または大いなる知恵の産物だと思うのです。実は怪談も同じではないかと思えてきまして。

聖人の思想を学び、それを体現することへの挑戦


――最後になりますが、今後の取り組みとして、どんな事をされていきたいですか?




一条真也氏: 読書から学んだことを具現化していきたいと思っています。私は孔子とブッダという二人の聖人を最も尊敬しています。もしお二人が今の日本に生きていたなら、どのようなことを憂い、そして行動されるかを考えました。ちなみに孔子は人間関係の豊かさを追求された方です。ですから孔子は今の日本において「孤独死」を最も憂うことでしょう。また自ら行動を起こし、一人暮らしのお年寄りを集めて新たな人間関係づくりに励み、最終的には敬老社会の実現を目指すのではないでしょうか?このイメージから、私どもサンレーでは、お年寄りが集う「隣人祭り」を多数開催し、さらには一人暮らしのお年寄りに入っていただける日本一安い老人ホーム「隣人館」をオープンしたのです。続いてブッダは今の日本において「自殺の多さ」を最も憂うことでしょう。ちなみに自殺の最大の原因は「鬱」だと言われています。そしてそのきっかけで最も多いのは「配偶者を失ったとき」なのだそうです。ブッダが今の日本に生きていれば、死別の悲しみを乗り越えようとする「愛する人を亡くした人たち」へ寄り添い、その悲しみを少しでも癒す作業---つまり「グリーフケア」を行うことでしょう。我々は葬儀という価値ある事業を通じて、ご喪家に対し心を軽くすることができる一言を提供しつつ、心のケアを行っていきたいと思っています。さらにわが社では、グリーフケア・サポートのための自助グループ「月あかりの会」を運営しております。これは愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会なのです。まことに不遜ではありますが、読書から得た二人の聖人の思想を、今の社会にお役に立てるべくサンレーという企業を通じて形を与え、今後も具現化していきたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 一条真也

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